- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167921361
作品紹介・あらすじ
愛する人の本当の心を、あなたは知っていますか? 「母を作ってほしいんです」――AIで、急逝した最愛の母を蘇らせた朔也。孤独で純粋な青年は、幸福の最中で〈自由死〉を願った母の「本心」を探ろうと、AIの〈母〉との対話を重ね、やがて思いがけない事実に直面する。格差が拡大し、メタバースが日常化した2040年代の日本を舞台に、愛と幸福、命の意味を問いかける。『マチネの終わりに』『ある男』に続く傑作長篇小説。
感想・レビュー・書評
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近未来が舞台。
メタバースが日常化し、格差が拡大し、「自由死」という合法な自死が認められる時代。
もしも「自由死」が認められるようになったら。
それを選択する人はたくさんいるだろうし、辛い事があったらすぐに人生を投げ出してしまいそう。
「もう十分」という理由でなら合法的な心中もありなのかもとか、理由もわからず大切な人が「自由死」を選択したら朔也のように思い悩んでしまうだろうなとか、とりとめもなく考えてしまった。
「宗教って、人生にいいことがなかった人のためのものでしょう?」「幸せな人には要らないと思う。」
に妙に納得。
『ある男』よりは読みやすかったがやはり文章が高尚で難しい。
「最愛の人の他者性」とは。
哲学って、やっぱり難しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本心とは、デジタル大辞泉によると以下のとおり
1 本当の心。真実の気持ち。
2 本来あるべき正しい心。良心。
3 たしかな心。正気。
4 本来の性質。うまれつき。
本書の物語の舞台は、近未来。今の世の中と比べそう遠くはない未来であると感じた。自由死という概念の賛否についても考えてみたが、私は反対。自殺を肯定しているように感じるから。
自由死の賛否は、さておき、どうも主人公の母に対する感情が過剰過ぎるような感じがしたこと、三好に対するモヤモヤとしたやりとり等を見ていたら、自分には合わない性格の持ち主だなと感じてしまい、それからは、主人公の行動1つ1つに、難癖をつけながら、なんとか読了した。本心を伝えることは、そんなに難しいのだろうか、主人公はあれこれと考え過ぎなのではないだろうか。
本心とは何かをとことん考えさせられる小説である。 -
自分の中で感想をまとめるのが難しかった。
「マチネの終わりに」がかなり好きな作品なので期待して読んだが、やはり日本語のうまさというか、文章がやや難解で読み応えがあって、美しいなと感じる。
AIの「母」との交流を通して母との過去を解き明かしていく流れかと思ったが、社会の格差だったり母の死後新たにできた友人との関係性だったり、多様性のある話で、いろんな切り口から読める作品だった。
個人的には社会格差の問題に興味があって、現実のあまりの辛さにバーチャルな世界に逃げ込んでしまうような未来が遠からずくるのではないか、なかなか的を得ているのではないか、と思わされた。
これはもうどうしようもない流れなのか。
もう少し時間をおいて、また読み直してみたい。 -
最愛の母をVRで再現する場面から始まり、「もう十分」と語り自由死を望んだ母の本心を解明していく。冒頭はバーチャルフィギュアという、今後ありえるかもしれない未来を想像させられたが、それよりも、生と死の背景にある格差社会という大きな存在が、そう遠くない未来でも付きまとってるというのは、考えさせられる節がありました。
母の死という喪失体験を経てVRで再現した〈母〉と過ごした時点から、その後の、大切な人と出会い、それでも多くの葛藤を経験したことで、明らかに朔也は「成長」していました。このことが印象的です。
愛する人でも所詮は他人。自分の知らない一面も必ずある。当然ながら本心を知ることはできません。そんな他者性を理解していても、自分が想像できる限りの本心の最適解を見つけ出そうとする。それは無駄なこと?他者性と向き合うとする誠実さに価値があって、それ以上、以下もないと思います。もし最愛の人が死んでも、その人は自分が死ぬときまで永久に自らの「心」に居続けると、私は信じてます。
この一冊が、自分の死生観を大きく変えることになったかもしれない、、。生きるってなんだろう、辛いことばっかの人生で生きる意味ってあるのか、など自問自答ばっかしてた。それでも、自分はそんな悲観的な部分も肯定して、それでも必死に、前向きに、これからも生きていくんだろうなと思います。 -
格差が広がる2040年代の日本
「僕」は、突然の母の死に失意しVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作成することに。
生前、母は「もう十分」という言葉で自ら死を選ぶ「自由死」を望んでいた。
最愛の母が、自由死を望んだ理由は何なのか?
文章の1行1行が「僕」の心を丁寧に描いていく。
閉塞感に満ちた世界でも、生きることを肯定的に捉え、希望を与える愛に満ちた作品 -
主人公である朔也が急逝した母の本心を探りながら自分自身の本心に迫っていく物語です。
自分の目の前にいる人や自分自身のことなど一見自分自身が理解できていると感じている人の行動が理解できていないことがあります。そんなことを伝えてくれる物語です。
他者の言動というのは自分の思い通りにならないことがあります。じゃあ、自分の思い通りとか自分がこうしたいとかそういう部分は果たして明確なのでしょうか?自分の言葉で他人に伝えられるほど自分自身の中で醸成されたものでしょうか?
自分自身にベクトルを向けたときにそこの自分自身の本心を理解するということとそれを他人に伝えるということ、また他人の本心を行動から理解するということがとても難しいことであることを再確認させてもらえる本でした。 -
正確に、本心を曝け出して、分かち合える人って本当にいるのだろうかと考えながら読んでいました。
また自問自答を繰り返す事が生きてるって!感じられる事に気づけました。 -
プロローグ/〈母〉を作った事情/再会/
知っていた二人/英雄的な少年/心の持ちよう主義/
”死の一瞬前”/嵐のあと/転落/縁起/
〈あの時、もし跳べたら〉/
死ぬべきか、死なないべきか/言葉/本心/
最愛の人の他者性
AI で蘇る在りし日の母。
会話することで学習する彼女はどう変わっていくの?
蘇らせた息子はどう感じていくのか…… -
最愛の人の他者性とどのように向き合うのか。
どれだけ親しい人であっても、その人の本心を知り得ることは不可能である。たとえ本人であっても自身の本心を100%意識的に把握することは難しいだろう。このような他者性を前提とした時に、人は他者とどう向き合うべきだろうか。他人のことは分からないと突き放すのは簡単だ。でも、もし自分の大切な人から、自身への理解を諦められたら、寂しさを感じるだろう。「理解してほしい/理解したい」という気持ちと、「他人に私は理解できない/私は他人を理解できない」という気持ちのバランスの難しさを感じた。
「自由死」と「自然死」
死の自己決定権は尊重されるべきものなのか、とてもセンシティブな問いだと思う。自由死は共感しないが理解はできる。あまりにも過酷な現実の中では、死が救済になり得るのではないだろうか。自分が指定する環境で、好きな分人で死を迎えられることは、幸福権なのか。しかしそれを許してしまうと、外部構造によって自由死に追い込まれてしまうケースが発生してしまう懸念があるのではないか。難しい。 -
人間は少しずつ変わっていく、AIも学習しアウトプットを調整していく。他社の心の中身は分からない、AIの中身は誰も分からない。AIの技術が発展したことで、人間とは何か、他人を理解し愛することとはどういうことなのか、、根源的な問題を突きつけられている、、
本当に面白く、考えさせられる小説だと思う。AIが日常に入り込んでる近未来の話だが、とてもリアリティがあり話にのめり込めた。
話の最後の方までごちゃごちゃと内省的すぎる主人公に共感できなかったが、最後のシーンで自分の価値観を整理して前に踏み出していくところで感動した。人の本心など結局分からない部分が絶対残るが、そこを慮ったり関わり合うことで自分の心も成長し変わっていくのだと思う。AIがどれだけ人に近づいても、人の心は人であり続けるのだろう。