むかし琵琶湖で鯨が捕れた

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  • 潮出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784267012549

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  •  表題になっている言葉は、P11にある中西進の言葉だ。
    【中西 日本の名前だと勇魚(いさな)でしょ? 勇ましい魚。「勇魚捕り」なんていう枕言葉にもなって、琵琶湖を修飾するのに使われている。これは「鯨だって捕れるほどの立派な琵琶湖」という表現です。】

     風土記を中心に重厚な対談がなされるが、しかし、この対談の中心はやはり山田慶児だと思う。

     風土記での、仏教以前の物語世界について言及する河合の言葉も注目だ。
    【河合 逸文「丹後」の奈具社の条では、老夫婦が着物を奪って連れてきた天女に酒をつくらせて、金がもうかってくると「おまえはうちの子じゃないから出ていけ」と言いますね。ところが、こういうことをやっても、後でこの夫婦が罰せられるわけではない。西洋の昔話はこれが罰せられないと完結しないのが多いんです。悪いことをしたやつは最後に罰がくる】
     主人公は必ず天女で、しかもいずれにしろ必ずどんなルートでも流離していく。そして祭られるというかたちで完結する。これが日本の哲学・物語の原型であると思われる。

     中国の古い時代には、火は女で、水が男と、山田は述べている。そして、土地と言葉の関係で、中国では郡県の名前はすべて、所在の山川土の形から付けるという。しかし日本の土地は、何かしらの文化英雄(神でも人でも)が何か事を行う。もしくは面白エピソードがある。すると、その事が、その地名を名付ける言葉となる。例えば天皇が阿蘇に行き、「だれかおるかー」と聴く。すると、夫婦の神様が出てきて「おるぞ」といって、自分を阿蘇のなにがしと名乗る。だから、ここは阿蘇になる。つまり出来事と、言葉が、一体になっているのだ。
    その際「呼びかける」という行為が重要であろう。
     風土記は創世記ではなく「創名記」であろうという。では、支配の体系化なのかといえば、とんまな人間の行為のエピソードで地名が決まっている例もある。景行天皇がイナミノワキイラツメの尻を追いかけるだけで14の地名を作る。これが「支配」といえるだろうか。

     ほかにも、鬼は「隠(おん)」から来ていて、隠れている。正体が分かれば鬼ではない。だから、名前は本質を表すので、名前を呼ぶと鬼ではなくなる。また、鏡に姿を映す。鏡は自分の姿をそいつに意識化させることである。鏡によって、神通力がなくなるのだ。鏡と名前が、鬼を倒す手段であると述べられている。

     また、対談の後半部分で、中西進は斎藤茂吉の戦争責任など、追求する姿勢を示すが、山田慶児は田辺元の「懺悔道」と「哲学」っていわれてもなあと、笑いながら、あんまりそういった言説には乗り気でなく、河合隼雄もさらりとしていて、そのコントラストが面白い。そして、斎籐は批判するけれども、良い歌は作っているでしょうと、スキルを評価するのは、やはり技術史を研究する山田慶児らしい評価の仕方だと思う。

  •  この対談が語られたのは、1988年。
     今から約4半世紀前である。だから、彼らが語ったことが、必ずしも正しいと言うわけではない。

     それでも約25年前に、文献を紐解くことでこういった豊かな視点があることに驚かされる。
     今は2012年。24年が経過しているわけだが、こういった趣旨の本は今は出ているのだろうか? だとしたら読んで見たいなぁ。

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