かなり良かった。
『ミライの源氏物語』でも、ナオコーラさんのエイジズム観にハッとさせられてけど、本作は年齢にまつわる話。
『ネンレイズム』では、年齢愛好家で自分の年齢を68歳と公表したい願望がある女子高生の村崎紫(ムラサキユカリ)が主人公。そこに、何事にもラインを引く必要はないと考え、その人との親密さによって言葉遣いは変えるべきだという考えを持つ紫優香里(ムラサキユカリ。同姓同名)が友だちになりたい、と申し出てくる。
(『ボーイミーツガールの極端なもの』にも名前にムラサキがつく人が出てきたので、ナオコーラさんは相当紫色が好きなんだろう。)
公民館での手芸教室を通し、坊主でスカートを履いている同級生の男子「徐々にちゃん」を含めた3人が会話を通して互いの考えを交換していく。
村崎紫と違って紫優香里は、考えがぐらつくところもあるけれど、そこも含めて高校生らしくて良い。また、村崎紫は年齢が上であればあるほど強い尊敬の念を井田津傾向があり、物語の語りも丁寧語から尊敬語に変わったりして面白い。
すきなところ
P.21
「もうじき、女子高生は終わりですね」
「ええ、でも、終わりのことは、考えていません」
「終わりのことを考えない…。どういうことですか?」
「今に集中したいということです。もちろん、卒業したら女子高生は止めます。でも、未来のことは考えません。人は未来のために減材を生きているわけではないからです。今、制服を着たい気持ちがあるから着る、それだけです」
「ワシも同じです。今も集中したいです。今、おばあさんっぽいことをやりたいからそうしている、それだけです」
P.26
「人と人は、少しずつ少しずつ、仲良くなっていくしかないと思います。年齢や性別で区分けして、同じ区に入る人を、自分と同じ人、あるいは自分と似た人、ととらえる人が多いのかもしれません。同じ人や似た人とはすぐに友達になれるとか、違う人や似ていない人とは少しずつしか分かり合えないとか、とういった思い込みを、私もちょっと前までは持っていました。でも、本当にそうだろうか、と。一人一人の違いよりも、男と女の違いや、世代の違いのほうが大きいのだろうか、と。いや、そんなことはないだろう、個人の違いのほうがはるかに大きいはずだ、と最近、新聞を読みながら考えるようになりました。属するカテゴリーの違いより、個人の差のほうが格段に大きいのだから、カテゴライズで仲良くなれそうかなれなさそうか判断するのは、やめようかな、と。だから、区分けはしません。誰に対しても、一気にではなく、少しずつ少しずつ、仲良くなりたい。そのために、初対面の相手には必ず敬語を使おうと考えているんです」
P.29
「年齢を気にせずに人を見る、というのは難しいです。『年齢をみて、ある程度相手を理解してから、近づいていきたい』とワシは思っています。だから、まず初めに相手へ年齢を尋ねます」
「社会のフィルターを通さずに、自分の目だけで相手を理解していった方が良くはないですか?
「そうしますと、紫さんは、年齢っていうものを、ない方がいいと思っていらっしゃるんですか?」
「ない方がいいと思っています。新聞記事に、スポーツ選手でも殺人犯でも被害者でも市井の人でも、必ず性別と年齢が入っているの、どうかと思います。キャラクターイメージが固定されちゃうじゃないですか」
「ワシはそうは思いません。年齢表記があると、その人のことがよりわかると思います。年齢があるのは、とても素晴らしいことです。ワシは年齢愛好家なんです」
P.54
「性別に馴染むのを、ゆっくりやりたいって思っているんだ。中学までは、『男っぽくなれ』と人からプレッシャーをかけられているような感じがあって、仕方なく従っていたんだけど、気分が悪かったんだ。それで、高校に上がってから、男になるか女になるか、三十歳くらいに決めればいいんじゃないか、焦らないでいいんじゃないか、って思うようになって。今はまだ、無理に男になる努力はしないようにして、女っぽいことも楽しんでいるんだ」
「ま、僕は性別のことにそんなに関心があるわけでもないんだけどね。とにかく、ゆっくりやるのが好きだから、何事もすぐには決めないんだ。優柔不断最高、と思っているんだ」
P.81
「うーん、なんのプランもないです。卒業してから考えます。なんとかなりますよ。雁は将来のことをちゃんと考えているんですか?」
「将来のことは考えていないけど、来年は大学へ行くつもりだよ」
「前にも言ったことがあると思うけど…。推薦で決まっている、って」
「進路を全然考えていない人なんて、床の他にはいないよ。この時期の高校三年生は、今後の受験の合否によって左右されるにせよ、志望はみんな決めているよ」
徐々にちゃんは言います。
「でも、雁は、『今のことしか考えられない』とか、『人間には現在しかない』とか、そんな感じのことを言っていたじゃないですか?」
私はムキになって言い募りました。
「今っていうのは、瞬間のことじゃないでしょう?自分が、『今』って感じる時間の総体でしょう?」
「徐々にちゃんも決めているんですか?」
「決めているよ。僕は、ゆっくりやりたいことをやっていきたいと思っているんだ。来年は、フリーターになるよ」
「え?フリーターになるの?」
がたっと椅子を揺らして、雁が徐々にちゃんの科白に被り気味に言いました。
「『進路が決まっている』って、前に言っていたから、てっきり、あたしと同じように、推薦で大学を決めたのかと思っていた」
P.102
「あたしのお腹に赤ちゃんがやってきました」
雁が言いました。
「え?どういうことですか?」
私は面食らいました。
「おお、やったあ。頑張って育てよう」
徐々にちゃんがにっこりしました。
「性別はゆっくり決めるって、前は言っていたのに」
私はつい、責める口調になってしまいます。
「そもそも、徐々にちゃんはまだ九歳なんですよねえ。九歳の人が父親になれるんでしょうか?」
「公的な年齢は十八歳だから、法的には問題ないだろ?」
私よりずっと小さい、百四十センチちょっとしかない小柄な雁に赤ちゃんができたなんて、受け入れ難いです。私はおばあさんになっているつもりですが、雁が私をおいて大人になってしまったように見えて、どうしても寂しく感じてしまいます。しかし、人間としては変なことではありません。大昔の時代ならば十八歳はごく普通に初産の年齢でしょう。
後半の『開かれた食器棚』は、障害のある菫を子に持つ鮎美は、友人の園子とカフェを開く。行ったこともない魅惑の地・ハワイに思いを馳せて。
こちらはかなり真面目な物語で、言っちゃなんだが、ナオコーラさんらしさがあまり出ていない。だけど、素敵な作品。
P.153
生まれてから生後六か月までは、とにかく菫を生き続けさせることに必死だった。菫はおっぱいを吸う力が弱いらしく、鮎美は一日中、少しずつ何度も飲ませ続けた。家の中だけで過ごした。外出は怖かった。人目に付くことを恐れた。友人にさえ娘を見せるのをためらった。今から思えばそれは、かわいそうに思われるのではないか、下に見られるのではないか、というくだらない恐怖だった。だが、意を決してすみれを連れて園子の家へ行ったとき、園子はちっとも下に見なかった。
「まあ、なんて可愛いの。私はなかなか子どもに恵まれないけれど、こんな風にときどきでも小さい子と触れ合えたら、すごく嬉しいよ。また遊びに来てね」
と菫の腕を撫でた。
園子から勇気を与えられて、鮎美は他の人とも子連れで会うようになった。下に見られているように感じるときがないわけではなかったが、下に見られたところで実害はなく、大したことはなかった。それに、人を下に見るという行為のほうがおかしいのだから、それは自分の問題ではなく相手の問題だ。意に介さなければ良いのだ、と鮎美は気がついた。
「ねえ、カフェをやろうよ。…覚えているかな?私は覚えているよ。小学生のときの作文に、『大きくなったら、園子さんと二人でお店屋さんを開きます』って鮎美さんが書いていたこと」
園子の家でこたつに入ってお喋りしていたとき、園子が急に誘ってきた。
「まだ菫が小さいし…。私が働いたら菫がかわいそうだから」
「かわいそうなわけがない」
園子はきっぱりと言った。
「ねえ、菫ちゃんだって、カフェで働いてみたいよねえ?コーヒーっていう、大人専用のおいしい琥珀色の飲み物を提供するお店だよ。菫ちゃん、コーヒーカップを、取ってきてくれる?」
園子は菫の手を取って、話しかけた。鮎美は片眉を上げた。「〇〇を、取ってきてくれる?」なんて科白を、鮎美が菫に向かって言ったことは、それまで一度もなかった。菫にできるわけがない。きっと園子は相手にできるわけがないことを笑いながら言うのが冗談になって面白いと考えているに違いない、どうしてそんなことをして菫を傷つけるのか、と鮎美は思った。だが、
「うん」
菫は頷き、園子の手を放し、台所の方へ顔を向け、白木にガラス窓がついている食器棚へ向かってすたすた歩いて行った。
「え?コーヒーカップっていうのが、なんのことだかわかるの?」
「うん」
菫は食器棚の上のほうを指さした。
「そう、それだよ。おばちゃんが抱っこしてあげる」
園子は立ち上がって菫を追いかけ、抱っこして食器棚の上の段に菫を近づけた。すると、菫は食器棚のつまみを握り、ぐいっと扉を開けた。
「…アップ」
菫は迷わずコーヒーカップに手を伸ばして、両手で取り出した。ぼってりとした白い陶器のコーヒーカップで、紺色と金色のラインが縁にぐるりとついていた。
「そうだよ、そうだよ。コーヒーカップだよ」
園子は笑ってそれを受け取った。
そんなことがあるわけないのに、食器棚の奥から風が吹いてきた。その風は、炬燵に座っている鮎美のところまで届く。鮎美は爽やかな風におでこの前髪をそよがせた。そして、菫が今、幸せなことを知った。これからもずっと幸せだろうということも。他の子と比べなければ、菫におかしなところなんてない。
どうしてこれまでは、菫に何かを頼もうと思わなかったのだろうか。なぜ、こちら側がやってあげることばかり考えていたのだろう。これからは、もっと菫を信じよう。そう鮎美は思った。