ナショナリズムの歴史と現在

  • 大月書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784272510061

作品紹介・あらすじ

世界的に著名なマルクス主義歴史家E.J.ホブズボームが論じたナショナリズムの歴史と現在。ナショナリズムはいかなる歴史的・思想的な背景のもとで生まれたのか?それは、国民国家の形成や民族解放運動の展開にどのような役割を演じたのか?ボーダーレスの時代といわれる21世紀におけるナショナリズムの命運は?ナショナリズムをめぐる様々な論点を世界史的な視野で解きほぐした本書は、国家=民族=国民が一体化しがちな日本人の意識にも反省をうながす内容をもっている。

感想・レビュー・書評

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  • ルナン「ネイションとは日々の国民投票である」p8

    【主意主義】p9
    ネイションであるためには、あるいはその創造、再生に必要なのはネイションたらんとする意志にすぎないと主張する
    Ex. ワイト島のかなりの住民がワイト・ネイションでありたいと思うならば、ワイト・ネイションが存在するということになる

    ⇔「ナショナリティ」でさえそれを、政治的であれ、文化的であれ、あるいは他の何であれ、単一の次元に還元することは不可能である。p9-10

    【ゲルナーの「ナショナリズム」の定義】p11
    「第一に、政治的単位と民族的単位が一致すべきであるという原則」

    ナショナリズムがネイションに先行する、ネイションが国家やナショナリズムを創り出すのではなく、その逆である。p12

    ネイションという概念は近代的な、基本的に政治的な意味では、歴史的に非常に新しいものである。p22

    ネイション=国家=人民、特に主権者たる人民という等式は、ネイションを領土に結びつけることになった。p23

    【ジョン・スチュアート・ミルの所見】p29
    ナショナルな国家の確立はナショナリティそのものによって
    (a)実現可能なものでなければならず、また
    (b)望まれたものでなければならない

    モリナリ「人々がそれぞれのネイションへ分かれることは、経済競争という非常に強力な原則を発展させるので、有益である」p34

    「規模の原則」p39
    私たちがネイションというコミュニティの中に、ドミニカやモルディブあるいはアンドラのような存在への途を開くようになったのは、たかだか1945年以降であり、とりわけ植民地解放が進んで以降である。

    ある人民が確実にネイションとして分類されるためには、規模の原則に適う十分な大きさという条件を満たしていれば、実際にはわずか三つの基準があるだけだった。
    ①今ある国家、あるいは最近まで続いた相当な長さの過去を有する国家との歴史的結びつき
    ②民族的文学や行政に関わる書き言葉を所有し、長期にわたってその地位に就いてきた文化的エリートの存在
    ③征服する能力が証明されていること
    p46-47

    勝利したブルジョワ自由主義の時代、すなわち1830~1880年にかけて、当時のイデオローグたちに考えられていたネイションやネイションーステートについての概念は二つの点で自由主義イデオロギーの一部を成した。
    ①ネイションの発展は、疑いなく人類の進化あるいは進歩の一段階、つまり家族から種族へ、地域へ、ネイションへ、そして最終的には未来の統一された世界へと、小集団から大集団へ至る過程の一段階だったから
    Cf. G・ロウズ・ディッキンソン「人類の幼少期に属するナショナリティの障壁は、科学と芸術という光の中で溶解し、分解してしまうだろう」
    ⇒かくして自由主義的イデオロギーの見方によれば、ネイションとは、19世紀半ばに進化の過程が到達した段階だったのである。
    ⇒より小さな集団や人民がそれ以上の規模のものに同化されるということ
    Cf. フランス革命は「規模の原則」を認めなかった
    p47-48

    マッシモ・ダツォーリオ「我々はイタリアをつくったが、今やイタリア人をつくらねばならない」p55
    →「国民的愛国心」の欠落

    「プロト・ナショナル」集団的帰属感 p58

    「言語ナショナリズム」p70

    エリートの書き言葉あるいは統治に関する言葉が存在するところでは、その言葉を実際に使用する者がどれだけ少数であっても、それが、プロト・ナショナルな凝集力を生みだす重要な要素になる。p75
    Cf. フランス革命の1789年、フランス語をまったく話さないフランス人50%、正確に話せた人12~13%。

    標準語が設定され普及していく時期は、ヨーロッパのわずかの言語を除いてすべての言語に訪れたが、それは実質的に18世紀末から20世紀初頭にかけてのことであった。p77

    中国、日本、韓国は、エスニシティの面でほとんど、あるいはまったく同質の人々で構成される歴史のある国家だが、これらは極めて稀な例である。p83

    宗教は、プロト・ナショナリズムにとってはパラドクシカルな接着剤であり、もちろん近代のナショナリズムにとってもそうである。
    つまり、「ネイション」が、その一員としての忠誠心を独占的に要求しようとするのに対して、宗教はそれに逆らいかねない存在と見なされたのである。p85-86

    最も強力なプロト・ナショナルな接着剤として知られているのは、19世紀の専門用語で「歴史的ネイション」と呼ばれるものであることは疑いない。p92

    近代国家は領土の全域にわたって同一の制度的・行政的体制と法を課そうとした。p103

    (近代において)王朝の正統性、神による叙任、支配の歴史的正当性と連続性、宗教的一体性等のような、伝統的に正統化してきたものの一切が、1789年以降は永続的な批判にさらされるようになった。p108

    構造および政治的な変質過程を通じてネイションは、政治的権利あるいは請求権を持った、様々に動員されうる市民の一集団へと変わりつつあった。p109

    エスニシティ、歴史、言語あるいは住んでいる場所で話される方言、こうしたものは「ネイション」の定義には関係ないのである。p113

    民主化は、国家とその政権がたとえ不満足なものだとしても、それらが市民の立場からみていかにして正統性を獲得しうるかという問題の解決に自動的に役立った。それは国家に対する愛国心を強めたし、それを創造することさえあった。p115

    近代化の一機能としてのナショナリズム p115

    【1789年起源説:引用】p130
    ヨーロッパの発展が一定の水準に達するやいなや、それまで何世紀にもわたって静かに成熟をとげてきた様々な人民の言語的・文化的共同体は、人民が受動的存在として生きていた世界の中から次第にその明確な姿を現すようになる。彼らは、自分たちのことを歴史的運命を背負った一つの力として意識するようになる。彼らは、手に入れることのできる最高の権力行使の道具として、国家を自分たちの思い通りに動かそうとするとともに、政治的自決を獲得しようとする。政治的観念としてのネイションの誕生日にしてこのような新しい意識が生まれた日、それは1789年、つまりフランス革命の年である。K. Renner, Staat und Nation pp89

    民族的な訴えかけに対する潜在的受容可能性を現実の受容へと転換した主要な政治的変化は、ますます多くの国で進められた政治の民主化であり、近代的行政機構を整え、市民を動員し、市民に影響力を及ぼす近代国家の誕生であった。p141

    ファシズムの母体としてのナショナリズム p168

    【スポーツ】p184
    制度化された定期的試合が集団間の緊張を象徴的な擬似闘争によって無害な形で解放することによって、これを緩和する安全弁として機能し、民族同士の間に友好的なライバル関係が醸成され、それが同じ仲間という感覚を強めるというふうにして、国際試合は多民族国家の統一を象徴するのである。Cf. オリンピック

    何らかの意味を持った反帝国主義運動はすべて、実質的には三つの種類のいずれかに分類可能である。
    ①教育を受けた現地のエリートがヨーロッパの「民族自決」をまねるケース(たとえばインド)
    ②反西欧としての排外主義が大衆に広まっているケース(大衆的排外主義はどんな目的にも役立つもので、広く利用された。たとえば中国の場合に顕著であった)
    ③勇敢な部族が当然の怒りに燃えているケース(たとえばモロッコやアラビアの砂漠地帯)p195

    1988-92年における明白な分離主義の爆発を最も簡単に描写しようとすれば、「1918-21年にやり残した仕事」というふうになろう。p214

    ケベック・ナショナリズム p222
    「多文化主義という政治的重圧の下に、フランス語を話す人々の特別な要求といったものを潰してしまう」ことをめざしたにすぎない陰謀?

    ナショナリズムやエスニシティはー今日の中央ヨーロッパについて書いているミロスラフ・フロフを引用すればー「分解していく社会における統合諸要因の一代替物である。社会が崩れていくとき、ネイションが究極の保証として現れる」のである。p224
    Cf. M. Hroch "Nationale Bewegungen fruher und heute p14

    分離主義的でエスニックなアジテーションが勢いを増しているのは、一般に信じられているのとは逆に、第二次世界大戦以降の国家創設の原則が第一次世界大戦以降のそれとは違って、ウィルソン流の民族自決とは何ら関係がなかったという事実に一部は起因している。それには三つの力が反映していた。
    ①非植民地化
    ②革命
    ③外部勢力による内政干渉 p230

    今日、「ネイション」はその古い諸機能の重要な部分、すなわち、より大きな「世界経済」の基礎単位として、領土に囲まれた「国民経済」を構成するという機能を、少なくとも地球上の先進地域で、明らかに失いつつある。p233

    「ネイション」という概念が「ネイションーステート」という一見固い殻からひとたび引き抜かれるや、まるで軟体動物のように、まったく形の定まらない形で現れているということである。p244

    ヘーゲルは、叡智を運ぶミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ、と言った。今やネイションとナショナリズムの周りをミネルヴァのフクロウが旋回しつつあるが、これは願ってもない前触れである。p247

    1910年頃のハプスブルグ帝国における各ナショナリティの割合・地図 p253

    【メモ】
    契機となったのは「フランス革命」

  • 【由来】
    ・「想像の共同体」のamazon関連本で

    【期待したもの】


    【要約】


    【ノート】

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