居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

著者 :
  • 医学書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784260038850

感想・レビュー・書評

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  • あっという間の374P、、すごい本を読んでしまった。
    厚みではなく、その視点。

    小さな子供や夫と暮らす…
    友達とストレス発散する…
    遠くに住む両親や病気の兄弟と久しぶりに会う…

    東畑先生風にケアとセラピーを整理すると
    私自身にも、また相手との関係で求められているのはケア。ケア。ケア。子供は保育園の人間関係に、夫は職場に、友達はその家庭や育児で、高齢の両親や兄弟は病気に苦しみ、それぞれに戦っている。。だからもはや今はケアしかいらない。元気になって欲がでれば、自然と自分をセラピーできるのじゃないかしら

    これまでの自分は相手に元気になってほしい気持ちで、役にたちたくて、セラピーめいたことを言ってしまうことが多かったかもしれない。穴があったら入りたいわ…。

    ケアって、相手を傷つけない・安全・支えてあげる…勘づかれたら負けみたいなところがあり、セラピーは傷に向き合う自立を促す作業らしい。

    だから、ケアをメインにする仕事は、成果や貢献が見えにくい部分(当たり前とされる部分)もあって、評価がされにくいらしい。主婦もそう。ただ、人間らしくいきいきとできる環境って当たり前なのかしら?心が安定するためにはある程度の継続性がいるだろうから、そういった環境を整えることはすごい贅沢なことなんだなと思う。

    そう思うと、昔の大家族というか、ジジババ母父の大人連合軍で子供を育てるというのは割合理にかなっているようにも思う。ケアの役割は分散しないと、ケアする側が倒れるだろうから。

    ちなみにアジールは避難場所(自由がある)、アサイラムは刑務所のように管理された場所。自分が育った家は、誰もいないアジールって感じだったけど、アサイラムよかマシだったのかと読み終わって思う。

    小さな小さな家の運営者としては、家はアジールであるように、安心して過ごせる居場所であるように心がけることからかと思いました。

  • テンポが良くて読みやすい
    ちょっとだけ冗長
    引用の挟み方が上手な人だなと思いました

  • ただそこにいること。何もしないでただそこにいるということは難しいし、それを許すこともまた難しい社会に生きている。「いる」が脅かされず、軽視されず、肯定されること。その大切さと難しさをしっかり書いている。ケアに携わる者として、心に留めておきたいと思った。

  • ただ "いる" ことを支える『ケア』
    なにかを "する" ことを目指す『セラピー』

    特に理学療法士の方が、これらの考え方に幅を持つことができる一冊です。

    「ヒトが生きていくためには、ただただ "いる" 場所が必要なのに、今は "する" ことが重視されている」

    そんな世の中の価値観と同じように、
    理学療法士も、ただただ "いる" ことへの価値を考えるような教育を受ける過程がありません。

    なので、この一冊を通じて、理学療法士が当事者研究の分野へ興味・関心が向くきっかけとなるといいなと思いました。

    中でも、生活期に携わるセラピストさんにおすすめです!


  • 感情労働の難しさ、報われなさをユーモラスかつシリアスに描いた名作。

    デイケアの実態を描きつつ、著者自身が深く内面化していたデイケアを阻む壁を明らかにしていく。それは著者をいたく傷つけ、苦しめていたという。この本を書くまでに時間が必要だったそうだ。つまり、本著はプロのセラピストによる「ナラティブ(自己語り)によるセルフセラピー」ということになる。

    現代が巨大な消費社会であることは論を俟たないだろう。あらゆるものは商品であり、消費され、富を生み出す媒体となる。ケアもまた同じ。けれど、そこに大きな矛盾が生じる。商品であるからには、消費され、価値を失う過程が組み込まれなくてはならない。商品はいらなくなって初めて、意味を持つ。消費期限が必須なのだ(○リキュアの変身グッズのように)。しかし、ケアとは本質的に終わりをもたない行為だ。感謝されず、価値も見えにくい。だからケア自体は商品化されず、利用者が金の卵を生むガチョウのように施設に囲い込まれる形を取らざるを得ない。ケアは教育同様、資本主義経済と食い合わせが悪い(かつて東北の某私立高校がそれですっぱ抜かれたけど、今もそんなに実態は変わってないのでは?)。

    たとえば、ベーシックインカムの導入はどうなんだろう?利用者が多かろうが少なかろうが、職員の収入は一定。あるいは公務員化。少なくとも利用者と職員の人権は、今よりは守られるのではないかと思うけれど、甘いのかな?ICレコーダーで身を守らなくては働き続けられない職場じゃなくなるために必要なのは、何だろう??

  • 普通を求められたり、理想を突きつけられたり、問題解決を急がない場所でのびのび居ることができること、自由に遊べることって誰にとってもすごく大切なことだなぁと思った。著者が言う円環的な時間とは、存在がただありのままに受容される時間のことなのだと思った。

    メンバーさんとの触れ合いの中にそうした温かさも感じながらも、ケア的なことと、深い介入をするセラピーを同じ人間がしなきゃいけない難しさも感じました。時に遊んだり、イベントでふざけたりの役割もあるなかで、セラピーの顔も持たなきゃいけない。そもそもこのデイケアが何を目指している場所なのか、変わらないことを本当に目指している場所なのか、色々な役割を与えられながら何を目指して働けばいいのか、ここに居るのは確かにつらいなぁと感じました。

    セラピーをすると言っても、投薬治療で症状を抑え込もうとしていると、セラピーが目指す方向性と向精神薬が目指している方向性は真逆のように感じます。かと言って、中には本当に辛い症状や危険な症状を抱えた人もいるでしょうし、薬を飲めば飲むほど薬を手放せない身体になっていく人もいるでしょうし。本当にどこを目指しているのかがはっきりしないけれど、それも良しとしながら、ぐるぐると回り続ける。

    あまりにも目指しているものが明確すぎても双方にとって辛いでしょうし、線的な時間の中で息苦しさを感じてしまう人など、こうした居場所の在り方で救われる人もたくさんいるのだと感じました。

    著者の実際の体験の中での考察や発見が色々と勉強にもなり、とても読み応えのある本でした。

  • いゃあ 面白かった

    沖縄の 
    とある精神科デイケア施設での
    その場所で
    いろいろな人たちがいて
    いろいろな時に何も起きていない
    「ただ、いる、だけ」
    を 描写する

    ただ、そのだけのことが
    どれほど 難しいこと か
    そこに いたものでしか
    わからない ムード が
    見事に 伝わってくる

    そして
    「いま、を生きていく」
    を 考えさせてもらえる
    いろんなヒントが
    ぎっしり 詰まっている

    しかも
    この一冊は
    心理療法士から見た
    デイケアの現場に関する
    ガクジュツショ(学術書)である
    ことが また素晴らしい

    このような「学術書」が
    もっと 世に出てきて欲しいものだ

  • なるほどね。寅さんが1つのところに居られないわけだよ。
    居るのはつらいよ。

  • 専門用語のオンパレードではない、フィクションだけど、フィクションではないエッセイのような学術書。

    対価や成果を求めない「いる」ことを追求してきたタカエス部長やダイさん、シンスケさんという同僚に出会い、セラピーをしたいと意気込んできた筆者が、ケアとセラピーを、そもそも「いる」こととは何か?、人にとっての居場所とは何か?を現場での経験をもとに深めていったもの。とにかく面白かった。

    私たちは誰しも「居場所」がないと生きていけない。でも、ただ「居場所」があればいいのではない。普段、何気なく「いる」ことは、実は、辛い時の逃げ場「隠れ家」があったり、退屈な時間があったり、遊ぶことができたりと、無意識のうちに同じ空間にいる人たちに身を委ねられてはじめて可能となる。

    「いる」ことは「変わらない」ことにも高い価値を認める。ただし、その「変わらない」も本当に変わっていないのかというとそうではない。筆者は、それを森にたとえていたが、日々、人と過ごしていれば、小さな「変化」(?ということばが適切ではないかもしれないけれど、思いつかない…)があふれている。お互いに時に支えてもらい、時に支えてあげながら「いる」。そして、「いる」ことができるから「する」こともできる。

    世の中的には、変わること、進歩していくことが是となっているけれど、それも大事なことではあるけれど、そうでないこともありなのだということも大事にしたいと改めて感じた。目に見えない、数値化されない。それでも忘れてはいけないことがある。すっかり消費者マインドがしみついていて、どうしても、費用対効果という計算をしてしまいがちだけれど、それでは計れないものがあるのだ。

    それが生きやすさにつながっていくはず。

  • 自分のこれまでを沢山思い出しながら、そして、これからについても考えながら読める、貴重な学術書でした。

    ケアの重要性と、その素人っぽさ、ケアする人がケアされないと成り立たないもの
    自分が漠然と抱えていたものを言語化してもらえたような気がしました。
    お母さんがするようなケア、それが仕事になる。逆に言えば、そのケアが欠落していて、必要としているけれど、お金を払ったり、施設に入所したりすることでやっとケアを受けられる状態になる人が一定数いるということか。
    そこで専門家ができるケアが、お母さんのするケアとどう違うのか。対象が違えば、発揮される専門性も違ってくるだろうけど、掃除だったり、料理だったり、定義してしまえばやっていることは同じ。

    そして、専門家がやっているからと言って、そのケアに値段をつけることは難しい。費用対効果の証明はできない。
    私も考え続けていかなければいけないと思う問題提起を頂いたような気がしました。

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著者プロフィール

1983年東京生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)・臨床心理士。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学。白金高輪カウンセリングルーム主宰。著書に『野の医者は笑う―心の治療とは何か?』(誠信書房)『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)『心はどこへ消えた?』(文藝春秋 2021)『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(新潮社)など。『居るのはつらいよ』で第19回(2019年)大佛次郎論壇賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020受賞。

「2022年 『聞く技術 聞いてもらう技術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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