おもろい以外いらんねん

著者 :
  • 河出書房新社
3.24
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本棚登録 : 1330
感想 : 88
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309029405

感想・レビュー・書評

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  • 同時代作家さんを読む喜び。
    人を傷つける/傷つけない笑い、コロナ渦、青春。
    この言葉にピンときたらどうぞ。
    ラストは爽快感を感じた。

    その中にはいじる人といじられる人がいて、いじられるひとは怒るとか笑うとか、こちらが返せるリアクションをするものだった。それ以外の反応をするひとたちは俺たちのなかに存在しなかった。悲しむ人や沈黙する人は他者だった。悲しみや沈黙を俺たちは無視した。俺たちを気持ちよくしなかったから。(略)p028
    (コロナ渦の)この期間、お笑いが俺を救ってくれていた。笑いはストレスを発散してくれた。それと同時に笑いが嫌だった。見た目や性別をいじられることで傷つくひとがいるんだと想像して俺は傷ついていた。でもそれでツッコミとボケの流れが生まれて芸人さんは彼らなりの仕事をしているのだからひどいいじりをされている本人は案外平気なのかもしれなかった。そんなの本人しかわからない。傷ついているのかもしれない。それでもあるノリが発生するとそれに抵抗することはむずかしい。訂正したり抗議すると笑いにならないから笑いのためにノリに参加する。そういうショーだから。でもそれは彼らのなかでは完結せず、観ている人々がまねをするのだった。芸人たちのやりとりから仕事の部分が剥ぎ取られて、あとに残った傷だけが笑いのかたちをまとって広がっていくのだった。p103,104
    小説と漫才は似ていた。描かれているものは本当はそこにないのに、みんなそれがそこにあるという体を信じている。「これやってみたいんやけど」とはじめる漫才のシチュエーションも小説の設定も、それがうそだとわかっているのに作り手と客で共犯するように信じて、半分うそで半分本当のショーになっていた。p119

  • バリバリの関西弁でお送りするコロナ禍の芸人青春小説!

    それだけではないけど、おもろかったらなんやかんやでOKやろっていう関西だけ?の風潮の中で育ってるから少々無茶をしたり人をいじったりする笑いでもいいから笑いを取ろうとしてしまっていた陽気やけど痛い青春時代を思い出した

    毎日芸人さんのラジオを聴くのが楽しみなお笑い大好き人間やからこそ凄く響くし面白い作品

  • 「本当に素晴らしい小説は、真に差別的であることはありえない」と言っていた人(たぶん佐藤亜紀『小説のストラテジー』だと思うが不確定)がいたのだけど、「おもろい以外いらんねん」もそういう意味で、そういう話だったと思う。「笑い」は「普通」からの逸脱とそれに対するツッコミで成り立つものだが、その「普通」が変わりつつある令和という時代には誰かを傷つけてしまうこともある。誰かの容姿や性を踏みつけて取る笑いに順応できる空っぽな漫才師と、それでひとりだけ売れていく相方に「漫才をしろ」と怒る相方、誰かを踏みつけて笑いを取ることは良くないのだと気づいてはいても、過去にそれに加担してきたことを認めるのが怖い親友。三者三様の葛藤には、ネット上でのフェミニズム活動が盛んになってきた現代が、価値観のアップデートの過渡期にあることがとても生々しく現れている。
    「おもろい以外いらんねん」の含意が、「おもろければなんでもいい」から、「人を踏みつけなくても成立するほんまのおもろさを見せてみろ」に変わりつつある時代なんだろう。

  • 2020年という年をお笑いとともに暮らした人には特におすすめしたい本。自分はステイホームとともにお笑いを追う機会が増えた身なので、数年後に読むと時代の空気感がばちばちに思い出されそう。なんだか石碑のような本でもある。
    どちらかというと不謹慎な発言は好きな方だけど、漂うホモソーシャル感や他人をくさして取る笑い、みたいなのにじわじわ疲れている実感もある。おもろい以外いらんねんって、結局誰にとってのどのような「おもろい」かによるやんか、みたいなモヤモヤに対して、ラスト公園シーンの主人公の言葉がひとつの解になっているんだな。

  • 梅雨が苦手で、その時期の滝場はいつも起きられなかった。だからオレも一緒に遅刻してた。

    滝場はクラスでいつも笑いをとってた

    “ほとんど暴力みたいにクラスメイトや先生をいじっていた。嫌な顔するひとがいた。注意するひともいた。俺は傍観することが多かったが、たまに「いやいじりすぎやろ」とかいうこともあった。それで笑いが起こった。きつかった”

    滝場は転校してきたユウキとお笑いコンビを組んで、お笑い芸人になった
    相方はオレじゃなかった

    アイツらが少しずつ劇場に立ち
    名前が出てきたころ
    コロナが始まった

    オレは勤めていたホテルが潰れ、クビになった

    笑いはストレス発散になった。
    でも、見た目や性別をいじること。
    それで傷つく人がいること。
    芸人本人たちは案外平気なのかもしれない。
    見えないけどお互いの信頼関係やその場のノリや。
    でもそれを見ている人がマネをする。
    傷だけが広がっていく。




    テレビを見るのがつまらなくなった
    誰かが何かすることを、傍観して、傷つかないところからつっこむ
    この流れが普段の会話でもマネする人がいて
    それがたまらなく嫌いだ

    そんな時、大前粟生さんのトークイベントでいろんな話をうかがい、どーにもこの本が気になって読んだ

    青春の物語でもあると同時に
    やっぱり“傷”のことを考えている

    それでも
    “笑いが傷つかない漫才がしたい”
    という言葉に少し未来を感じた

  • まず第一印象として、読み易くは無かった。
    それこそ漫才の台本のような、喋り言葉そのまんまの会話文が、小説という形だとこんなに入ってきにくいのか、とちょっと意外だった。(多分ひらがなが多いせい)
    地の文も情景や誰の視点なのかが読み取りづらい。比喩も独特で情報が入ってきにくい。

    そんな感じで文章表現は粗削りに感じられながらも、心情の言語化は上手いと思った。辛いとか気に食わないとかの一歩手前のモヤモヤみたいな複雑な感情に、的確な表現を与えてみせる描写は見事だった(登場人物にセリフとして語らせるのはリアリティが少し欠けていたけれども)。ただ、終盤は少し分かりづらかったかな。

    タイトルにある「おもろい以外いらんねん」というセリフが作中に3度、主要な登場人物の咲太、滝場、ユウキによってそれぞれ1度ずつ使われている。全く同じ言葉なのにそれぞれの価値観、それぞれの文脈を通して全く違う響きに聞こえるようになっているのが面白い。

    扱われているテーマは『お笑いの価値観のアップデート』であり、まさに現代のお笑いにおける問題。令和になって可視化されたお笑いの加害性、イジりという名のハラスメント。傷つけないお笑いのニーズ。時代の流れ。

    あと物語の舞台は2020年だと思うのだけど、この頃のコロナ禍の閉塞感のヤバさが生々しくて懐かしかった。たった2年前の事なのにもう随分昔のことのように感じる…。

  • そんな大袈裟な、というようなパーソナルな部分を描きすぎず仄暗いしておくことで飛躍時の虚構感に奥行きが出て、人物像に深みがあった。内容もなんとなく知ってる芸人さんのソレで、結末はずーーーっとそれ思ってた!というものでカタルシスがあった。

  • 小説の中に漫才がフルフル載ってる、面白いかはさておき。ただ、馬場リッチバルコニーができて終わるまでの葛藤や虚無感、かけ違いの苛立ちやらなんやら、タッキー、ユウキ、咲太から見たそれぞれの人物の行動。重たく、怒涛のように流れる話だった。
    310冊目読了。

  • 「自分に悪意があるんかどうかさえわかってなかったもんな。これはおれらの問題やわ」
    「とがってるふりしてすごい体制に順応的」

    ベテラン芸人の何組か、昔は好きだったけど、今はもうしんどくて見れなくなった人達がいる。
    好んで見なくなった、っていうだけで、禊が済んだとは思わない。
    自分にゾッとするような加害性があった。今もある。
    そこと向き合わずに、生まれたときから今の倫理観に沿えてましたみたいな顔はしたくない。
    居心地の悪さ、後ろめたさを抱え続けていかないと。

    傷つけない笑いを前提にすればいいって、確かにそうだ。
    局部を出さないとか、放送禁止用語を言わないとかはもう当たり前にクリアできてるし。
    ルールだから守る、それならできそう。
    でも一人一人の意識が伴ってるのか分からないから怖いな、と思うのは理想主義がすぎる?
    形式として達成することをまずは目指すべき?

    今まさに真っ只中にいることが描かれているから、大前粟生さんの小説、これからも読んでいきたい。

  • いまの時代をフィクションとして描くには、アイドルとお笑いが最適なんだろうなと文藝の「推し、燃ゆ」「おもろい以外いらんねん」「誰にも奪われたくない」を読むと考えさせられる。置いてけぼりにしてきたあのときの自分たちと、暴力にすがるわたしたちの弱さと。大前粟生の小説をもっと読みたい。

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著者プロフィール

1992年生まれ。著書に小説『回転草』『私と鰐と妹の部屋』(書肆侃侃房)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』第38回織田作之助賞候補作『おもろい以外いらんねん』(河出書房新社)、宮崎夏次系氏との共作絵本『ハルにははねがはえてるから』(亜紀書房)など。最新刊に初の長編小説『きみだからさびしい』(文藝春秋)、児童書『まるみちゃんとうさぎくん』(絵・板垣巴留、ポプラ社)がある。

「2022年 『柴犬二匹でサイクロン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大前粟生の作品

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