ヒロシマ日記 (平和文庫)

著者 :
  • 日本ブックエース
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本棚登録 : 31
感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784284801003

作品紹介・あらすじ

『ヒロシマ日記』は、被爆当時のメモをもとに八月六日から九月三〇日までの五六日間の体験を日記風に記録したもので、逓信医学協会発行の機関誌『逓信医学』第二巻第一号〜第四号(昭和二五〜二七年)に一二回にわたって連載された。これは英訳されて米国で大きな反響を呼び、のち独仏伊など一〇数カ国語に翻訳された。

感想・レビュー・書評

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  • 広島在住の、官の病院院長による原爆投下当日より9月30日まで、56日間の体験を日記風に記した記録。
    民でなく、またお偉い立場なので、他の文献と多少視線は異なると感じたものの、貴重な記録を現在読ませてくれることに感謝する一冊です。
    …上がこれじゃ、下は本当に大変だったんだろうなぁ。

  • 昭和20年8月6日、広島で被爆した医師が約2ヶ月間に渡って見た、体験したことを日記としてまとめた記録。中性子による被曝の症状や、ガンマ線ベータ線などの内部被曝の症状を具体的に知ることができる。経験したことのある人でないと到底表現できない書き方で、ものすごく怖いし、痛い。

  • 被曝後の逓信病院長(1.6km)の日記。
    記述中に、記憶力が悪くなり、思い出せなくなったとの記述あり。必読。

  •  ヒロシマ原爆について、当時逓信病院院長であった蜂谷道彦が著した本。

     7月に、被爆電車に乗るフィールドワークで本書を紹介され、興味を持っていたが、近所の書店では扱われておらず、「いつ注文しようかな・・・」とのんきに構えていた。ところが、先日図書館で配架されているものを発見、早速借りて読んだ。

     内容としては、当時の広島市、それから広島市郊外の様子が著者自身の体験や見聞から伺い知ることができる。また、著者自身が自己の心中を率直に記しており、戦中と敗戦直後の日本国民の素直な心情を想像することができた。
     また、会話のいたるところに広島弁と岡山弁が現れており、地元の人間としては、会話のイントネーションや微妙なニュアンスまで読み取ることができるため、笑える部分、真剣な部分、と読み分けやすい。

     ただし、白島、牛田、己斐、祇園、深川、地御前…等、広島市内外の地名が多数出ており、広島市民には通用するが、他都道府県の読者にはいささかわかりかねるところがあるのではなかろうか。
     原著では、文章のみでも致し方ない面もあろうが、平和文庫として出版する際には、ぜひ広島市~広島市郊外に至るまでの地図を付録として載せるべきであったと思う。

     長崎の永井博士同様に、広島にも被爆直後から活動し、記録をのこしている医師が存在したことをヒロシマの子どもたちにもっと広めるべきだと思う。

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著者プロフィール

明治36年(1903年)岡山県に生まれる。岡山県立矢掛中学校、第六高等学校を経て、昭和4年岡山医科大学卒業。その後、稲田内科にて研究。昭和12年学位を受け、同17年広島逓信病院院長。昭和22年から20年間、復興発展途上の広島市に住み、広島と共に暮らす。その間、原子爆弾調査委員、医師国家試験委員。昭和41年8月退官。昭和42年以後は郷里に帰り、晴耕雨読の生活に入る。昭和55年(1980年)4月13日死去。

「2015年 『ヒロシマ日記 〈改装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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