ナイルパーチの女子会 (文春文庫 ゆ 9-3)

著者 :
  • 文藝春秋
3.62
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167910129

感想・レビュー・書評

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  • ○ 途中で読むのを何度もやめたいと思った。
    ○ 吐き気のするような気持ち悪さに襲われ、気が狂いそうになった。
    ○ こんな辛い思いをするくらいなら読書をやめたいと思った。

    読書を始めて数ヶ月、主に女性作家の小説ばかり200数十冊を読んできた私ですが、読書がこんなに辛いものだと感じる作品に出会うことになろうとは思いませんでした。嫌な気持ちになるということでは、私の場合、湊かなえさんの作品を20冊くらい読んできましたし、辻村深月さんの黒辻村と呼ばれる作品も読みました。しかし、ここまで気持ちの悪い思いをした読書は初めてでした。この作品はホラーでもなければ、人が死ぬわけでもありません。そこで描かれるのは、女性のドロドロとした心の闇です。『何故、こんなにも自分は他者を求めているのに、他者に拒絶されてしまうのか』という問いに狂おしく自問し続ける、この作品はそんな女性が狂気に取り憑かれていく壮絶な物語です。

    『国内最大手の商社、中丸商事大手町本社ビルの十九階フロア半分を占領する、食品事業営業部は朝六時から七時の間は完全に無人だ』という早朝のオフィスで仕事を始めたのは入社8年目、今年で30歳になる志村栄利子。『年収一千万をとうに超した』栄利子は『この世の中で一番価値があるのは「時間」だ』と言い切り早朝の誰にも邪魔されない時間を大切にします。『コンビニ食を片手にメールをチェック』しているそんな時『女子高生みたいなもん、食ってるな、しむら。太るぞ』と声をかけるのは水産チームの同僚・杉下康行。『おはよう。あ、このパンね。ブログで紹介されていたの。やっと手に入れたんだ』と答える栄利子は『おひょうさんのダメ奥さん日記』というブログを見せます。『へー、奥さんブログ?独身の志村が読んで、なにが面白いんだ?』という康行に『等身大なところがいいじゃない。なんだか、可愛いなって思う。時間がたっぷりゆっくり流れているところも好き』と答える栄利子。ブログの中に回転寿司を食べる『おひょう』という名を見つけ、ひらめの代用として『えんがわ』として出される『おひょう』のことを話題にする康行は『今月からナイルパーチ担当だろ。こんなに回転寿司だのファミレスだのが好きな女なら、お前の取引した魚がいつか彼女の口に入るんじゃないか?』と代用魚、偽装魚として有名なナイルパーチのことを出してからかいます。『おひょうさんとはいい友達になれる気がする』と言う栄利子は『うちが近所っぽいんだよね』とブログの写真や内容から『おひょうさん』の住まいが自宅の近所であると説明します。『そういうことに詳しくなるのってちょっと嫌だな。お前、ストーカーみたいだろ』と警告する康行。『ほどほどにしなよ』と席に戻ります。
    一方、『一応、今日会う相手はマスコミ人種なので、知っている中で一番洒落たカフェを指定した』と先に着いて席でブログを更新するのは丸尾翔子。現れた秀茗社の花井里子はブログの書籍化を勧めます。『編集者から声が掛かるなんてすごいよ』と夫に言われてきたもののその場でも決めきれなかった翔子。そんな花井が去った後のことでした。『あの、ひょっとして、あなた…、「おひょうさん」ですか? 私、あなたのブログの大ファンなんです!』と声をかけられた翔子。差し出された名刺には『志村栄利子』という名前がありました。そんな偶然が導いた運命的な出会いが二人の未来を大きく揺さぶっていきます。

    『おひょうさんのダメ奥さん日記』というブログの書き手と読み手という立場から交流が始まった二人のそれからを描いていくこの作品。栄利子と翔子という二人の主人公視点が35章に渡ってどんどん切り替わっていきます。その冒頭は極めて平和そのもの。『「先手を打つ」のは商社マンにとって大切な資質のうちの一つ』と『少女の頃から、なにごとも先取りするのが好きだった』という栄利子、30歳で『年収一千万をとうに超した今』という商社での順風満帆な生活が描かれるその冒頭は、この先に展開するおぞましい物語を微塵も感じさせない明るさです。そんな明るさに影が差すのが、栄利子が翔子のブログに対する異常な執着心を見せる時からです。程なく交流を始めた栄利子と翔子ですが、約束もしていないある日、偶然にファミレスで遭遇します。あまりの偶然に驚きのあまり立ちすくむ翔子は『どうして、私がここに来るって分かったの』と聞きます。それに対して『だって、ほら。四時に更新したブログに、今夜はご主人が飲み会ってあったじゃない』とブログの内容を持ち出す栄利子。『ご主人が遅い夜は、だいたいファミレスでドリアとワインでしょ?8月20日も9月14日も26日もそう』と過去のブログの内容を持ち出し、『だから、今日も待ってればきっとここに来ると思ったの』と結論する栄利子!そんな怖すぎる展開に『ちょっと異常だって思わない?』と言う翔子は『それ…、ストーカーみたいだよ』と言い切ります。それに対して『違うって。私はただ、あなたとちゃんと話したいだけだってば』と返す栄利子。論点がずれていることに気付かない栄利子。しかし、その第一人称視点から読む限りは栄利子の考え自体が異常をきたしているような印象も受けません。でも一方で、翔子視点、そして一読者として読む感覚からは非常に怖い、これは怖い!怖すぎます!としか言えない恐ろしさです。まさしく、”そして、ストーカーが始まった”という起点を見せられているような印象しか受けません。そんな”怖い人”の第一人称視点が回ってくる、それを読まなければいけない読書。これがこの作品の怖さ、そして苦痛の根源にあるように感じました。そんな読者は後半になって、第一人称視点が切り替わっても恐怖からは逃れられない、誰にも感情移入などできない恐ろしい闇をひたすらに彷徨わせられる苦行の読書を強いられていきます。

    日常生活において『人との距離を測りかねて空回りする』ということは多かれ少なかれ誰しも経験することだと思います。そんな中では『いつの間にか、自分がどう思うかより、他人にどう思われるかの方が重要になっていた』という言葉にドキッとさせられる自分を感じます。特に会社組織の中でいるとこの感覚が麻痺していくようにも思います。そして、この作品ではそんな他者との関係について主として女性同士の人間関係を徹底的に描いていきます。『男女と違って、明確な終わりを設定しにくいのが同性との関係なのだ』と書く柚木さん。そんな女性同士の関係を築くのが苦手な栄利子は『疎まれている。自分はずっと、思春期の頃からずっと、同性に疎まれてきた』と同性の友達ができないことを悩み続けてきました。『口惜しいけれど、どんなに賢かろうが美しかろうが、同性の友達が出来る人には出来る』とまで言いきる栄利子。そんな栄利子が翔子と知り合えたことを『普段の景色がほんの少しだけ違って見える。自分の新たな一面を発見できる。ささやかだけど、胸が躍る変化』と喜ぶのは必然。『たった一人でも女友達がいるだけで、己の色や形がくっきりとなぞられ、存在に自信が湧いてくる』という感覚。だからこそ『二度と翔子を離すまい、と思った』という強い思いが紙一重に付き纏います。そんな中で『自分がしていることが相手にどう映るか、振り返ってみるということがなくなる』という結果論、そして『何故、こんなにも自分は他者を求めているのに、他者に拒絶されてしまうのか』という強烈な心の悶えに苦しむ感覚。そして、その先に見えてくるストーカーへの道。このあたりは言いたいことは理解できるけれども理解したくないという相反する感情を強烈に刺激される、なかなかに狂おしいものを感じさせられました。

    二人の女性が仲良く並ぶ柔らかい絵が表紙に描かれたこの作品。そして『お腹が減るとすぐに共食いをする』という凶暴さを隠し持った『ナイルパーチ』という肉食魚の名前を冠するこの作品。『似たもの同士で親しくしていても、飽和状態が続けば、やっぱり殺し合いになる』というそんな肉食魚にも例えられる恐ろしさを秘めた人の心の内側。

    全くの他人事、作り話などと決して笑い飛ばせないその生々しい内容に、人が生きていくことの怖さと恐ろしさ、そして辛さを感じさせられた究極の一冊。こんな人の狂気に触れる作品は二度と読むものか!と決めた一冊。そして柚木さんの作品を完読するぞ!と決めた一冊でした。

    • さてさてさん
      りまのさん、ありがとうございます。
      はい、まだ残っています。笑われそうですが(笑)
      りまのさん、ありがとうございます。
      はい、まだ残っています。笑われそうですが(笑)
      2020/08/20
    • りまのさん
      コメントいただき、ありがとうございます!
      コメントいただき、ありがとうございます!
      2020/08/20
    • りまのさん
      いるかさん、いるかさん?
      いるかさん、いるかさん?
      2020/08/21
  • P164「この世界で何よりも価値があるのは、共感だ、と思う」

    栄利子と翔子、どちらかにすごく共感して、どちらかにはそんなに共感できない、とかじゃなく。
    どちらかのある一部にものすごく共感する。だけどその人のある部分は嫌い、怖い。
    それが栄利子にもあるし、翔子にもあるという、不思議な作品。
    解説の言葉を借りると、P397「読者一人ひとりの中にある『栄利子のような部分』『翔子に似たところ』をえぐっていく」

    ※抜粋形式にしましたので、長くなります※

    P48「余計な親切は自らの首を絞める」「動いた方の負け」
    全体が、見えてしまうのだ。「ああ、あそこで生徒が困っている→でもAさんが対応しているからわたしは今の自分の仕事を続けよう→あ、でもAさん分からなさそう、わたしなら対応できる内容だな、声かけたほうがいいのかな→でもAさんはどうにか自力で解決しようとしてる、確かにその方が覚えるよな→Aさんがわたしのところに質問に来てくれたら対応しよう、うん、そうしよう→あれ?結局自分の仕事全然すすんでない」
    たぶんわたしは、視野が広い。だから、その視野に入り込んでくる、様々なことが気になって仕方ない。「気にするな」ができないタイプだ。だから、仕事中気になることがあったとして、他の誰かが対応していたら安心して自分の仕事に集中すればいいのに、こんな風にあれこれと考えてしまい、結局困っている生徒や同僚の力になれていないどころか、自分の仕事もはかどっていない、という顛末である。
    わたしは昔、この「見える力」を使って「最終的にはnaonaonao16gがなんとかしてくれる」みたいなポジションになってしまって、パンクしたことがある。最近はそれなりの「スルーする力」を身につけたわけだけど、だからと言って「見える力」っていうのは衰えるわけじゃない。「スルーする力」は「見える力」に成り代わるものではなくって、武器のようなものなんだよな。

    P130「日本人が女性に要求するクオリティの高さは、世界規模で見れば蒸気を逸していると思う。まったくなんと多くのことが当然のように求められるのだろう。異性の評価、貞淑、若さ、落ち着き、仕事、趣味、笑顔、スタイル、雰囲気、心配り…。そして同性の評価。同性に好かれない女に価値はない、という風潮は年々高まっている気がする」
    ここを読んだ時に、柚木さんの「BUTTER」が過った。本作品の中で、わたしが最も「フェミニズム」を感じた箇所だ。解説でも「BUTER」に触れられており、柚木さん作品はフェミニズムと切っても切れない関係にある。

    P136「許しあい、緊張を解いて、家族以外の誰かと向き合いたい。映画を一緒に観たり、お茶を飲みながら悩みを打ち明け、体調を心配し合い、いつかは互いの結婚式に呼び合う。趣味や喜びを分かち合い、話したい時に話したいだけ長電話をする。そんな相手が、この世界にたった一人でいいからほしいだけなのだ。それはそんなに贅沢な願いなのだろうか」「ねえ、友達ってどうやって作ればいいの?時々うっとうしくならないの?疎遠にならないコツってあるの?避けられた時はどんな風に距離を詰めるの?」
    時々うっとうしくなる距離感になったらそっと距離を置くの。疎遠になってしまったらそれまでなの。でも、疎遠になりたくないんだったら、連絡をすればいいよ。だけど、それで返事がなかったら、追わないの。避けられた、と思ったら、距離を詰めないこと。「どうやって距離を詰めるの?」なんて、なんで距離を詰めることが前提なのよ。そうやって距離を詰めたら誰だって息苦しくなるでしょう。許しあいたいなら、まずは許してあげないと。

    とか、こんなに偉そうにお悩み相談やっといてあれなんだけどさ。
    わたしは栄利子が女友達とうまく距離をとれないのと同じように、好きな男の子との距離感をうまく取れない。
    自分と他人との境界がどんどん曖昧になっていく。踏み込んではいけない他人の領域にどんどん踏み込んでいく。
    なんで連絡が取れないのだろうと不安がり、やがてエスカレートする。
    痛いほどに理解出来る気持ちを、しかし冷静に怖がる自分もいる。
    この詰まった距離感でもって他人から来られたら酷く怖いのに、なぜかそういうことをしてしまう。
    顔色を窺っている?自分だけを見ていてほしい?なぜそれが「怖い」ことに気付かない?
    相手のことで頭の中がいっぱいになっている。
    優先席にダッシュで座る栄利子のシーンが印象的だ。頭の中が、他者に支配されているのだ。マトモな判断なんて、できるわけがない。
    今までこんな「怖い」自分の姿を、作品なんかで鏡のように見てきて、変わりたい⇔変わりたくないを繰り返してきてけれど、わたしは今ようやく「変わりたい」と、しっかりと思えるようになってきた。
    これまで、その変化は作品への理解の低下に繋がるのではないかと思ってしまってて、変わることが怖かったのだけれど、たぶんわたしは、変わっても彼女たちの気持ちが理解できるだろう。そう、それは先ほどの「スルーする力」が「見える力」に成り代わるのではなく、武器になるのとおんなじで、変わる前の自分が完全になくなるわけじゃないのだ。成り代わるわけじゃない。変わった自分が、武器になるのだ。

    続けるよ。

    P208「恵まれていることに無頓着だから、やたらと人に厳しくて、周りがよく見えないんだろうね」
    恵まれていることで得られる多くのもの。例えば、選択肢。だけど、恵まれている、という状況は、自分で気付いていかなくてはいけないもの、自分でやらなくてはいけないことをしなくていいまま通り過ぎてしまうこともあるってこと。要するに、「甘え」だ。
    P371「言わなくても感じ取ってもらえると思い込み、何もしないでいることほど傲慢なことはない。コミュニケーションを怠けることが、どれほど周りの人間を混乱させ、傷つけるか」
    わたしも甘えてた。祖母が食卓で魚の骨を綺麗にとってくれることを、甘受していた。でも母は「自分でやりなさい」と言っていた。それでよかったのだ。他人は、わたしが魚の骨をとってほしいと思っているなんて、知らない。それを「察して」もらうなんて不可能だ。厳しかった母へ、今は感謝をしたい。
    P375「面倒くさいっていうのは、結局自分が一番可愛くて、自分以外の誰かのために一分だって時間を割きたくないってことなんだよ」「あなたの気持ちを盛り上げて許し、孤独を救い、何かあるように錯覚させてくれる誰かはもうこの世界には一人も居ないんだよ」
    コミュニケーションを、人に何かを伝えることを、怠っちゃいけない。そのためにも、「自分がどう思うか」っていう自分の感情をしっかり分かっていることと、「相手がどう思うか」っていう視点は大切で、昨今の正論ブームは、もう一度ここに目を向けるべきだと思う。

    P267「友達そのものではなく、『友達がいる自分』というものが、彼女が求めてやまないものなのだ」
    わたしは、年齢にしては友達が多い方なのかもしれない。だけど、コロナ禍になって明らかに友達が減った気がする。ただでさえ結婚や出産は女性同士だと疎遠になるきっかけの一つなのに、コロナ禍にそれらを経た友人には完全に会う機会を逃してしまって、わたしは70歳になった時に茶飲み友達がいるのかと、少し不安になっている。

    P298「合わないものに見切りをつけてパッと手を放すことができたら、どんなに楽に生きられるだろう」
    早く、依存したり執着したりする生き方から解放されたい。変わりたい。

    学生の頃読んでいたゴリゴリの社会派小説から10年くらいを経て、日常をたゆたうような、あるいは日常をぶち壊すような心情を描いた女性作家の作品へと変化したように、またわたしが選びとる作品に変化があらわれるかもしれない。
    それはそれで面白いかもしれない。
    怖いと感じていた変化を、面白いと感じられるようになるかもしれない。

    自分自身と好きな人を苦しめるよりも。
    好きじゃない人と一緒にいるよりも。
    それは、素晴らしいことなのかもしれない。

    • たけさん
      naonaoさん、おつかれさまです。
      いろいろと抉られて、心が疲れる作品ですよね。
      栄利子と翔子、両方に共感できつつ嫌い怖い。
      柚木さんでな...
      naonaoさん、おつかれさまです。
      いろいろと抉られて、心が疲れる作品ですよね。
      栄利子と翔子、両方に共感できつつ嫌い怖い。
      柚木さんでないと書けない人物像なのではないでしょうか?

      あと、確かに柚木さん作品は、フェミニズムと切っても切れない関係にあると思います。僕が最近読んだ「本屋さんのダイアナ」でも感じました。

      余談ですが「ダイアナ」は第151回の、「ナイルパーチ」は第153回の直木賞候補作なんですね。「ダイアナ」で厳しい選評を受けて、それを糧に「ナイルパーチ」を書いたとのこと。

      そういう意味では姉妹のような2作品なのかも。性格は正反対ですが、僕は両方好きです。
      2021/12/04
    • naonaonao16gさん
      たけさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      解説にもあったのですが、派遣社員の真織のキャラクターも強烈でした。
      ...
      たけさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      解説にもあったのですが、派遣社員の真織のキャラクターも強烈でした。
      かなり極端に描かれてはいますが、確かに結婚式という場は、自分だけでなく、自分の友達を披露する総本山のような場でもあるよなぁ、と思ってました。

      「本屋さんのダイアナ」、全然毛色が違う作品だと思っていましたが、なるほど、共通点は多そうですね。
      「伊藤くんAtoE」、確か映像で岡田将生くんがやっていた気がして、ずーーーーっと気になってるんですが、アマプラで観れないんですよね~
      2021/12/05
  • ブクログのレビュー読んでずっと気になっていた本。
    本屋さんで気が向くと文庫本を探してたのだが、なかなか出会えなかった。3カ月越しでようやく遭遇でき、即購入。

    多くの方がレビューで書いているとおり大変恐ろし〜い小説。心が抉られる場面が随所にあり、全身で反応してへとへとになる。

    収入は高いが仕事はハードな大手商社に勤める志村栄利子(30歳)は、ダメな主婦のおひょうこと丸尾翔子のブログを読むこと。
    偶然にも近所に住んでいた栄利子と翔子はある日カフェで出会う。同性の友達がいない二人は親しくなるが…おそろしいことになっちゃうんです。

    主な登場人物は、栄利子も祥子も桂子も真織も結構極端。だから、あまり「女子だから」とか一般化しない方がいい。そりゃ、女子は怖い…かもしれないけどさ…。
    というか、女子に限らず、男性でも、みんな少しずつ、他人へのいびつな期待を持っていて、そんな自分と戦いながら生きている。
    負けたらストーカーになったり、人を激しく傷つけてしまうかもって、必死に頑張っている。

    たいていの人は、辛うじてまともを保っている。
    そんな感じなんじゃないのかな。

    だから、親しい友達が持てなくても、それは別に自分のせいじゃない。
    周りの環境のせいだ。

    タイトルになっているナイルパーチという魚は、生態系の頂点に君臨し、他の魚が攻撃できないほど大型化する。繁殖力が高く水産資源として重要な役割を持つ一方で、侵略的外来種の指定を受けるなど管理が必要な魚とされている。
    過去にヴィクトリア湖の生態系を破壊し尽くした、悪い魚だけど、それは人間が食用として放流したせいであって、ナイルパーチ自体に罪はない。

    人間関係も同じ。

    そう考えれば結構楽なのでは。

    読みながら、
    他人と過去は自分の思い通りにならない。
    思い通りにできるかもしれないのは、自分と未来…なんてアドラー的なことが思い浮かんだ。

    全体とおして、なかなか辛いんだけど、最後は少し救いがある。
    僕はこの小説、とても好きです。

    • naonaonao16gさん
      たけさん

      こんばんは。

      なかなかこの作品のレビューを書く時間がとれず、やっとあげられました。

      ナイルパーチ自身ではなう、ナイルパーチが...
      たけさん

      こんばんは。

      なかなかこの作品のレビューを書く時間がとれず、やっとあげられました。

      ナイルパーチ自身ではなう、ナイルパーチがいた環境がよくないのであって、人間関係も同じ。
      過去と他人は思い通りにならない。
      まさにその通りですね。
      環境を変えるか、自分が変わるか。

      実はアドラー、読んだことなんですよね。
      2021/12/04
    • たけさん
      naonao さん、読まれましたか!

      レビュー読ませていただきます!

      僕もアドラーは「嫌われる勇気」みたいな初心者向け解説本しか読んだこ...
      naonao さん、読まれましたか!

      レビュー読ませていただきます!

      僕もアドラーは「嫌われる勇気」みたいな初心者向け解説本しか読んだことないです笑
      2021/12/04
  •  「ナイルパーチ」は、癖のない淡白な味わいからは想像もつかないほどの凶暴性を持つ肉食魚。アフリカのビクトリア湖に放流したところ、短期間で200種類以上もの魚を絶滅させてしまったという。

     人は常に人を求めてしまう。「女子会」というタイトルの通り、女性の人間関係が主に描かれているのだが、翔子の父親も、杉下もまた、人を求めて苦しむ。
     傷ついた自分に共感してくれる人。自分の中にあるコンプレックスに触れることのない人。自己満足を満たしてくれる人。それを友達と呼ぶのだろうか。「友達がたくさんいる」ということは美点のように言われるが、はたしてそうなのだろうか。
     友だちというものに対する過度の期待、依存は、栄利子を、翔子をどんどん狂わせていく。さらに真織の狂気は、まさにナイルパーチそのものになる。

    「一瞬でもその場を楽しくする花火みたいな社交性が、楽天的な調子の良さが、次には繋がらないかもしれない小さな約束が、根本的な解決にはならなくても、実は通りすがりのいろんな人を救っているんじゃないかな。その一瞬だけでも十分なんじゃないかな。」と圭子は言う。そして栄利子はファミレスを「ひとときの温もりらしき何かをくれた場所」と認識して物語は締めくくられる。人との距離感は難しい。いつもわかってくれる人と思える人はほしいけれど、過度の期待がお互いをだめにしてしまったりする。どんなに小さなものでも、自分に温もりを与えてくれる存在があることに目を向けるのもいいかな。

    • よんよんさん
      naonaoさ~ん 
       お元気ですか。暑い日が続いています。くれぐれも無理されないようにしてください。
       読後、またまたnaonaoさん...
      naonaoさ~ん 
       お元気ですか。暑い日が続いています。くれぐれも無理されないようにしてください。
       読後、またまたnaonaoさんのレビューを読み返しました。やはり人との距離感は難しいですね。自分としては栄利子にちょっと自分との共通点を見てしまった感じです。スポ根漫画のチームメイトみたいに、いっしょに辛い練習を耐え、勝利をつかんで、ともに涙を流すとか(ずっと個人種目しかやらないので)、女性誌の特集にあるような女子旅でのとぎれることのないおしゃべりをするとかいうような、濃い人間関係に憧れをもっていた気がします。は~っ…ストーカーにならないようにしないと。人の顔色を気にするのでたぶん大丈夫だと思いますが。
       
      2023/07/29
    • naonaonao16gさん
      よんよんさん、こんばんはー!

      なんとか日常を取り戻しています!
      ご心配おかけしました…
      でも油断大敵で過ごしています。

      わたしも自分のレ...
      よんよんさん、こんばんはー!

      なんとか日常を取り戻しています!
      ご心配おかけしました…
      でも油断大敵で過ごしています。

      わたしも自分のレビュー改めて見たのですが、長くて疲れますね。よんよんさんもきっと疲れましたよね、すみません。

      自分のレビューにも描いてるんですけど。
      どちらにも共感できる部分があったのをすごい覚えています。
      で、他の方が複数「友達にやるのは怖いけど好きな人にはやりがちじゃない?」みたいなレビューを描かれていたのが印象的です。
      わたしもまさにそのタイプで…笑

      でもそんなわたしも最近は成長して、気になる人とはいえ、距離感が合わない人とは、無理に合わせるのではなくこちらから距離を置いたり、仕事とかでどうしても嫌いな人と関わらないといけない時は、ニコニコしながらも心の中では暴言を吐く、みたいな器用なことができるようになってきました。

      わたしもすごく強い人間関係って憧れていましたが、大人になると、それがすごく苦しいことにもなると学びました。仲のいい友人数人と、それなりに長く付き合い続けられたらいいな、と思います。ブクログもそういう存在になりつつあります。
      2023/07/29
    • よんよんさん
      naonaoさ~ん
       ありがとうございます。ニコニコしながら心で暴言(^^♪ いいですね~
      私の場合、すぐ顔に出てしまったり、嫌な人は避...
      naonaoさ~ん
       ありがとうございます。ニコニコしながら心で暴言(^^♪ いいですね~
      私の場合、すぐ顔に出てしまったり、嫌な人は避けてしまったり、もしくは自分の言動に原因を求めて落ち込んだり…。とっぷり大人な年齢なのに、なかなか大人な対応ができずにいます。
       すごく強い人間関係が苦しいことにもなるって、かなり心に沁みました。
      2023/07/30
  • 黒い…ドス黒かった…笑
    女だからこそ分かるって言って良いのわからないけど、栄利子と翔子のどっちのタイプもいるいる。あるある。
    なんならそういう面、自分にもあるある!悲

    読んでる途中でも あぁ…それ言ったら(やったら)ダメなやつ…!
    が多すぎて、なんかハラハラしながら読んでた笑
    栄利子と翔子はもちろん、他の登場人物とのやりとりとかも、リアルに起きそうなことばかりで、人間関係の在り方についてすごく考えてしまった。

    最後は嫌な終わり方じゃなくてよかった。
    みんな幸せになってくれたらいいなーと思う。

    黒柚木さんの意味がすごくわかる1冊でした!
    ご紹介くださったブクトモ様感謝です☆

  • 私ふくめ他者との交流が下手だったり生きづらさを感じている人にとっては、どんなホラー小説より恐ろしくなる一冊。
    特にお寿司屋さんやホテルのシーンでは、言語化できない違和感と恐怖、そして悲しみが溢れるばかり。小さくても同じようなことは日常で多々起きてるんだろうなぁ。読んで1ヶ月たちますが、今だにあの時のなんとも言えない感情は生々しいばかりです。
    筆者は「アッコちゃん」シリーズで知ったのですが、あんなに人を元気にできる作品をかける人は、同時にどん底まで落とせる作品もかけるのか…と痛感しました。
    そんなどん底読者に華々しいハッピーエンドは与えてくれないけど、でも一歩一歩あゆんでいこうと奇妙な開き直りを覚える読後感。

  • 痛い、痛い、痛いーっ!

    今まで読んだ柚木麻子イチ、ヤバイっす。

    女友達との距離感が分からない、お嬢様キャリアOL栄利子。(まあ、読んでいく内に、男友達との距離感も分かっていない感があるけど)
    家が恵まれていて、お金もあって、仕事も出来て、見た目もキレイだけれど、女友達が出来ない。
    そんな栄利子が、お気に入り主婦ブロガーの翔子と出会ってからの、怒涛のストーカーぶりにまずはドン引きしましょう。

    連絡が取れなければメールラッシュ。
    どころか、突然の自宅押し掛け。
    話を合わせてくれないと不機嫌に。
    でもって後からゴメンねラッシュ。

    そうです。
    まさに「メンドクサイ女」のテンプレートと化していく。
    これ、男女の関係でもあるよね。
    そんなヤツだと思ってなかったと言われるまでの、変型を成し遂げてしまう人。

    しかし。これが女同士になると、不思議なことに関係を薄くすることは出来ても、バチっと断ち切ることが難しくなるのかな、と思った。
    同性だから、ずっと、分かり合えるのではないか。
    同じ視点で話が出来るんじゃないか。
    愛情ではなく絆なら、一生続くのではないか。

    ……何より、群れることの出来ない女は、欠陥品なのではないか。

    そんな幻想と恐怖の中で、栄利子は翔子を脅してまでも、親友としての契約を結ぶ。
    また、友達作れる側女子として登場する真織でさえ、自身の結婚式を親友たちへの生贄として捧げるために奮闘?する。

    女性タレントでも、同性に慕われる人とまったく受け入れられない人に分かれたりするけど(そして、同性に支持されることは一種のステータスにさえなるけど)あれって一体何なんだろう。
    女同士のもつれ合いヒエラルキーに、極力関わりたくないんだよな……と思ってしまう私は、ちょっと栄利子側に踏み込んでるんだろうな(笑)

    群れなくても自分一人でやっていける、と言い切れない弱さが、女性という立場にはあるのかもしれない。

    解説の重松清は『BUTTER』と重ね合わせて読んでいたけれど、私は『コンビニ人間』を思い出しました。
    普通であろうともがく、歪さ。
    自分の世界の押しつけか、相手の世界の押しつけという、ワンサイドゲームしか知らない関係。
    ただ、醜い衝突を繰り返すことで、おぼろげながら関わりの「形」を見つけ出しているようにも思う。
    そこを救いとして読めるといいな。

  • 英利子 商社の正社員 
        東京生まれ、東京育ち
        両親と同居 独身

    翔子  ブロガー
        地方出身
        既婚 子供なし

    真織  商社派遣社員
        母子家庭で育つ

    英利子には、友人がいない。
    友人が欲しい。親友が居れば、全てが解決出来る、と思い込んでいる。
    翔子のブログを見つけ、親友になろうと奔走する。

    ブロガー翔子も、友人がいない。

    真織は、生活するのがやっとで、裕福な人と結婚をして、安定した結婚生活をする事が、全て。しかし女子達とは、上手く関係を作る事が出来る。

    ☆人とわかり合えること
    ☆人に共感する事
    ☆人に共感される事
    これら全てを得る、大変さ、苦しさ。

    悩み事がある時、ずっと考え続けていると止められなくなり、いつまでも堂々巡りという事が有る(特による)

    そんな時の解決法の一つに、読書がある、と思う。
    悩み事とは関係がないと思って読み始めた本でも、「そうなんだ、そうだよね」
    という自分なりの 解 を見つける事は、よくある。
    これも、「共感」というのかな。

    柚木さんの人間を描く小説は、自分の中に有る、色々な部分をデフォルメして、
    見せてくれる解説書であり、お悩み相談室?かも知れない。

  • 読み進めるのがとても辛い作品だった。自分の中にいる栄利子や翔子、圭子のような感情が奔流となって押し流される...。○○が豹変してからの怒涛の展開に胸が苦しくなる。こんな作品に触れてしまったら他作品も読まなあかんだろうと思わせてくれる一冊。

  • 読んでいて、あー分かるこういう女子いるよねー!と思う反面、自分にも当てはまってしまう部分がありゾッとしました。誰かに助けを求めたくなる女社会。水の中で身動きができなくなるような感覚。

    この小説のタイトルである、ナイルパーチのビクトリア湖の悲劇を調べてみた。
    当時淡水魚の乱獲によって漁獲量が減少したため、苦肉の策で人々はナイルパーチを放流。ナイルパーチが増えて、給食やファストフードにも使用されたため良い策だと思っていたが、肉食であるナイルパーチはビクトリア湖の生態系を破壊していった。

    (p.68)自覚してない、だけどどこかで出会っている。それがナイルパーチ。
    (p.70)湖に放たなければ…。ナイルパーチも一生、自分が凶暴だなんて気付かなかったのにね。

    “社会”という湖に放たれて、世間とのズレに気づいてしまう人。そのためにどんどんおかしくなっていく。そんなお話なんだと思いました。

    ●3人の女性登場人物
    栄利子…キャリアウーマン。翔子のブログのファン。憧れの翔子と知り合い、ストーカーのようになっていく。自分は何かおかしいと頭の片隅で分かっているも、周りがおかしいと決めつけ変わろうとしない。

    翔子…仕事をせず、ブログをのんびり書く。頑張りすぎない生活を送る女性。仕事をする栄利子に憧れていたが次第にストーカー化する栄利子に恐怖を感じる。「何もしない自分」のままでいいのか思い悩む。

    圭子…栄利子の同級生。ニート。何をするにも面倒で、何もしないことがモットー。翔子に共感を求め近く。


    この3人が、どのように変化していくかが見ものです。最後少しぞっとするシーンがあります。

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著者プロフィール

1981年生まれ。大学を卒業したあと、お菓子をつくる会社で働きながら、小説を書きはじめる。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を書きつづける。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞と、高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞。ほかの小説に、「ランチのアッコちゃん」シリーズ(双葉文庫)、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』(どちらも新潮文庫)、『らんたん』(小学館)など。エッセイに『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)など。本書がはじめての児童小説。

「2023年 『マリはすてきじゃない魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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