- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167567033
作品紹介・あらすじ
かれらも祖国のために戦ったのだから-。大正初め、徳島のドイツ人俘虜収容所では例のない寛容な処遇がなされた。日本人将兵・市民と俘虜との交歓を実現し、真のサムライと讃えられた会津人・松江豊寿。なぜ彼は陸軍の上層部に逆らっても信念を貫いたのか。国境を越える友愛を描いた直木賞受賞作。ほか二篇。
感想・レビュー・書評
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「真のサムライ」と称された会津人の松江豊寿にまつわる心温まる歴史小説。
松江氏は、教科書レベルでは歴史の表舞台に登場しない人物かもしれないが、このような清廉で筋が通った歴史上の人物の生きざまを学ぶことは大切だと思う。
GWに徳島鳴門市ドイツ館を訪れるつもり。
ちなみに、このような歴史の中で、ベートーヴェンの第九が日本で歌われるようになったのも、この徳島から。
以下抜粋~
・真崎中佐は、俘虜たちを精神的、肉体的に抑圧すべき対象とみなしていた。一方松江中佐は警備兵たちにいかなる暴行も許さず、俘虜たちに対して人道的に接するよう求めつづけた。
この頃、松江はよく語った。
「かれも祖国のために戦ったのだから」
これはむろん、だから戦いがおわってドイツに帰還できる日まで大切に扱ってやるべきだ、という思いーいってみれば、松江個人の「武士の情」に発したことばであった。
松江はまた、「ドイツ人俘虜たちの中には学者や技術者が少なくないから、その指導を受けたい場合は所管の商工会議所を経て申し出よ」と意見具申していた。
・いわゆる「会津降人」に対する薩長藩閥政府の非情さは、戊辰戦争終結後の明治2年春まで会津側戦死者の遺体収容を許さなかった行為にもよくあらわれていた。そのような話を聞いて育ったからこそ、かれは青島からの「ドイツ降人」に対してあえて武士の情を示しつづけたのではなかったか。
・依然として会津差別のつづいていた明治時代にあって、旧藩以来の武勇の伝統を持つ会津人がつける職は、軍人か巡査しかないといわれていた。しかも陸軍幼年学校や士官学校なら授業料は不要だから、貧しい会津の子弟はこぞって軍人をめざしたのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
直木賞受賞作に踊らされ手にとるものの歴史の史実も曖昧のままに頁を捲るだけに終わった。
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松江豊寿のことをさらに知れて良かった。
第九が今も日本で年末に演奏されていることの始まりの出来事。
本を入手するのが困難でした。 -
松江豊寿を知る機会を得て良かった
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表題作。立場の違いを超えて、思いやったり気遣ったり出来るのは、上に立つ者にあってほしい美徳。
それが大将に無かった2作目は、だから忠臣の哀しさ悔しさが描かれていて、切ない。
一つの史実の陰にいくつの名もなき死があったろう。語り継がれることもない大偉業の虚しさが、3作目だろうか。
あまり読み易いものではなかったのは、自分の知識不足によるものかもしれない。かすかに無念。 -
なぜ鳴門で第九が歌われるのか、そのルーツになるドイツ兵と日本人とのお話。
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再読、★2.5だがおまけで。
表題作ってテレビ番組か何かで同じことやってたこともあるのか、何と言うんでしょうか、超えていく感覚が正直無いです。他の2作も何か濃さが足りないんですよね、、直木賞?という感覚はあります。
しかし表題作の題材は熱いものがあります、結局人間の持つ実直さの熱量は古今東西誰をも動かすということかと。主人公も、捕虜も、お墓を無償で守り続ける人も、皆、その心は同じです。