教養としての教養

著者 :
  • クロスメディア・パブリッシング
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784295408338

感想・レビュー・書評

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  • 「己を進化させる時代」、自分の才能を見出し自由に発信できる現代は「好きなことを追求、持続させる」ことで新たな世界・人生がついてくる、本書を読んだ感想だ。 歴史、地理、社会、文化を知ることで己の世界に「目覚め」がくることを期待したい。

  • もともと教養は「教盖する」という動詞で、結果ではなくプロセスであるとのことです。教養は一定の知量があるのではなく、普段日々いかに人がそれぞれ育んでいくか? という行為なのです。
    つまり、教養を得るためには(教養のある人になるには) 、ある一定のレベルの知識, 情報・テクニックを知ることよりも、
    その教遂を自分がどう捉えるか?
    その教養を、他者と、社会と、世界と、どう接続するか?
    その教養を、自分がどう楽しむか?
    その教養で、自分が、他者が、社会が、世界が、どう教養されるのか?
    という、まさに教養を培う上での教養が必要なんだと思うのです。この本のタイトルの、" 教養としての教養〃とは、まさにそんな意味なのです。

    歴史というのも、こういうことが過去に起こったという結果ではなく、そのことがどう進んでいったのかというプロセスそのものなのです。つまり教養としての歴史思考とは、まさに「歴史する」という歴史のプロセスに想いを馳せることなのだと私は思います。
    つまり過去の出来事を、ただひとつの情報として知る・知らないで判断するのではなく、それ自体が長い時間経過の中で、どのように巡っていったかに想いを馳せることなのです。

    「私たちが持っている歴史認識の、認識自体を変えること。」
    つまり鎌倉幕府というものの成立が何年かを、定義するのではなく、そもそも鎌倉絲府とは一体何なのか、を考えてみることだと思います。

    ではなぜそもそも鎌倉幕府の成立の定義がぼやけるのか。それは、 鎌倉幕府という名称が、後世に名付けられた名称だからなのです。つまり、当時の人たちは、頼朝がつくった政権を、誰も鎌倉幕府なんて呼んでいなかったのです。

    では、いつ名付けられたのかというと、実は明治時代になってからなのです。つまり近代になって、歴史研究家が、過去の鎌倉時代といわれる時代を司った政権を、鎌倉幕府と呼ぼうと、あとから仮に決めただけなのです。なので、成立年が特定しないのです。

    頼朝が侍所を1180 年に設置したことは、当時から事実です。頼朝が征夷大将軍に1192 年に任命されたのも事実です。なので、その歴史的事実たちを、どう研究家が定義するか? が歴史という学問なのです。

    実は鎌倉幕府の成立年が曖昧なのには、もうひとつの別の理由があるのです。それは、鎌倉幕府が初めて成立した幕府ということ。歴史上、幕府は3つ誕生しました。鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府です。鎌倉幕府だけで
    なく、室町幕府も江戸幕府も、後世の歴史業界が名付けた名称です。

    幕府とは現代語で言えば軍事政権なのです。武士は軍人であり、その大将ひ将軍がつくった政権なのです。これだと軍隊を持たない政府=朝廷という、天皇が大将の、そしてその縁戚=貴族が運営する今までの政権との違いがはっきりみえてわかりやすいですよね。

    室町幕府が成立したのは1336年で、足利尊氏が建武式目という新たな決まりを制定した年とされています。ちなみに尊氏が征夷大将軍に任ぜられたのは1338年。かつてはこの年が室町幕府の成立年とされていたと思います(私は学生時代「イザミワたせば室町幕府」と覚えました) 。
    そして、江戸幕府の成立は、1603年と今のところ変更はありません。この年は徳川家康が征夷大将軍に任じられた年です。

    幕府という軍事政権のシステムが3 個目になってだんだんと固まっていき、ようやく幕府の設立要件として、「征夷大将軍に任ぜられたことを設立年に決めてもいいや! 」というコンセンサスが、むしろそのあとの近代になって研究家たちの間で取り決められたのです。

    物事の始まりは曖昧です。なぜなら人は決まったことをやってるわけではなく、なにか初めてやった始まりが、のちに繰り返されると" 決まり〃になるからなのです。
    歴史において、過去に遡るほど曖昧になっていくのは、その分、文献や史料が少なくなっていくから、という側面も確かにあります。
    でも、私はそれよりも、この歴史で起こった現象もつねに「始まりは曖昧だ」と理解することの方が、人生にとって重要なことだと思うのです。

    人権だって、18世紀末のフランス革命によってそれが万人にあるものなんだってなったから、今の私たちはそれらを享受しています。

    私たちの時代だって、これから新たな『決まり』が、みんなで( あなたによって) つくられていくんだ……という『歴史が日々変わっていく』感覚を持つために、私たちは歴更という教養を学ぶのです。

    皆さんは、国籍がどう決まるかをご存じですか?
    決め方には大きく分けて2 種類あります。血統主義と出生地主義です。血統主義とは、その国籍を取得する方法が、 親の国期を継承する方式です。親がイタリア人だと、その子はどこで生まれようとイタリア人です。
    一方、出生地主義とは、その国籍の取得の際、出生した国の国籍が付与される方式です。

    アメリカは違います。英雄も伝統もなく造られました。その成立基盤は理想なのです。アメリカは神の一下で平等だという、考え方に賛同した人たちがこれから新しい国を造ろうとして出来上がった"人工国家" なのです。

    アメリカという国の存在意義こそが、この" 出生地主義" なのです。アメリカという地に集まった人たちが造った国がアメリカで、そこに集まった人(の子ども) がアメリカ人なのです。つまり血統に縛られない理想の国なのです。

    時間経過で事物が変化するのが、対数的変化なのです。
    つまり私たちが日々実感する、年々技術の進歩や時代の流れが速くなってきているという身体感覚は概ね正しいのです。つまり完新世の中で、縄文時代の1万3000年と平安時代の400 年間と江戸時代の250年と平成の30年を、ひとつの感覚だと(今を生きる私たちが) 感じるのは、なんとなく合っているわけです

    私たちが歴史を教養として捉える時に必要なのは、まさにその乗算的な変化の歴史感覚と、その時代に生きた人々の加算的な日常感覚を、どちらも考慮することなんだと思うのです。
    これが歴史を「足し算で見る」のではなく、「掛け算で見る」ということなのです。

    人はその問題を認知して、その正解を探すという課題をクリアするブロセスには2種類あることを知ったのです。
    それは「メンタルローテーション課題」と「パターンマッチング課題」の
    2つです。

    最適化ってのが、自分の人生にもっとも適した状況を意味するのなら、それは決して効率化することではないのではないでしょうか?
    ムダや遠回りや失敗や、時には嫌なことを含めて経験・体験・後悔することが、その人の人生の幅と深さをつくると私は思うのです。

    かつて明石家さんまさんが収録の楽屋でおっしゃっていました。
    「カーナビを車につけないんですか? 」ってスタッフが質問したら、
    「俺、迷いたいねん」って。迷って、ジタバタして、それでなんとか目的地にたどり着く。それもまた楽しいことなのではないでしょうか? そしてそんな風に自分の脳内をローリングする行為こそが、まさに教養することなんだと私は思っています。

    人類は、誕生以来、 常に環境との因果応報A 地理を学ぶことで、進化・発展して来ました。
    つまり、その人類と地理の関係を学べば、そしてその地理から授かった環境への知見をあなたの人生にフィードバックすれば、あなたの人生の成功の鍵を手にいれることができます。
    地理思考とは、現在の孫子の兵法とも言える、最強の人生の教養になるんだと思うのです。

    つまり、地理思考とは、知っている情報を軸に、それをさまざまに応用することにより、知らないことを推定し、自分の次の行動に投影する思考法なのです。

    人類は常にその時どう行動するのが一番自分が生存しやすいか? という価値判断でその都度選択してきたのです。
    ただ、問題なのはそれが常に最適解であるとは限らないことなのです

    そうなっている"のにはワケがあり、そのワケが、その土地や人々のキャラクターという新たなワケをつくるのです。つまりワケが重なりあうことで 、そうなっているキャラクターも刻々と変化していくということです。
    地理思考とは、そんな重層的な環境の違い" 地理的要因から、実際にどんな風にその人たちのキャラクターの違いが刻々と変化していくか? を知る教養です。それには柔軟な発想と関連性に思いをはせることが肝要です。

    環境に自分がコミットすることが、人生です。
    しかし、環境のカの方が圧倒的に大きい。
    その環境と人類の阻害と受容の繰り返しが人類の営みだったのです。
    つまり、そうなっているのはそうなっている理由がある。それを理解することが、地理思考を身につけることだと私は思います。

    土器の時代は縄文時代と弥生時代とに分けられます。縄文式土器の命名者はアメリカ人の動物学者エドワード・S・モースです。1877年、東京の大森で彼が発見した貝塚から出土した土器に縄でつけた文様があったことから縄文式土器と名付け、その土器をつくっていた時代だから縄文時代と命名されました。縄文時代は約1万5000年前から約2300年前(紀元前3世紀頃) までの、結構長い時代を指しています。それを私たち日本人が意識し始めたのは、モースが大森貝塚から縄文式土器を発掘してから数えて、150年も経っていません。
    言うなれば、日本史の中で一番長い時代であるにもかかわらず、織田信長も徳川家康も坂本龍馬も、縄文時代を知らなかつたということです

    縄文時代に続く、紀元前3世紀から3世紀頃まで、日本史で2 番目に長いのが弥生時代です。この時代名は、これまた東京の、現在東京大学のある文京区弥生で1884年に土器が発掘されたことが由来です

    人々は革命を通じて、国民というアイデンティティに気づいたのです。そのアイデンティティをナショナリズムと言います。でも一国の中で、各民族が争っている国が現在でも数多くあります。なぜなのでしょうか?
    それは19性紀のヨー ロッバ諸国の帝国主義的欲望卩世界の植民地化により、彼らの都合で国家が統合され、その最中に一民族が分断され現在の国家にされてしまったことが大きな要因です。

    ナショナリズムは国民主義、民族主義、国家主義、国粋主義という混同しやすい概念を内包した言葉なのです。たくさんの意味を持ってしまっているのです。

    イギリス・フランスなど先に世界分割をした側" 既得権益連合とドイツや日本などの後から世界分割に参加した側" 新規獲得連合です。この二大陣営で、やがて新規獲得側が勢力圏を一気に逆転させるための既定秩序のガラガラポンを画策します。それにより起こったのが世界大戦です。

    今のところ、第三次世界大戦はかろうじて行われていません。
    それはなぜなのでしょうか? それまで「他人事」だった戦争は、大量動員と大量殺嗷が必要な総力戦=「みんなの戦争」になったのです。全員が戦争の当事者で全員が戦争の被害者ということです。

    漫画家の松本零士さんは以前テレビのインタビューでこうおっしやっていました。
    「世界中の戦死したその当時の兵士たち、若者たちの中には生きていれば本当はものすごい人類の文明に貢献した人がいっぱいいたはずなんですよ。それが大勢死んでるわけですよ。戦争というのは未来を、 自分の未来をつぶすわけです。」

    他者と自分の気持ちよさの相見積をとることが実は、自分の気持ちよさの最大化だと思うのです。自分が傷付くくらいは、 相手も傷付くんだっていう想像力が、もっとも大切な教養なのです。

    日本の人口は先進国で2 番目であるという事実が、実は日本が数年前まで世界ナンバー2に位置していたことの根源的な理由であることは先に述べました。しかし、それは近年になって崩れました。
    2010 年、日本の〇〇? が初めて中国に抜かれ、世界第2位の座を42年ぶりに明け渡したのです。その理由は3つあります。

    1つ目は、人口超大国の中国が、先進国並みの技術力を身につけてきたことです。
    2つ目は、ドイツは「単独の1つの国」ではないことです。
    3つ目は、日本の人口が減ってきていることがあげられます。

    今までの日本の人口は、何度かの停滞はあったとはいえ、 基本的には右肩上がりでした。したがって、現在の人口減少という事態は、実は日本が初めて経験することなのです。
    これは、「人口が増加する」ということを「成長する」こととイコールで〓いで国力を増強し続けてきた日本の成長神話が初めて効かなくなるという、まさに未曾有の危機でもありまず。

    アルビン・トフラーというアメリカの未来学者が「第三の波』という本を出版したのが1980 年です。トフラーは、人類が最初に迎えた革命として「農業革命」を挙げています。
    この農業革命によって人類は狩猟に頼る生活から、自らの手で食糧をつくり出しコントロ ールできるようになったからです。それ以来、人類は獲物を求めて転々と場所を移動する狩猟生活から、1 カ所に定住する農耕社会を築いたことで、トフラーはこれを第一の波と位置づけたのです。

    この農業革命によって、世界に2 つの概念が生まれました。1 つは国( 国家) です。農業が行われるようになったことで、人類は狩猟のための移動をやめ、1 つの土地に定住するようになり、土地が価値を持ち始めたのです。そしてその土地に人が集まるようになり、国という概念が生まれました。
    もうひとつは、国民を束ねる上で規範となる「宗教」と「思想」です。国民は政治の基礎に宗教を置き、さらに同じ思想によって国民大衆を動かしていったのです。
    そしてこの宗教や思想を根拠にしての戦争も始まりました。いわゆる、国盗り合戦が世界で繰り広げられていったわけで

    続く第二の波は18世紀からの「産業革命」です。機械の発明によって、人類が機械を使い始めたわけです。それまで手作りで行われていたものづくりが機械生産に切り替わり、短時間で大〓にモノを生産できるようになったことで、やがて大量生産、大玩消費の時代に突入します。
    大髭生産、大〓消費社会でもっとも重視されたのが「効率」です。より短時間でモノをつくり、短時間で販売することによって利益を最大化する競争が世界に巻き起こりました

    産業革命によって効率化を優先するようになった人類は、働き方も効率優先でそえるようになりました。そこで生まれたのが「会社」」という組織です。ということは、人間を効率的にはめ込むための器として「会社」は生まれたわけです。

    産業革命によって「会社」の他に「教育」という概念も生まれました。工場で人間に効率よく働いてもらうには、知識と技術と経験が必要だからです。そこで産業革命以後、子どもが誕生しました。実は、産業革命の前まで子どもという存在はなかったんです。ただ" 小さい大人" がいただけでした。ところが学校をつくったことによって一定期間、社会から切り離された状態で読み書き、ソロバンなどの教育を受ける者口子どもが誕生したというわけです。つまり子どもの教育制度ももとはといえば、労働の効率化のために設けられたわけです。

    産業革命によって生まれたもうひとつの概念は、「イデオロギー」です。イデオロギーとは資本主義、社会主義、民主主義といった「〇〇主義」と言われるもので、国家はこのイデオロギーをもとに国家体制を築いていきます。そしてこのイデオロギーが世界の国々の間に対立を生み、戦争が行われることになったのです。

    そしてトフラーは、今、人類に三つ目の波が押し寄せてきていることを示しました。それが「情報革命」です。情報化の波によって、人類はもう一度革命を体験すると予言しているのです。
    資本主義に変わる新しいイデオロギーとは何なのかといった議論も現在世界中で行われているわけですが、まさにそのタイミングで人類は情報革命を迎えたわけです。

    そして重要なことは、トフラーが唱えた「第三の波」は、第二の波の産業革命よりも、大きなインパクトを人類社会に与えるということです。

    産業革命とは何だったかというと、機械の力によって「モノを生み出す進化」をより効率的に進めるものでした。すばらしい効率化ですが、モノに価値があるという意味では、あくまで農業革命の延長線上でしかなかったのです。
    一方、今起こっている情報革命とは、モノから情報という「目に以えないコト」に価値をおく社会への転換です。
    それは価値の機軸の転換、すなわち「概念革命」です。だからこそ、情報革命は産業革命の時よりもはるかに大きなインパクトを世界にもたらすのだと思います。

    情報革命は産業革命よりも新しく発生した、上位の概念です。では何が上位なのでしょうか。端的に言うと、産業革命は「エクセル的な考え方」、倩報革命は「渦卷き思考的な考え方」、というのが私の結論です。

    渦には大きく2 つの特徴があります。
    まず、渦というのは実体がありません。渦とは水が螺旋的に流れ込んでいる「状態」であって、ある形をもった「形態」ではないのです。明確に範囲指定して陣地を定めるエクセルや田んぼとは、位相が全く異なります。
    そして、渦には「常に」水が流れ込んでおり、「常に」水が流れ出ています。この動きが止まることは永遠にありません。来るもの拒まず、去る者追わず。外界に対して常にオープンです。どんなタイミングで何が入ってくるのも、どんなタイミングで何が出ていくのも自由。
    これこそが「渦巻き思考」の本質です。

    例えば、四大文明の1 つインドのインダス文明は紀元前1500年のアーリア人の侵入でバラモン教が成立します。バラモン教では司祭者階級であるバラモンを中心に、クシャトリア(戦士・王族階級) 、ヴァイシャ(庶民階級) 、シュードラ(奴隷階級) 、さらに坡下級の不可触1 民という階級身分制度ルカーストをもつくり出しました。
    なぜアーリア人は、カースト制度をつくったのでしょうか?
    それは一説には、褐色系の原住民であるドラヴィダ人を隔離するためだといわれています。温暖湿潤地域で暮らすドラヴィダ人は現地固有の感染病を持っていて、その病原菌に免疫がないアーリア人が距離を置きたかったようです。カースト制度は当時から現代まで統く社会制度・因習としてインドの至上命題として根深く存在し、現代インドの職業差別や貧富の差
    の原因になっています。カーストという言葉自体はポルトガル語が語源で、後世に西欧人に名付けられたものです。

    例えば組織の縛りがゆるいと何も生み出せないし、縛りがきついといろんなハラスメントを生みます。自分は縛られたくないし、他人を縛りたくもない。でもそうしないとできないことが厳然としてあります。ソーシャルとのディスタンスを改めてどう取るか? が、 自分の、そして読者の皆さんのこれからの至上命題だと思います。

    情報革命によって人間は好きなことを仕事にする時代になっていくのです。もっと言うと、人間は好きなことだけを仕事にしなければならなくなるのです。その理由のひとつはAIの誕生です。

    人間には好き嫌いの「感情」があり、自分が好きなことなら目的がなくても、非効率的で非合理的なことでもやってしまいます。
    人間は遊ぶ生き物であり、好きならそれが非効4; 的だろうと無駄なことだろうと、あえてやってしまいます。それが-AIには真似のできない領域なんです。

    AIがいくらでも集められる知識や情報の価値は低く、あえて時間やお金
    をかけて心を満たすとか、料理を味わうとか、現地の風を感じるといった非効率なことこそが価値を生むということです。
    無駄だし目的もないし、期待もされていないけど、人間が「心を込めてする」とか、「あえてやってみる」「わざわざやってみる」ことに価値があるのです。

    「フレーム間題」とは何かというと、 次の3 項目を指します。
    ① 人工知能は与えられた問題しか解けない
    ②人工知能は問題を創り出せない
    ③人工知能は問題から外に出られない
    というものです。つまりAIはまず、1つのフレー厶の中では、趙高速で做適解を導き出すことはできますが、与えられた問題しか解くことができません。

    フレームを超えたことを考えさせると、この世界で考えうる無限の可能性を思考の対象にしてしまうため、延々と考え始めて結論が出せない状態になってしまいます。だからAIには、あらかじめフレーム、つまり思考範囲の制限リフレームが設けられているのです。

    人間はまだフレー厶が設定されていない現実空間で、間題を見つけ出し、フレー厶を構築して、そのフレー厶の中でAIに最適解を考えさせる。
    それが人間とAIAIの共存世界。
    つまり既存のフレームの中で最適解を出す仕事はく〓1 がやるわけだから、それを既存のフレーム=組織内のルールでやっている従来の個人仕事はなくなる。
    未来には人がなくていい仕事と人が必要な仕事があるのだと気づいたのです。

    新しいフレームを見出して、人間として生きていくのか?
    古いフレームの中で、できの悪い人工知能として滅びるのか?
    私たちの未来を生きる鍵はそこに隠されていると思うのです。

    私は、自分自体が自分というフレ〓厶に固執しないことなんだと思います。自分のフレームに固執し、自分のフレームの中で考えるのではなく、移動しながら自分の思考のフィールドを広げていって、そこに渦ができたのならば、その渦に身を任せて巻き込まれてしまってもいいのだと思うのです。あるいは自分が渦になって人を巻き込んでしまう。

    少なくとも芸能界で働くタレントたちは忙しさを尊び、喜びます。むしろ忙しくなるために日々、芸を磨いたり、自分を磨いたりしています。
    そういう意味で働く時間を短くすることは、私に言わせると仕邪を覚えたい人の修業の機会を奪っているようなもの

    障壁をつくって外部との交流をシャットアウトすることが有効なのは、その内部が内部だけで成立するほど豊潤な多様性を持つ時です。しかし今や日本自体も、日本の各業界も、日本の会社も、その盜潤な多様性を持っていない。なのに日々セキュリティを厳しくすることに社会は躍起になっています。今こそ、新たなコミュニズム(共同体主義) を考える必要が、われわれ社会にはあるのです。

    ドイツの精神分析家エーリッヒ・フロムは人間を「間にある存在」だと述べています。それは人と人の間、人と自然の間、人と社会の間にある存在なのです。自然の一部でありながら、自然から独立している。社会の一部でありながら、社会から独立している。他の人間と共通するところを持ちながら、他の人間とは違う。
    このような存在の分裂の状況の中で、相互調整をし、その都度の解決を見つける理性が発達します。また、特に人間同士においては他の人間との相互尊重としての愛が発達してきます。

    つまり知的好奇心とは、「間にある存在」である人間が各存在の間に生じる感覚であり要求であり、人間であることの根源的理由なのかもしれません。

    本質的にいいものをつくろうとするのではなく、奇をてらい、いかに目立つかに走る。木当がどうであれ、それが〓であれ、本気に見える「態(てい) 」に価値があり、 上つ面だけ「映え(ばえ) 」れば勝ちになってしまっています。声が大きな者、一掘りの「コミュニケーション強者」だけが勝つ、こんな社会でいいのでしょうか。
    例えばコミュニケーション強者とは
    ①自分で自分を宣伝したり売り込める「心臓に毛が生えたメンタル」
    ②制作だけでなく営業PRや調整までトータルでこなせる「器用なゼネラリスト」
    ③「映え( ばえ) 」や「体・態( てい) 」が得意な「嘘をつける人」
    ここで問題なのは、このまま「映えれば勝ち」が続けば、「本当の文化が育たないのでは? 」ということです。

    「売れる、ヒットする、話題になる、勝利する」
    それを目指せる人は、それも生き方です。でも、そうじゃないけど素晴らしい人生や作品というものが確実にある。素〓らしい作品を産み出す弱さや儚さ=フラジャイルをどう維持するか? が、これからのSNS2.0だといえます。
    コミュニケーション強者以外の9 割、つまり「繊細で、不器用で、嘘がつけない」作り手であったとしても、どんな人でも好きなことをサステナブルに続けていける方法を開発したい、。

    発展途上人とは、表面ではなく「本質」を追求する人のこと。小さな成功にあぐらをかくことなく、常に好奇心をもち、すべてのものから学び、己を進化させ続ける人のことです。
    よくないものをよく見せようと盛ったところで、そんなのは受け手にすぐにわかり、飽きられ一過性に終わります。私たちは、いつでも、幾つになっても、発展途上人なのです。

    これから「知性の反逆」の時代がくると思います。こんな説明すれば言いくるめられる的テクニックやマーケティングで人の行動が左右される時代は終わり、個々人の知性にちゃんと届く本質的な言動や作品こそが、人の行動を決める時代が必ずきます。それが教養の時代です。
    知性の反逆とは、知性を軽視している人への反逆。
    大衆の知性をバカにしている施政者への反逆。

    メタバースの特徴は、大きく分けて2 つです。それはフロンティアとシミュレーションです。人類はずっと辺境ルフロンティアを求めて旅を続けてきました。まだ行ったことのない場所を求める、その根源的な好奇心によってアフリカ大陸から数十年前に人類のグレートジャーニーは始まり、500年前にコロンブスは新大陸を発見したのかもしれません

    もうひとつの特徴であるシミュレーション。これは、昨今盛んに叫ばれているサスティナブルな世界という未来に貢献できます。
    つまり、以前なら現実世界で実際に開発、生産、交流などをしていた人間の活動を、それ以前にシミュレーション=練習して結果を事前予想することができ、強いられてきた無駄な開発、生産、交流などを抑えて、資源・環境の乱開発を防ぐことができるということです。

    「世界は、グローバル・ハイクオリティでノーコミュニティ層と、ロ〓カル・ロークオリティでコミュニティ層に分断される」

    未来より過去の方が明るい理由は3 つあります。
    A 本当に過去の方がよかった(のかもしれない)
    B 自分が老化してきて、未来の方が劣化しているから
    C 過去が思い出として美化されてしまうから

    もともとこの都会でも鳥はさえずっていたし、空も青かったし、夕景は茜色だったのかもしれません。それに私が気づかなかっただけ、私が閉じていて、外界の自然物とアクセスしてなかっただけなのかもしれないのです。
    これ、不思議な感覚ですよね。コロナ禍で閉じこもることでむしろ自分が側いていく、いや正確に言えば、コロナ禍で閉じこもったから自分を開いていくことができる、 ってことです。これは、私にとっては、コロナがもたらした恩恵なんじゃないかと思ったりもします。

    問題は、やり始めないこと、書き始めないこと。なんについても言えるけど、私の人生の最大の永年のツケだと思います。やりたいこと、構想がたくさんあるのです。そろそろ本気で始めないとできないまま終わってしまう。人生なんてそれでいいような気もするけど、せっかくこの世界に生を受けたのだから、人生かけてやってみたいとは思います。
    人生は結果(エフェクト) より過程(プロセス) 。でもそれが、結局は結果を生むのです。

    美しくすることで、効率よくすることで、そんな洗練された(しようとする) デザインで、デザインされる前のよくわからない、不細工な、不器
    用な、でも大切な本来の何かが消える、消される。デザインで削ぎ落とされたモノ、付け加えられて見えなくなってしまったモノ、とでもいうか。
    いいデザインを見ていると、いいデザインに囲まれると、よくデザインされたシステムに組み込まれると、本来の自分が削ぎ落とされるような、変形させられるような、隠蔽されてしまうような。
    デザインされて、失っていく自分。なので、なんとなく、デザインされたくないのです。

    例えば英語で論文を書くということは、論文なだけに、几帳面な厳密さや論理が要求されます。すると、今英語の勉強をしていても、そもそもその厳密さと淪理性が、私には持ち合わせてないことがはっきりとバレてしまったのです。
    つまり私が母語以外の言語で生きることは、その外国語能力を取得すること以上に、自分の思考の構造自体に、厳密さと論理性を、(今から) 根幹に据えなければ成立しないんだってことを意味するのでした。それは、いい歳した私にとって甚だ激しい思考転換であり、仮にそれだけを目指せばやれるかもしれないですが、むしろ今からの人生を、それに費やすだけの、時間と、体力と、好奇心があるのかと言われれば、私にはもっとやりたいこと、やるべきことがあるんだって、気づかされてしまったのです。

    私はヨーロッパ幻想という、幻想を幻想だからこそ、今まで享受し、それを甘い将来の希望として、大江健三郎の『あいまいな日本の私』のような「あいまいな日本の角田陽一郎」として、なんとなく生きてこれたんだとも思うのです。幻想は、 幻想だからこそ、スイートでセーフティなのです。

    自分の中で感じる劣等性を、優越的な地域〓ヨーロッパで払拭する行為。それは、結果的に自分の劣等性をより顕著に認識させるだけなのです。
    いや、ヨーロッパは世界で一番人間の普遍性を体現している国だ、フランス革命が世界に拡散した人権思想の先駆的地域だ。その文明の優越性に、自分を組みこむことで、自分もそのヨー ロッパ文明と一体化できるといった希望と憧れ、そんなものは所詮、幻想なのです。

    正確に言えば、宗教と言つてしまうと、変な固定観念や偏見を持たれてしまうので、宗教と呼ばないけれど、宗教的な何か? が必要なんだと思うのです。文化資源学で講義を受けた宗教学の西村明先生は、人類には宗教学が今こそ必須の学問であるとおっしゃっていました。宗教学とは、他者、そして他者が信じている聖性を知る学問だからです。

    今はお金は考えずにやりたいことだけ、やれるだけやるようにしている。
    するとその私のやりたいことに呼応してくれたり応援してくれたりする人がいて、結果お金も回ってきて、生きていける。結果、自分が生きていくのに必要なことは、自分がやりたいことと自分でもやれることの組み合わせ。
    それ以外をやると結果やれないか、やれても病むか。
    つまりそれだとやってる意味もない。自分がやれることを真摯にやる。
    その真摯さが他者に伝わった時だけ、その他者と幸運の神様がご褒美をくれるのかもしれません

    皆さんに本書で言いたいのは、 教養とは、 結局、 自分の人生をどう捉えるか? というために必要だということです。
    逆に言えば、 自分の人生を思考しなければ、 教養することにはならないのです。

    正確に言えば、自分の外側が悪いと、今でも思いがちなので、むしろ、そう思わないように逆算で日々心がけるようにしているわけです。それが私の日々の、「人生思考」です。どういうことかというと、自分の人生をまずは大切にすること。
    そのためには、 自分を嫌いにならないこと。
    そのためには、自分の外側に疎外感を感じないこと。
    そのためには、自分の外側を大切にすること。

    49歳というとこの歳で亡くなつたのが、 まずは数え年
    49歳で亡くなった織田信長かいます。
    「人生五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」という幸若舞の敦盛を好んだといわれる信長が、 まさにその50歳目前でなくなるというのは時の因果を感じます。
    そして、西郷隆盛。彼も49歳になる歳に西南戦争に敗れて自害しています。西郷どんは、だいぶ自分よりおじさんってイメージだったのですが、そんな西郷どんの年齢を超えてしまうとは、なんて自分の人生は平々凡々なんだって思うわけです。
    そして、夏目漱石。彼も49歳で亡くなっています。漱石に至っては、彼が『吾輩は猫である』を執筆して作家業を始めるのはなんと38歳。てことは彼の数々の名作はわずか10年余りの間に生み出されているのです。なんか、そんな話を聞くと、自分の無力さにクラクラします。そんな信長、西郷どん、漱石は、なんと40代で生を終えているのです。この事実を確認し
    た時、「そうか、ほんとうに自分の人生なんてたいしたことないんだな」って実感するわけです。

    49〓で、その境地に行き着いた〓外は亡くなる60歳までの10年をその歴史小説に捧げたわけなのでした。それを知ったちょうど49歳を終える私は、これは自分の中で、49 歳で亡くなった漱石から49歳で新たな境地を旅する〓外へと、自分の思考も変わるクイミングなんだって理解したの
    でした。

    天才も天才と呼ばれる人も憧れの人も綺麗な人もカッコいい人も多かれ少なかれ大して違わない気がする。わざわざ会いたいとも思わないし出会いたいとも思わない。
    たまたま出会った人とたまたま出会ったという運命にこそ実は人生の深意があるような気がする。自分のとこに来たモノコトはやる。来ないモノコトは求めない。選択は自分ではしない。要求も別にない。それでうまくいけば楽しいし、 うまくいかないなら別にす一っとやめればいいのだ。そうやって生きてたら好きなことばっかやってていいですねって言われる機会が増えた。別に選んで無いんだけどな

    故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。
    あらゆる場所を故郷に感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。
    だが、全世界を異郷に思う者こそ、完璧な人間である

    現在の日本において、実際"亡命している人はなかなかいない。でも、それを好奇心と探究心で目指す文学者はいる。それが村上春樹であり、多和田葉子なのである。彼らは、文化と言語を超えて、生きている、と。
    つまり、人間の究極の問いを探りたいならば、越境すべきだ、と。

    自分の視点を変えることで違う形の星座が見える。
    自分の想像力を使うことで新たな形の星座が発見される。
    結局人生って、自分の周りの別々の星々に、 自分の視点からどういう星座を見つけるか?
    自分の視点を動かしてどういう新たな星座をつなげるか? が大切だし、それがおもしろいんだと思う。すでに他人が見えている画を見ることよりも、まだ見えてない.画を自分で見つけること。見えない絵を描いて見ること。

    生きるためにはその情報にアクセスしても過敏に反応しないっていう他人事的態度が必要で、つまり問題点の過剰指摘は結果それを増長してしまい、その問題点への無関心な人を増やすという矛盾をはらんでいます。
    数年前、横浜でバンクシー展を見ていたら、近くにいた若いカップルの声が聞こえてきました。
    「なんか、疲れたね一。」
    そうなのです、見ていると私もとても疲れたのでした。その指摘され疲れが、問題点への忌避や逃避にならなければいいけど、と思ってしまった次第。バンクシーのどの作品も、素睛らしいだけに、心がえぐられるだけに、そう感じたのだと思うのです。

    ハラリは、結局以って人類の幸福とは脳内に分泌するドーパミンの^ にかかっていると述べています。科学技術が進化してライフスタイルが快適になったとしても、一方でその現実世界に疎外感や不安感を脳内で抱いているようでは結局、人類は幸稲になれないのだと。
    また、フランスの社会学者デュルケムは19世紀末に『自殺論』の中で、急速な産業化による社会の規範体系の動揺が、個々人の欲求の無際限の肥大とそれによる苦痛を惹起して自殺が増えていくと分析し、それをアノミー的自殺と定義しています。
    つまり、幸せをどんどん追求して頑張って生きドーパミンがばんばん分泌されても、次から次へと次なる幸せの追求に追われて、人はどんどん幸福でなくなっていくのです。

    「身の程を知る」ってことは、周りへの自分の中での劣等感や優越感からくる感情はあまり意味がないと知ることであって、それと同時に他人の優越感や劣等感からくる言動にいちいち自分が束縛されないってことなんじゃないかな。その比較対象から自分自身を解放すること。

    どう生きようがどっちで考えようがどうせ月日は過ぎていくのだと、最近ではなんかそんなに目的意識を持たないで生きていこうかなと考えている自分がいます。まあ、それも歳をとったからなんだろうなとは思うのですが、つまりバタバタしたって仕方がないなというのが現在の心境です。

    最近、50歳を超えて、何かがわかりかけてきている気がするのです。その何かとは、 何かのだいたいは、だいたいよくわからないということ。
    いいも悪いも正しいも間違いも好きも嫌いもない。というかいいも悪いも正しいも間違いも好きも嫌いも流転するのです。

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著者プロフィール

角田 陽一郎:
バラエティプロデューサー/文化資源学研究者
千葉県出身。千葉県立千葉髙等高校、東京大学文学部西洋史学科卒業後、1994年にTBSテレビに入社。「さんまのスーパーからくりTV」「中居正広の金曜日のスマたちへ」「EXILE魂」「オトナの!」など主にバラエティ番組の企画制作をしながら、2009年ネット動画配信会社を設立(取締役 ~2013年)。2016年TBSを退社。映画『げんげ』監督、音楽フェスティバル開催、アプリ制作、舞台演出、「ACC CMフェスティバル」インタラクティブ部門審査員(2014、15年)、SBP高校生交流フェア審査員(2017年~)、その他多種多様なメディアビジネスをプロデュース。現在、東京大学大学院にて文化資源学を研究中。著書に『読書をプロデュース』『最速で身につく世界史』『最速で身につく日本史』『なぜ僕らはこんなにも働くのだろうか』『人生が変わるすごい地理』『運の技術』『出世のススメ』、小説『AP』他。週刊プレイボーイにて映画対談連載中、メルマガDIVERSE配信中。好きな音楽は、ムーンライダーズ、岡村靖幸、ガガガSP。

「2021年 『仕事人生あんちょこ辞典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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