構造主義的日本論 こんな日本でよかったね (文春文庫 う 19-5)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167773076

作品紹介・あらすじ

時間的に後から来たものがすべてを支配する、というのは歴史主義的な考え方で、構造主義は時間の広がりと深みを重んじます。「私とは違う時間の中に生きている人に世界はどのように見えているのか私にはよくわからない」-。そんな謙抑的な知性で、内田センセイと一緒に、こんな日本について考えてみませんか。

感想・レビュー・書評

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  • pp.24-5
    発話の起点は、発話の起点にあるのではなく、発話が終わった後に訴求的に定位される以外には存在しないものなのである。
    ……
    発話主体がまず存在して、それが何かを発語するわけではない。発話主体は発話という行為の事後的効果なのである。
    ……
    「言いたいこと」は「言葉」のあと存在し始める。「私」は、「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始める。

    p.155
    人生はミスマッチである。
    私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
    それでも結構幸福に生きることができる。

    pp272
    愚かしい幻想が合理的な分析よりも強い力を持つことがある。そして、「本当のリアリスト」は、この「愚かしい幻想」の持つ政治的なポテンシャルを決して過小評価しない。「愚かしい幻想」を鼻で笑うのは「三流のリアリスト」 だけである。
    例えば、マルクスはそういう意味で「本当のリアリスト」だったと私は思う。マルクスは「幻想」の力について、次のようなみごとな文章を書き起こしている。
    (以下『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』からの引用)

  • 普段頭を使わないので、フル回転できた。
    書かれたのは少し前なので、今とは違うこともあるけれど、今にも通じることが多々。
    リセットしたくなるのは分かるけど、現実的じゃない。でも、何もかも捨ててそうしたくなるよなあー。

    ・タイプの違う二つのロールモデルがいないと人間は成熟できない。(p.62)
    ・「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。(p.178)
    ・「強い個体」とは「礼儀正しい個体」である。(p.183)

  • 【感想】
    ・内田による「日本文化論」のうちの一冊。
    ・ブログ記事から収集された短文を再構成したもの。
    ・着目点と用語が独特。
      ・本書の用語の独特さのうち六割は無駄な修飾にすぎないので、一般的な用語や表現に変更した方が論旨が明快になる(と私は考えている)。
      ・たとえば「……は日本の奇習なのだ」という言い回しは、複数の書籍で好んで使用されている。残念ながら読者をすこし驚かせる効果しかないので、これを読者側で「マイナールール」等に置換して読んでも問題ない。
    ・レヴィ=ストロースやレヴィナスからの抜粋が多いことからわかるように、構造主義や現象学の知見を部分的に引っ張ってきて、あるテーマを(日本文化論的に)論じるスタイル。
    ・議論が片面的なので説得力は高くない。その反面で面白くはある。
      ・何かを主張する文章の体裁は整っており、高校生向けの「現代文(随筆)」の材料にできる程度のレベルはクリアしている。
      ・それゆえに、日本の作問者たちは堂々と内田樹を現代文に登板させつづけるのだろう。


    【書誌情報】
    こんな日本でよかったね――構造主義的日本論
    著者:内田 樹
    出版社:文藝春秋
    レーベル:文春文庫
    定価:692円(税込)
    発売日:2009年09月04日
    ページ数:320
    判型・造本:文庫判
    発行日:2009年09月10日
    ISBN:978-4-16-777307-6
    Cコード 0195
    [https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167773076]

    【簡易目次】
    1章 制度の起源に向かってーー言語、親族、儀礼、贈与
    2章 ニッポン精神分析ーー平和と安全の国ゆえの精神病理
    3章 生き延びる力ーーコミュニケーションの感度
    4章 日本辺境論ーーこれが日本の生きる道?

  • 1章■制度の起源に向かって
    言語、親族、儀礼、贈与
    2章■ニッポン精神分析
    平和と安全の国ゆえの精神病理
    3章■生き延びる力
    コミュニケーションの感度
    4章■日本辺境論
    これが日本の生きる道?

    ブログのまとめ

  • 内田樹のエッセイをまとめた本。日本の様々な問題点について独自の視点で意見を述べていますが、いろんなメディアに書いたエッセイであるため、一貫性があまりない。読んでいるととても面白いし、分かりやすいけれども、あまり記憶に残らない感じ。

  • Vol.81
    コミュニケーション感度と生き延びる力の関係性?
    http://www.shirayu.com/letter/2010/000159.html

  • 著者の本の中では淡々と読んだほう。

    [more]<blockquote>P42 言葉を単なる主体の思考や美的感懐の表現手段だと考えている人々は,「言葉の力」についに無縁な人々である。

    P49 「分岐点がない言語」というのはストックフレーズのことである。【中略】外国語を学ぶ時に,わたしたちはまず「ストックフレーズ丸暗記」から入る。それは、外国語の運用の最初の実践的目標が「もうわかったよ,君の言いたいことは」と相手に言わせて,コミュニケーションを打ち切ることだからである。【中略】自分が何を言いたいのかあらかじめわかっていて,相手がそれをできるだけ早い段階で察知できるコミュニケーションが外国語のオーラル・コミュニケーションの理想的な形である。それは母語のコミュニケーションが理想とするものとは違う。

    P71 「もう存在しない他者」「まだ存在しない他者」の現時的な不在を「欠如」として感じ取ることは人間が種として生き延びるために不可欠の能力である。この能力の重要性を過小評価すべきではないと私は思う。

    P97 目の前に「なまもの」がある時に,とりあえず「手が勝手に動いておろしてしまう」というのが機能主義者の骨法である。だから「原理主義はダメだ」というようなことを機能主義者は決して言わない。「原理主義はダメだ」というのはもう一つの原理主義である。

    P163 責任を取るつもりでいる人間が自前の「生身」を差し出している限り,常識的に考えてありえないような度の過ぎたルール違反はなされない。「度が過ぎる」のはいつだって「前任からの申し送り」を前例として受け入れ,その違法性について検証する気のないテクノクラートたちである。

    P174 システムをクラッシュさせた責任は「起源」にはない。「誰に責任があるのだ」と声を荒げる人間たちだけがいて,「それは私の責任です」という人間が一人もいないようなシステムを構築したことにある。

    P195 労働条件が劣化し,消費欲望だけが更新し,性差の社会的な価値が切り下げられた社会に投じられれば,遠からず労働者たちは結婚も出産もしなくなるだろうしそもそもエロス的関係の構築に手持ちのわずかばかりの生物資源を投じなくなるだろうという蓋然性の高い未来予測をグローバリストたちは見落とした。

    P209 自分の手で未来を切り開けるということはない。当然ながら100種類の願望を抱いていた人間は,一種類の願望しか抱いていない人間よりも「願望達成比率」が100倍高い。大方の人は誤解しているが,願望達成の可能性は,本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。
    未来の未知性に敬意を抱くものはいずれ「宿命」に出会う。未来を既知の図面に従わせようとするものは決して「宿命」には出会わない。

    P247 ある種の「病」に罹患することによって,生体メカニズムが好調になるという事がある。だったらそれでいいじゃないか,というのが私のプラグマティズムである。

    P249 どのようなトラブルについても、最初にしなければならないのは「被害評価」である。【中略】これは極めてテクニカルで計量的な仕事である。悲壮な表情で悲憤慷慨しつつやる仕事ではない。過剰な感情はほとんどの場合,評価を正確にすることには役立たないからである。

    P254 社会成員の全員が,自分でコントロールし,自分でデザインできる範囲の社会システムの断片を持ち寄って,それをとりあえず「ちゃんと機能している」状態に保持すること。私たちが社会をよくするためにできるのは「それだけ」である。「社会を一気によくしようとする」試みは必ず失敗する。

    P275 「荒唐無稽な幻想はそうでない未来計画よりも現実化する可能性が低い」という命題には同意しない。

    P280 だから日本は「毒の回りが速い」のである。「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。

    P295 構造主義的なものの見方というのは,私たちの日常的な現象のうち,類的水準にあるものと,民族誌的水準にあるものを識別する知的習慣のことであると言えるのではないでしょうか。</blockquote>

  • 37

  • 買い置きしていたが、濡れかかっていたので急きょ読み通す。この人の本、やはり面白い。 2000年代の空気感がよくわかる。

  • 散文的で読みづらい。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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