勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫 ち 9-1)
- 文藝春秋 (2020年3月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167914639
作品紹介・あらすじ
勉強ができるようになるためには、変身が必要だ。勉強とは、かつての自分を失うことである。深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、それは恐るべき快楽に身を浸すことである。そして何か新しい生き方を求めるときが、勉強に取り組む最高のチャンスとなる。日本の思想界をリードする気鋭の哲学者が、独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論!文庫本書き下ろしの「補章」が加わった完全版。
感想・レビュー・書評
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大体の構造は理解できたけど難しかった
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この本を読み始めた時、
「なんでわざわざこんなわけ分からん言葉ばっか出してくるんだ?」
と心の底から思った。もっと噛み砕いて、読者が実感を伴いやすいような言葉を使ってくれと。
でも、読み進めるうちに、これこそが本書が伝えたいことなんだと理解した。勉強するということすなわち、新しいコードに入り込んでいくということの意味を、この本全体を通して伝えていたのだと思う。
言語の他者性と環境のコードに立脚した”勉強”の捉え方は自分にとってまさしく今までのコードの破壊であり、新しいコードとの出会いであったと言えるだろう。
アイロニーとユーモアと享楽的こだわりによる結論の仮固定と比較の継続を持って、ノリの悪いキモいバカを目指してみようか。 -
自分の固定的な世界観を広げるために勉強する。
人生の主要な出来事を俯瞰し、自分の生きてきた文脈や社会背景を把握する。
また、きままに浮かぶキーワードを並べて、そこから機能的に見える傾向を把握する。
深堀りするテーマを決めて、入門書を複数読み、基本書・教科書へと進む。そのうえで、専門書を拠り所として思索を深める。
世界をすべて知ることはできないが、勉強を継続して自分の世界を広げ続けること。 -
「答え」を決めつける態度に馴染めないのは臆病だからではなく、誠実だからだと勇気づけられる一冊。とはいえ「仮の足場」は必要で、そのための具体策まで提示するというのが本書の目論見。
「原理編」「実践編」それぞれに多くの学びがあったが、主眼である「仮の足場」を作ることに関しては直接的な実践方法がないように感じた。欲望年表もEvernoteも有用だろうけれど、結局はそれぞれのやり方で「専門書を読み、書きながら考える」しかないのかもしれない。
大学2年生くらいの自分に読ませたい本。 -
僕にとっては難しい内容でしたが、読後に訪れる新しく目線、本書にある勉強という今まで私が思っていた事とは違う、新しい定義の概念が、少しでも頭に入った模様で、また再度読んでみようと思います。
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人間は有限だが情報は無限に増えていく。有限化すること。
勉強することは、感情による共感、ノリを悪くすること。自由になること、今までの自分を壊すこと。再構成すること。辞典は言葉がどう使われてきたかの歴史書である。語源を知ることはどう言葉が生み出されてきたかを知る事ができる -
読み方失敗しちゃったんですよね〜うしろの方に哲学をかじってる人向けの解説があって、それを読んでからの方が意味が分かって楽しかっただろうなーと。
なんか意味わかんないまま色々いわれて結局意味わかんなかった。
本質的じゃないところが合わないから全体的にうざいなーって思ったら最後、自分のダメな読書癖が出た本だった。 -
今、いろいろ勉強しているが、その行方を知れた気がする。そして、なぜ私がこのジャンルに興味があるかも理解できた。絶対的な根拠を求めないように注意したい(笑)
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以前、千葉雅也氏の『現代思想入門』を読み、現代社会に対する現代思想的解釈やそのアプローチ法などが分かりやすく述べられていたため、著者の"勉強"に対する哲学的解釈がどのようなものなのか興味を抱き購入。
著者はまず、新しい知識やスキルが付け加わるという一般的な勉強のイメージを捨て、これまでの自分の破壊こそが勉強であると断言してから持論を展開し読者を引き込んでいく。
これまでの自分とは、自身の身を置く環境の"ノリ"に「こうするもんだ」と疑いなく合わせて保守的に生きてきた自分を指し、その状態を断ち、新たな環境のノリに入ることこそが勉強なのだと論じる。
勉強法の類も含め、勉強論は世に数多存在するが、本書は勉強に対する論考を始めるにあたり、教育的アプローチでも経験的アプローチでもなく、言語論的アプローチを出発点としているところが特徴である。
勉強によって拓かれた新たな環境における言語体系の違いに違和感を感じながらも、それを玩具的に言葉遊びをするように使用することがあらゆる勉強における根本(ラディカル・ラーニング)であり、自由になるための思考スキルだというのである。
哲学関連のベストセラーを出版している著者による具体的な勉強法について述べられていることを期待した読者の多くは、この出だしの展開に違和感を感じたのではないだろうか。
しかし読み進めていくと、環境のノリに合わせて保守的に生きるということは、その環境の言語体系に何の違和感も持たずに染まっていることを意味し、勉強すること(=自己破壊すること)によって新たな言語体系を有する新たな環境へ移行することができるということを説明したいがための論点であったことが理解できる(そして勉強すると、どうしても元の環境では「ノリが悪くなりキモく」なってしまうということも)。
さらに、勉強(=環境のノリから自由になること)に対する向き合い方を考察するにあたり、ツッコミ(=アイロニー)とボケ(=ユーモア)の2軸で論じている点も、本書の大きな特徴といえよう。
とかく勉強を進めるというと、物事の本質や真理に向かって(アイロニカルな批判を伴いながら)深めていくと考えられがちだが、著者は絶対的な根拠や真理には絶対に到達することは不可能であることから、結果的にはどこかで「エイヤッ」と何かを無理やり結論付ける決断主義(言語の破棄)に陥るという。
これを回避するためには、ユーモアによる見方の多様化への転換によって勉強を"有限化"することが肝要としている。
ただ、多様化といっても見方は無限に存在するので、最終的に勉強を有限化するための条件は、自らの個性(=特異性)としての「享楽的こだわり」であるという。
本書では、この自らの「享楽的こだわり」による自分に特異的な勉強のやり方やテーマを見つけるための具体的な自己分析手法として、自分がこれまでの人生で何を欲望してしたかを記述する「欲望年表」の作成を提案している。
これは、時代背景も含めて自分の欲望の足跡を、その欲望に至った理由やエピソード等も含めて書き出していき、半ば無理やりにでも書き出した欲望について抽象化していくことで作成するものである。
年表に自分の欲望史を接続することで、自分のこだわりの本質やコアな部分をメタ的に炙り出していくことができるということだが、このような自己分析法は聞いたことがなく、非常に興味深いアプローチであると感じた。
この欲望年表の作成方法から本書の後半は、勉強を有限化する技術として、より具体的なリーディングとライティングの方法が述べられている。
リーディングに関しては、いかに信頼のおける書物を読むか、そしてそれらに記述されているテクストについて、(自分なりに解釈するのではなく)いかに"文字通り"に理解するかということに重点が置かれている。
特に、「〇〇代のビジネスパーソンはこうあるべき」的な、著者の価値観や経験に基づいた押しつけや決めつけは、どんなに有名でカリスマ的に人気がある人のものでも勉強の足場にすべきではないと切り捨てている点は耳が痛い。
ライティングに関しては、自由連想的にフリーライティングを勧めつつ、あえて箇条書きやアウトライン・プロセッサを利用することで、思考や勉強を有限化できるとしており、この視点は目から鱗であった。
本書は"ノリ"、"ボケ"、"ツッコミ"など、現代口語的表現を用いることで読みやすく書かれているものの、結論後の付記にも記載されているように、著者の経験だけでなく、ドゥルーズ&ガタリによるフランス哲学やラカン派の精神分析学などの学問的な裏付けに基づいた考察であることも、一般的な勉強ノウハウ本や自己啓発本とは一線を画す点であるといえる。
また、國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』における「暇」と「退屈」、「消費」と「浪費」などの使われ方でもそうであったように、本書においても「ツッコミ(アイロニー)」と「ボケ(ユーモア)」といった、本書を貫く対概念となるキーワードについては、言葉の定義とその用法に細心の注意が払われており、それゆえに説得力があり腹落ちもする。
よって、ある事柄やテーマについての哲学的な分析や考察には、適切な言葉の選択と厳密な運用が不可欠であるということを改めて学ぶことができた。
本書は文庫版にして二百数十ページ程度のポリュームでありながら、勉強に対する原理的な考察から具体的な方法論までをカバーしており、いわば『現代版 (勉強の)方法序説』『現代版 知的生産の技術』といっても過言ではないであろう。
特に欲望年表の作成による自己分析は、これまでの自分の人生を振り返る意味でも、そしてこれからの勉強や研究活動を深めていくためにも、ぜひ実践したい。
自らの思考や行動を変革するきっかけとなる一冊との、久々の出会いであった。