- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784195994467
感想・レビュー・書評
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『彼は生来やさしい人柄だったので、侍にしろ、その兵にしろ、すぐれた人々にしろ、諸所方々から大勢彼に使えようと集まったきたが、彼はこういう人々をすべて迎えいれ、それぞれの地位につかせたので…』『気さくで、面倒くさい儀式ばったことを極端に嫌った…』ヒロンの日本王国記。信長はヨーロッパ人には気さくでやさしい人柄と受け取られた!
信長に初めて謁見したヨーロッパ人はイエズス会のフロイス。足利義昭のために信長が建築中だった二条城の建築現場。初対面で信長は仏教僧の腐敗を憎悪していると語り、波頭を越えてやってきたイエズス会を保護し、その後も厚遇する。延暦寺や本願寺が信長包囲網を形成し、信長の敵対勢力となる時期に、イエズス会の布教が純粋(イエズス会が腐敗していたカトリックの再興目的であれば当然か
)さと、戒律を破り政治団体となっていた仏教宗派を比較した結果で、信長からすると当然か。
イエズス会が仏教との宗論を望み、ロレンソと朝日山日乗が信長の前で闘った結果、ロレンソの勝利となる。この人選は信長が行ったのでしょうか?もしかしたら出来レースだったかも。仏教側に宗論を闘わせる人物が他にいなかった、或いは信長の前で法灯を危険にさらしたくなかったか?
信長が京の南蛮寺にイエズス会が連れてきた黒人奴隷に興味を持ち、信忠や堺にいた信澄まで呼び出して見学させたとのこと。なんとなく微笑ましい。
宣教師から見た織田徳川は、信長から見た異教徒・文化でもある。お勧めです詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本史の中で語ろうとすると、今ひとつ分かりにくい信長。こうしてキリスト教の布教活動と絡めて世界史の中で見ていくと、彼が意図した事が鮮明になるような気がする。ある意味、その日本人ぽくない感性が、彼を分かりにくく且つ、そのキャラクターを際立たせて居るのだろう。