狂人の二つの体制 1975-1982

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309243108

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  • 読んだ。
    誤解を恐れず敢えて一方の陣営に着くという安易な身振りに満足できない判断力こそドゥルーズが知識人たる所以であり、本書はその証拠である。

  • というのは、ぼくはぼくの方で、「快楽」ということばにはほとんど耐えられないときている。ではなぜ。ぼくにとって、欲望にはなにも欠けるところがない。さらに欲望は自然な与件でもない。欲望は機能している異質なもののアレンジメントと一体になるだけだ。それは構造や発生と違って、プロセスだ。感情とは違って情動だ。主体性とは反対に「此性(しせい)」だ(一日がもつ、一つの生がもつ個体性)。事物や人とは違って、出来事だ。そしてなによりも欲望は、強度、閾、勾配、流れの諸ゾーンだけが決める、一つの内在性の場、一つの「器官なき身体」だ。この体とは、生物学的なものでも、集団的、政治的なものでもある。諸々のアレンジメントができたり壊れたりしていくのは、この体の上であり、諸々のアレンジメントの脱領土化の諸先端、諸逃亡線を戴いているのもこんな体だ。この体は変化する(封建制の器官なき身体は資本主義の器官なき身体と同じではない)。これを器官[オーガン]なき身体と呼ぶのは、あらゆる組織[オーガナイゼーション]の地層、有機体[オーガニズム]の組織だけでなく、諸権力組織にも対立するからだ。まさしく体に対する諸々の組織化の全体が、内在性の図面[プラン]もしくは場を砕き、器官なき身体をそのつど地層化しながら、欲望に、もう一つの図面[プラン]を強要するのだ。(『狂人の二つの体制1975-1982』p180-181―欲望と快楽)

    反対に、諸々の権力装置は身体と無媒介的かつ直接的な関係にあるというミシェルのアイデアは重要だ。
    しかしぼくにとってこれは、諸々の権力装置が身体に組織化を強要する限りでのことだ。器官なき身体が、脱領土化の場所や作用体である(これによって欲望の内在性の場となる)のに対し、組織化のすべて、ミシェルが「生―権力」呼ぶシステムは、身体の再領土化を行う。(『狂人の二つの体制1975-1982』p182―欲望と快楽)

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