一九七○年の漂泊 (文春文庫 あ 22-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167344023

感想・レビュー・書評

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  • 足立倫行はノンフィクション作家で、最近、その作品、「日本海のイカ」「人、夢に暮らす」等を読み面白かったので、続けて本書を手にとってみた。「1970年の漂泊」という標題の通り、主人公の「僕」の1970年頃の漂泊の物語である。本書はノンフィクションなのか、小説なのか戸惑ったが、あとがきに例えば下記の記述があるので、基本的にはノンフィクションなのだろう。
    【引用】
    ■あくまで七〇年前後における僕という個人の軌跡を追い、その頃つけていた日記をもとに、情熱と欲望といくらかの志に突き動かされて漂い続けていた恥多い自分の青春を再構成してみたにすぎない。
    ■一部の人については仮名を用いた
    【引用終わり】

    1970年前後を背景とするものにはいくつか印象深い本がある。例えば、小熊英二の「1968」、1970年前後の学生運動を扱った学術的なノンフィクションである。庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」をはじめとする4部作は、1969年の春から夏を舞台にしている。三田誠広の「僕って何」も1970年前後の学生運動が背景にある。
    足立倫行も三田誠広も1948年生まれで、早稲田大学に通っていたという共通点がある。二人とも、その当時のことを作品にしているのであるが、内容は随分と異なる。上記の通り、三田誠広が学生運動を背景に小説を書いているのに対して、足立倫行の本作品には、学生運動の話はほとんど登場して来ない。足立倫行の本作品の重要な背景は、海外放浪だ。登場するのは、アメリカ・メキシコ・ロンドン・スペイン等である。
    両方の作品の主人公ともに、甘えていて自分勝手で全く共感できないが、本作品の足立倫行の方が、より共感できない。関心があるのは、自分だけ。もちろん、作者はそれを肯定しようとして本作品を書いたわけではないだろうし、そのことについては、あとがきで「恥多い青春」と書いている。
    物語としては面白い本であったが、共感することが出来ない本だった。

  •  1970年といえば、1ドルが360円だった最後の年。しかも外貨持ち出しは1,000ドルという制限がありました。海外旅行はまだ特別な旅行で、この年開かれた大阪万博は「海外を日本で体験できる」ということで日本中から6400万人もの人が集まりました。そんな時代背景を知ると、大学を中退した若者が世界放浪に出ることの志の高さと無謀さが理解できるのではないでしょうか?

     4年にもおよぶ世界放浪。アリゾナにはじまりメキシコ、ロンドン、スペインとアメリカ〜ヨーロッパを股にかけての旅の記録です。「僕は一時間先が予測できない人生を求めて旅に出たのだ」という作者のいきあたりばったりな旅は、スケジュールをきっちりと決めたいまの旅とはまったく異質のもの。40年前といま、どれだけ旅のスタイルが変わったのか。この本を海外で開くと、その落差に唖然とさせられるはずです。

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著者プロフィール

1948年鳥取県境港市生まれ。早稲田大学政経学部中退。在学中にアメリカや北欧の旅に。70年秋からは約2年間、世界各地を見て回る。沢木耕太郎、吉岡忍らとともに「漂流世代」を代表するノンフィクション作家。

「2021年 『イワナ棲む山里 奥只見物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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