- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309026015
感想・レビュー・書評
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これは、社会変革を期するすべての若者がその教訓を得るためにも、必読とすべき一冊だと確信する。
僕は20代なので当時のことは実感としては全く知らない。
知っているのは、あさま山荘事件とか、その前のリンチ事件とか、日本赤軍のハイジャックとか、なんとなく”行き過ぎた奴らがいた”くらいのイメージだけ。正直、東アジア反日武装戦線など聞いたことさえなかった。
そして、どんな大義があるにせよ、武装闘争は否定されるだろうと素朴に思っていた。
この本を手に取ったきっかけは、” 狼を探して”というドキュメンタリー映画に関しての話題から、その事件や彼らの存在を知って。映画自体は見逃してしまったが、少し調べると彼らの思想自体は至極真っ当で自分が最近考えていたこととも近く、”どこで誤ったのか”という問題意識で読み始めた。
読後の結論として、やはり犠牲者をも出した彼らの爆弾闘争という手段自体は強く否定されるだろうことは変わらない。しかしそれと同時に、自分の当初の問題意識の素朴さに、打ちのめされた。
彼らが命を賭けて否定しようとした”日本人であるという特権の否定”は、”学生である特権の否定”を貫こうとした全共闘運動を、その至純さの点でさらに突き詰めた結論であり、そしてそれは我々すべての日本人がどこかで想いを馳せながら、目を瞑っているところに正面から向き合った結論なのだということが痛いほど伝わってきた。
そして彼らが、爆弾闘争で人的被害を出した時に感じた悔恨に、その思いを強くした。彼らはひどく正直、つまりこの狂った世界を生きるには正直すぎたという点で狂ってしまっていたのだと、思い至らずにはいられない。
いま、歴史の暗部には自虐史観などという訳の分からない妄言で蓋がされようとなっており、小池都知事は9.1の追悼声明を出さず、シリアやミャンマーで起こる悲劇を知りながら何もせず、途上国への経済支配を強めようとしているこの国で、わたしたちは何をしなければならないのだろうか。
時間が経過し、被害にあった無実な市井の人々の死という忘れ得ぬ重みとは独立してこの事件を総括できる時が今来たのではないだろうか。彼らが何を志向し、どこで間違えたのか。松山竜一さんの煩悶する姿に己を重ね、悩みながら、向き合わなければならないのではないかと思う。