- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167265144
作品紹介・あらすじ
吉村昭没後五年を経て書かれた渾身作、待望の文庫化癌が転移し、自らの死を強く意識する夫を、妻と作家両方の目で見つめ、全身全霊で文学に昇華させた衝撃作。第59回菊池寛賞受賞。
感想・レビュー・書評
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吉村昭・津村節子夫妻‥‥どちらも大作家。人類史上で考えてもそんなカップル、そう多くはいないと思う。
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まだ身近な人が亡くなったことがないのでグサグサ刺さったわけではないけど最後はザワッときた
こんな最後の最後まで想ってくれる人がおるなんて幸せやな、吉村さんの本も読んでみたくなった -
この本を読む前、ご主人の吉村昭さんの「冷い夏、熱い夏」を読みました。
弟の凄絶な癌の闘病や死を書いた吉村さんが、ご本人が癌になった時、どう向き合ったのか知りたくて手に取りました。
この本は、同じ作家であり、吉村昭さんの妻である津村節子さんの目から見た、吉村さんの癌発覚から最期の様子を記した本です。
吉村さんは、辛い症状に苦しんでいたかもしれないけれど、病気を受け入れて、自分なりの死生観を貫いて、とても落ち着いて亡くなったのだなと思いました。
最期の最期の行動は、衝撃的だったけれど、本人にとっては一番納得のいく方法だったと思うし、それを受け入れた奥さんと娘さんも素晴らしいと思います。
日記に書かれていた奥さんに対する短い言葉に、感動もしました。日記、ちょっとつけたくなってしまいます。
淡々とした文章なのに、伝わってくる想いは大きくていい本でした。
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吉村昭が好きで、よく作品を読んでいる。若いころ結核で死を宣告されたも同然の時期があり、吉村昭の死への思いはとても強い。
その作家の最期はすさまじく、自分で呼吸器を外しての死だった。自分で安楽死した、というと語弊があるかもしれない。
その光景を見た妻がどう感じていたのか知りたくて購入したのだが、ここに現れない様々な苦労が滲んでいて、読み進めるのがつらかった。
あの年代だから、女性が作家として生きていることへの後ろめたさ、でも作家として生きていること、夫への思い、そしてそれらに全部寄り添ってきた夫。
うらやましい夫婦であると同時に、吉村昭は彼の作品にあるような死生観を、そのまま自分の最期に実行させたこと、そしてその現場の凄まじさ…言葉もない。 -
私が最も愛する作家、吉村昭の最期を妻が綴った手記。壮絶な最期を遂げた吉村昭の生き様が語られる。潔く死ぬというのを選んだ彼らしい最期。
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外から帰って、借りてきたこの本をちょっとと思って読み始めたら、止まらなくなった。重い内容だったが読み切って時計を見ると、四時半は過ぎ、夕食の支度に遅れそうになった。
夫の吉村氏が舌癌になり、一旦治ったと言われて、改めて検査中に今度は膵臓癌がみつかる。
舌癌は手術しない治療法を選んだが、ひどい痛みに苦しむ。少し回復し体調も良くなってきたところにみつかった膵臓癌は周りの臓器も一部を取る12時間半の大手術になった。自宅療養に切り替えて看病を続ける。
最後は延命治療を望まず、自ら点滴の管や、ポートを外し家族だけに看取られて亡くなった。
夫婦ともに認められた作家で、夫は、治療中もペンをおかず約束の締め切りを守り、妻であっても看病をおいて出かけなくてはならない公用が待っていた。
私は読んでいて、とてもよくわかるとは言えない。わたしも一時癌を患ったが、舌癌や、膵臓癌に勝る苦痛を味わってはいない。
12時間に及ぶ手術の後も、痛み緩和ケアのおかげで翌日から歩き、家族の見舞も隔日でいいといった。そう出来る病気だったし看護体制も整っていた。
その後2度再発したが一人で入院して帰った。夫や子供が顔を見に来たが病状や経過については医師にくわしく聞いているし、痛みもあれば自分で耐えるものだと思った。退院後の治療は、車で行って帰ってきた。なかなか辛いものがあったが、出来るだけ周りに負担をかけたくなかった。退院後、娘が一ヶ月近くいて家事をこなしてくれて有り難かった。
津村さんは、看護した辛さによく耐えられたと思う。 吉村氏が亡くなった後、後悔に苛まれ仕事も手につかなかったとか。
闘病している本人は、辛過ぎて気持ちが乱れ、周りに当たることもわかる。しかし看護者は神の手を持たない。本人はそれもよくわかっている。奇跡もないとわかってはいるが何とかならないのか、耐えていけるのかと思う。そうしていつか少しずつ覚悟が出来るのだろう。もしかしたら考える力がなくなるくらい病が進んで楽になるのかもしれない。
まだ時間があったかもしれない時、死を覚悟して自分で最後を決めた勇気に驚き感嘆した。わたしにその勇気があるだろうか。
吉村氏は癌とわかった時、家族以外にはしらせるなといった。たぶんわたしにはわからない深い心情があったのだろう。そして「なぜ自分が」と日記に書かれたという。
わたしも、なぜ私が、よりによってと無性はらだたしかった。
そして同じように、わたしも家族と弟にだけ知らせるように、固く口止した。
友人や知り合いに留守を聞かれたら田舎に行った、長期で娘のところに行った、と言ってくれるように頼んだ。
癌と言われたとき、人生に負けた、残念だと思った。もし死に繋がっていたら、楽な治療を受け延命はやめようと覚悟した。
幸い進んだ医学で完治したが、吉村氏は放射線治療で舌癌がなおったあとて、更に膵臓癌がみつかった、その衝撃によく耐えられたとおもう。もし今わたしに別な癌が見つかったら絶望してしまうかもしれない。
わたしは、両親を次々になくした、看取った後の後悔もまだ続いていて重たい。
ただ、友人の、「瀬戸内寂聴さんは、身近なものをなくした時、ああしたらよかった、という後悔のない人はいないと言っていたよ」この一言で、誰も平等に訪れる残されたものの後悔や哀しみに思い当たった。
これが生まれた時平等に持っているという「愛別離苦」かと思った。
よく時が悲しみを薄れさせるなどというがそうではないと思う。
みんなそうなのだという生き物の悲しみが、自分も例外がなく訪れると考えると、表裏一体をなすように喜びもまた準備されているのではないか、と思うことで救われるように思う。喜びはすぐに忘れ哀しみだけに思い煩うことは、半分しか生きていないことにならないだろうか。私は嬉しいことが有るとこれがプラスでアレから引いておこうと思う(笑)
悲しい本を読んだ。
長く避けてきたこういう本に向き合えるようになったことでは、一歩前進した。 -
吉村昭と津村節子がどのように死に向かって対応していくのか、淡々とした描写の中で色々考えさせられるものがあった。
癌の宣告をうけた時、治療の時、最後の時、吉村昭の立場、津村節子の立場、子供の立場、色々な場面で自分ならどうするか?これが出来るだろうか?こうなってしまうのだろうか?と考えさせられた。 -
【吉村昭没後五年を経て書かれた渾身作、待望の文庫化】癌が転移し、自らの死を強く意識する夫を、妻と作家両方の目で見つめ、全身全霊で文学に昇華させた衝撃作。第59回菊池寛賞受賞。
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辛い。
健康に生きるのは簡単じゃないけど、死ぬのはもっと難しい。ちゃんと向き合いたいけど、そんなこと出来るだろうか。
津村さんの本を読んで、吉村さんの本を読んでみたくなりました。