なぜあの人はあやまちを認めないのか

  • 河出書房新社
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309244709

作品紹介・あらすじ

「これくらいはいいだろう…」自分自身に言い訳した途端、悲劇は始まる。日常的な出来事から、夫婦間の言い争い、政治家の言動、嘘の記憶や冤罪まで-誰もが陥りがちな自己正当化の心理メカニズムを、豊富な実例を交えながら平易に解説。

感想・レビュー・書評

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  • 認知的不協和について事例が多く書かれている本。宇宙人の誘拐や幼児の頃の偽の虐待の記憶など、なぜ起きたのか考えさせられる。誤りを誤りと認めないと事実がどんどんねじ曲がると思った。

  • ほとんどの人間は自分は善い人間、正しい人間だと思っている。しかし、間違いや信条の相違、ワガママから誰かを傷つけてしまうことがある。善い私と人を傷つけた私という対立項目が不協和を生じさせる。そしてその不協和は「善い私」を防衛するために自己正当化の言い訳を作り出し始める。不協和が大きければ大きいほど、そして自己正当化を繰り返せば繰り返すほど、元には戻れず、記憶も書き換えられていく。そして相手との対立は深まっていく。むしろ相手が悪いことに話をすり替えていく。相手の本質を否定しはじめ、報復の応酬が始まり決定的に決裂していく。
    これらの自己正当化の罠に陥らないためには、自分を客観的に見つめ、自己正当化をしていること、不協和を感じていることに注意を払うこと。そして、過ちをおかしても善い私でいることはできることを知ることである。
    相手との間に始まってしまった自己正当化の連鎖を断ち切るためには、お互いに相手の立場にたって考えること。そして加害については謝罪し償うことを誓い、被害については怒りではなく痛みをつたえることで憎悪の連鎖をとめることである。
    自己正当化をやめ、自分の過ちを真剣にみとめることで、他者は信頼してくれるし、自分自身も成長をし爽快感を感じることができる。


    とても示唆に富み、実践的な心理学の本だった。不協和理論は知っていたが、実践にどうやって応用するかが難しいと思っていた。でもこの本にはそのヒントがある。
    構造を知ることが自己正当化から逃れる方法である。

    そして、被害感情をぶつけないこともとても重要であることを知った。怒りではなく、痛みを伝えること。私は加害者として自分を客観的に認識することは鍛えてきたつもりだったが、被害者として抑制的になることをあまり重視してこなかった。和解のためには加害者の謝罪だけではなく、被害者の赦しも必要だということを学んだ。

  • 心理学の勉強をしていたときの参考文献
    認知的不協和について書かれています

    読み進めるたびに
    え、これ私も同じようなことやってるけど
    ということは私もぜんぜん過ちを認めてないってことになる

    とショックを受けました

    具体的な事例もあって、専門書だけどわかりやすいです

  • 人生の一冊。
    他者の不合理な行動や、理解不能な言説に頭がフリーズさせられることがあるが、そういった人間は無意識に「認知的不協和」を解消しようと藻掻いているのだと気づいた。
    平たく言うと「うすうす間違いに気づいているが、もう後に引けない」状態だということだ。
    自分の決断が間違っていたとしても、「現実の方が間違っている」状態にすれば、結果的に自分は正しいことになる。

    葛藤とは「認知的不協和」を起こしている状態なのだ。この言葉を覚えてからは自分のモヤモヤをメタ視点で観察できるようになった。

    たとえば、「嫉妬」は「認知的不協和」を起こしている状態なのだ。


    ★★★★★
    入会が難しいほど、会への愛着は強くなる
    ★★★★★
    ニックが不協和を解消せざるを得なかった理由には、決断がもう取り消せないということもあった。
    ★★★★★
    人間は、取り返しがつかなければつかないほど、おこなってしまった事柄が正しかったと思い込むのである。
    ★★★★★
    大きな買い物や重要な決断を下そうとするとき、これを決めたばかりの人物にアドバイスを求めてはならない。その人物は自分の決断が正しいとあなたを説得したくてたまらないはずだ。
    ★★★★★
    カーンを困らせてやったと思った学生は、この仕打ちを正当化するために、あの男はこうされて当然だと思い込む必要があった。
    ★★★★★
    「私はそうしたんだ」と記憶が言う。「私がそんなことをするはずがない」とプライドが言い、断固としてそう言い張る。しかたなく記憶は言い負かされる。
    ★★★★★
    ほかの警官にも「改宗」を勧め、自分たちと同じようにしろと説得し、従わない者を避けたり仲間はずれにしたりする。彼らを見ると、自分が歩もうとしたしなかった正しい道を嫌でも思い出してしまうからだ。
    ★★★★★
    自己欺瞞の恐るべき算術では、私たちが人に与えた痛みが大きいほど、自分はきちんとした人間であるとか価値のある人間だとかいう気持ちを保つために、痛みを正当化する必要性が大きくなる。
    ★★★★★
    被害者を責める確率がもっとも高い加害者は誰だとお思いだろうか?不協和理論は自尊心あふれる加害者こそが答えだと教えてくれる。自尊心のい低い者にとっては、他人にひどいことをしたり、誰かに言われたことに意思もなく従ったところで、劣悪な自己イメージとのあいだで不協和は生じない。

    ★★★★★
    「尊師様、どうしたら正しい判断ができるのでしょう」
    「あやまった判断をすることだ」と師は答えた。

  • 金言の宝庫。

    絶版につき図書館で読了。
    気になったフレーズはすべて書き留めた。

    本書を手に取る際に、
    私は心の中の「あの人」を想像していたが、
    自分の高慢さに気付くきっかけとなった。

    「あの人」は私だった。

  • 心理学で云うところの「認知的不協和」と「自己正当化」について語った本。

    「認知的不協和」とは?
    心理的に相容れない二つの認知事項(思想、態度、信念、意見など)を抱え込んだときに起きる緊張状態のこと。
    人間、不協和が生じると心の平穏が失われてしまうため、相容れない認知事項のうちいずれかを「曲げる」ことによって不協和を解消しようとします。
    例えば、「タバコは体に害をもたらす愚かな嗜みである」という認知と、「自分はヘビースモーカーである」という認知が矛盾を起こしたとき不協和が生じます。
    不協和を解消するために後者の認知を改めれば「禁煙」という解消方法になりますが、禁煙がなかなかうまくいかないと今度は前者の認知を改めようとする心理が働きます。
    即ち、「言われるほど身体に悪くない」「喫煙してても健康な人はたくさんいる」「吸えば気持ちが落ち着くし、悪いことばかりじゃない」などと自分に言い聞かせることで不協和から逃れようとする。
    これが「自己正当化」につながっていくわけです。

    この本には実例が数多紹介されているのですが、最も身につまされ、共感をもって読んだのは「夫婦間の諍い」の例。

    どんなに仲の良い夫婦にだって、配偶者の態度や言動でどうしても気に入らない、許せないという点があるはず。
    「この人を愛し、素晴らしい結婚をした」という事実と「この人は自分を尊重してくれない、自分が気に入らないことばかりする」という思いが不協和を起こします。
    このときに後者の認知を改め、「自分のほうにも配慮の足らない点があったのかもしれない」「あの人がああいう態度をとったのは何か理由があったのかもしれない(仕事や家事で疲れていたとか)」となれば平穏に済むが、「自分は悪くないのに、あの人はどうしてああなんだろう」と自己正当化が始まると夫婦の亀裂が広がっていく端緒となってしまう。

    自己正当化の恐ろしいところは、それがスパイラル的にエスカレートしていくこと。
    「自分には問題がない。あっちの性格に問題がある。」と一旦考え始めると、その考えを支持し補強する事実ばかりが目につくようになり、自分自身の悪さを示す事実は目に入らなくなってくる。
    そのことでますます自己正当化は強固なものになっていくわけです。
    しかも、お互いに。

    更に、自己正当化していく過程で相手を非難したりすると、別の不協和が生じることになります。
    他人を非難することは普通の人にとってけっして気持のよいことではなく自己嫌悪をもたらすもの。
    「自分は善良な人間である」という認知と、「相手を非難した」という認知が不協和を起こし、それを解消するために「相手は非難されても仕方のない酷い人間だ」という考えが頭をもたげてきます。

    それでまた自己正当化が強化され、相手に辛く当たる→相手も自己正当化の殻にこもって反撃→ますます嫌悪感が募り…
    もはや泥沼状態、後戻り不可能。
    そうなってくると、自身の記憶を改ざんしようとする心理すら働き出します。
    「最初からあの人を愛してなんていなかった、自分は騙されて結婚したのだ」と…

    この本ではピラミッドを別の方向に下りるという比喩が何度も出てきます。
    最初はピラミッドのてっぺんですぐ傍にいたのに、別の方向にピラミッドを下りて行っていつしか姿が見えないほどの遠い距離が生じてしまう。

    こんな実例が個人レベルから国家レベルまで、これでもかというくらい列挙されていきます。

    しかし一方で、自己正当化による認知的不協和の解消という心の働きは、平穏な気持ちで生きていくために必要なもの、という面もあります。
    必要悪というわけです。
    それでも、自己正当化の罠から逃れることはできないにしても、自分は今認知的不協和に陥ってるな、自己正当化が働いてるな、ということを意識することができれば、不合理な言動に突っ走らないようにコントロールをできるようにはなりそうです。

    というわけで、なかなか興味深い内容でしたが、同じことを手を変え品を変えくどいほどに主張している感があり、読み物としては少々冗長な印象です。
    あと、児童施設での虐待を巡る訴訟が流行した話などが例示されるんですが、このあたりは米国特有の事例という感じがしてあんまり真実味を感じられませんでした。

  • 認知的不協和と自己正当化について
    人間関係で起こったいっけん不可解なことを↑の二つで説明していく
    面白い。

    自己評価が低い人はそもそも不協和が起こらず、正当化の必要性が薄いので、
    あやまちを認めやすい。自己評価が高い人はあやまちを認めづらい
    というのはひとびとが不幸になる原因な気がします

  • あやまち=愚鈍。阿呆を認めたくないってことか。
    賢いフリのがしんどいだろうに。阿呆のが楽しい。

  • アメリカの政治を引き合いに人の心理について解説している。歴史に疎いが、それを知らずとも読み進めることができる。

    心理の勉強と歴史の勉強がいっぺんにできるので、時間ができたら続きを読みたい。

  • 認知的不協和と自己正当化の論理はすべての人間が学ぶべきことだと思えた

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