- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309225531
作品紹介・あらすじ
消え去りゆこうとする人と土地の、記憶と記録の民俗学。日本各地に残された人びとの生きた姿を刻み込むルポルタージュ。
感想・レビュー・書評
-
著者についても内容についても何も知らないまま、タイトルに惹かれて手にとった本。いうまでもなく、民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』をふまえたタイトルである(佐野眞一の著作にも同題のものがあるが)。思いがけず面白かった。
著者は1944年生まれの元「共同通信」記者で、現在は在野の民俗研究者。
新聞記者などの社員ジャーナリストには、定年を迎えたとたん物を書かなくなってしまう人が少なくない。が、中には定年後のほうが旺盛な執筆活動をしている人もいる。著者もその1人であろう。こういう人こそ本物の物書きであって、定年後に書かなくなってしまう人は、けっきょく物を書くのが好きではなかったのだと思う。
本書は、著者がつづけてきた民俗研究の過程で出合った、「一冊の本にするのは難しそうだが、いつまでも気になって忘れることができない人や土地」について綴ったもの。それぞれ独立した内容の全6章からなる短編ルポ集である。
章立ては以下のとおり。
第1章 サンカが過ごした最後の日々
第2章 奥会津・三条村略史
第3章 ある被差別部落の誕生と消滅
第4章 「説教強盗」こと妻木松吉伝
第5章 葬送の島、葬送の谷
第6章 朝鮮被虜人の里の四〇〇年
第5章を除いてすべて、差別され、社会から疎外された人々の忘れられた暮らしぶりをたどる内容になっている。「説教強盗」妻木松吉についての章だけが浮いているようだが、これは松吉の出自が「野守(のもり)」と呼ばれる被差別者であったことから取り上げられたもの。
「漂泊の民」サンカの暮らしぶりをフィールドワークから浮き彫りにした章など、たいへん興味深い。次のような記述に、度肝を抜かれる。
《シマは産んだ子は、ぜんぶ一人で取り出している。義造とのあいだの末子などは、仕事中に鬼怒川の河原で産み、川の水を産湯代わりにして体を洗ったという。分娩直前になっても箕売り、箕直しに歩いていたのである。ただし、こんなことは彼らの社会ではごく普通のことであり、なにもシマにかぎってのことではない。》
「箕(み)」とは竹や木の皮で作る農作業用具だが、かつてそれはサンカなどの非定住・無籍の民が作るものであって、「一般の農民が作ることは、まずなかった」という。箕を作る者に対する厳しい賤視があったためだ。
ほかにも、目からウロコの記述が少なくない。たとえば、「葬送の島、葬送の谷」の次のような一節――。
《墓所と聖地では、その性格は全く逆ではないかと思われる方もいるかもしれないが、そうではない。葬場あるいは墓所は死者の霊を浄化して常世(神の世界)へ送り出すところであり、のちには聖地に変化しやすい。伊根の青島も、そのような場所であった。葬送と穢れを直結させるのは、中古以来の考え方である。》
《古代の葬礼は、今日とは決定的に違っていた。とにかく期間が長く、天皇の場合には短くて数ヵ月、長いと数年に及んでいたほどである。葬とは遺体を白骨化させたうえで墓所に納めることであった。絶息からそれまでのあいだを「殯」と呼んでいた。》
「短編集」ゆえの読み足りなさはあるものの(各章の終わりごとに「え? もう終わり?」と思った)、民俗学の面白さを再発見させる好著。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「血というものも実は99%以上、虚構にすぎない」
最後の章最後のページの言。
人の出自という物は、人となりの形成に影響を及ぼすが、それを決定付けるものではない。
様々な人、血を持つものが作中で登場したが、皆、日本の人々であると感じられた。 -
サンカなどのルポ。
近代日本民族ルポタージュ。 -
オブラート無しの昔の生活風景が知りたくて本を探す中見付けた一冊。
期待したような描写は少なかったが、価値観を揺さぶられる話が多かった。
今でも普通に使っている箕にこんな歴史があったとは…。 -
宮本常一さん、網野善彦さん、沖浦和光さん
の 著作 と 方向 がとても気になる人は
一読に値すると思います
河出書房新社さん
がんばってくれてるなぁ
おもしろく
読ませてもらいました