- Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309243696
感想・レビュー・書評
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慎改康之さんの本を読んでからのフーコーだった。
図書館にあるのが、この本と数冊しかなかったので。本当は『言葉と物』や『性の歴史』を読みたかった。
もうひとつ言えば、1995年の訳。中村雄二郎さんて人気ないのかな。最近、慎改康之さんが『知の考古学』翻訳して人気あるみたいだし。
以下、断片。
考古学は解釈せずに見ること。
言表とは隠されていない。つまり、暴こうとはしない。当たり前過ぎて見えない。
以下、感想。
前半をもう一度読み返したい。
日常生活には影響はないだろう。
糖分たっぷり食べてから読みたい。頭がついていけなくなるから。
キャッチコピーは
『解釈しないでくれよ、そのままの私でいさせて』 -
今の力量ではとても理解できなので、あとで読む。
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哲学
思索 -
【要約】
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【ノート】
・正剛さんの「多読術」で
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時代の流れは、出来事の背景にある「構造」から読みとれると説いた本。
様々な本は、発言の主題を探り出すのではなく、
それらがいかなる「規則」(無意識的構造)に従ってなされたかを問題にする。
作品(小説や哲学書など)を分析する場合、作者の意図を絶対的存在としてみない。
その作品を成立させている「規則」を明らかにすることが重要。
考古学では、作者と作品とが一体化しているとはとらえない。
作品とは、あくまでもその時代の「規則」の産物であると捉える。
目に見える成果や発言だけで判断するのではなく、
その背後にあるものを探る姿勢を忘れない。 -
この本を読もうと思ったのだけれど、挫折した。これは単純に俺の頭が悪いからだろうと思って、某カルチャーセンターのフーコー研究者の講座を受講した。そして最初に先生の語るところ、「知の考古学」はフーコーが方法論について語った非常に稀で重要な著作なのだけれど、翻訳がとにかく酷い、と。(やっぱりか!)。この著作はフランス語で読んでも難しいのに、日本語訳することでさらに難しくなり、しかもそれが日本語としての形すら取れていないために困難を通り越して、もはやとても読めたものではないものになっている、とのこと(実際はもっとソフトな言い回しだったが、言いたいことはこういうこと)。某人気評論家も鼎談か何かのトークイベントで『知の考古学』の意義を再確認すると同時に、新訳を出すべきであるという結論に達したらしい。
もちろん、全ての訳が悪いわけではないから当然読める場所もある。大意もつかめないこともない。しかしそれってどうなんでしょう。読めるところだけを拾い読みして評価するのは道徳的にも、哲学的にも問題だろう。よって、レビューできぬ。原典を参照せずに、この著作のみで読破した人がいたとしたら、恐らく読破したが故に信用ならない。ありえないことをしてしまったのだ。
でもレビューを読むと大方・・。分からん。これは分からん。読める人もいるらしい。頭の問題なのか、訳の問題なのか。とりあえず内容に関しては書けないので、訳に関してこういう話もありますよというささやかなレビューをさせていただきました。 -
545夜
この本では、多くの事柄が、いまだ曖昧なままにとどまったこれまでの著書のなかで、やりたかったことを説明するのであろうか?
G・バシュラールが医術下<認識論上の取り決めや・>は、認識の際限のない累号を中止させ、認識のゆっくりした成熟を廃し、認識を、一つの新しい時間のなかに入れ、その経験的起源や最初の動機づけから断ち切り、認識を想像との共犯から浄化するものであった。
果たして記録が真実を語っているか、なにを根拠にそれが真実だといえるか? 記録は誠実なものか、それとも虚偽を伝えるものか? 十分調べられたものか、それとも、確かめられていないものか? 真正なものか、それとも手の加えられたものか? それらをも明らかにするためである。だが、これらの問いの一つ一つ、および、すべてこの大きな危機的不安は、同一の目標をめざしていた。
記録は、それ自身としても、正当な権利からいっても、<記録>でありうるような、歴史の好都合な道具ではない。歴史とは、一つの社会にとって、大量の記録、歴史がそこから離れられない記録、に対して、規約を与え、仕上げる、或る一つの仕方なのである。
連続的な歴史とは、主体の創設機能の不可欠な相関物である。すなわち、主体から逃れ去ったすべてをとりもどし得る保証である。また、時間が、主体を、再組織された統一のうちに復元させずには、なんら分散させないことの確実性でもある。・・・
自己のなんたるかを問われている人間自身が、その性欲について、その無意識について、その言語の体系的な諸形態やその虚構の規則性について、ふたたび歴史の連続性という主題が復活した。
p27
一言でいえば、この著作は、これに先立つ前述の著作同様、構造に関する議論(発生、歴史、生成などとの対決)のうちに--少なくとも、直接的には、なにをさしおいても--自らを位置づけるものではない。むしろ、人間存在、意識、起源、主体などの諸問題が現われ、交錯し、絡み合い、それぞれの特殊性が明らかになる領野のうちに、位置づける。だが、そこでもまた構造の問題が提出される。
1.言説の統一性
非連続性、切断、・、限界、系、変換などの諸概念を働かせるならば、あらゆる歴史分析に、手続き上の問いばかりではなく、理論的諸問題をも提起することになる。ここでこれから検討しようとするのは、そうした諸問題である。
2.言説の形成と編制
3.対象の形成と編制
4.言表の諸様態の形成と編制
5.概念の形成と編制
6.戦術の形成と編制
7.注意事項と帰結
Ⅲ.変表と集蔵体
1.言表を定義づける
2.言表の機能
3.言表の記述
4.稀薄性、外在性、累合
5.歴史的<先験性>と集蔵体
Ⅳ.考古学的記述
1.考古学と諸観念の歴史
2.原のものと規則的なもの
3.さまざまな矛盾
4.比較に基づく事実
5.変化と変換
6.科学と知
Ⅴ.結論