哲学する子どもたち: バカロレアの国フランスの教育事情

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  • 河出書房新社
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  • / ISBN・EAN: 9784309247816

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  • 『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』中島さおりさん|本を読んで、会いたくなって。 | 読む・聴く・観る・買う | クロワッサン オンライン
    https://croissant-online.jp/culture/50510/

    哲学する子どもたち :中島 さおり | 河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309247816/

  • フランスの教育にせまる第二弾!
    フランス在住で翻訳家の著者が自身の子育ての経験からフランスの教育について考察するエッセイ。(Bookmarkにも『郊外少年マリク』が取り上げられていたことに読みながら気づく。)

    タイトルから哲学についての論考が多いと思っていたけど、フランスの教育事情について幅広く論じていて面白い。
    フランスがライシテ(非宗教)にこだわる歴史から、「考えるとはなにか」まで。事務能力のダメダメさ(教師が産休に入ると子どもたちは下手したら数ヵ月教師なしで放置される!)とか本当にフランスらしくて思わず笑っちゃう(親の立場では全然笑えないけど)エピソードも満載。

    引用
    104p 日本では、多くの人が恥ずかしいと思っている留年だが、フランスではそこまで強い抵抗はない。
    106p 「留年」は、成績で進学コースを容赦なく振り分けるフランスの学校システムに柔軟性を持たせる調整機能を果たしている。
    177p 日本の入試というシステムは、万人に平等に開かれているところや選別基準がはっきりしているところは良いような気がする。(※フランスは住んでいる場所で学校が決まるので、金持ちエリア=名門校、という構図があることとの対比)

    (感想)
    「私がフランス系の教育を受け続けていたら...」というパラレルワールドをつい想像してしまった。私はあと数年長くフランス系の学校にいたら留年していたかも、と思う。当時のテスト(論述式が多い)を見直すと大体「よく勉強していることは伝わるけど、フランス語の文法がひどい」とコメントされている。フランス語をどこかで本気で頑張らないと高等教育に耐えられなかったと思う。

    一方、現実の私は日本の受験制度に救われていたのか、と思った。日本の小学校教育がほぼ欠落した状態で中学の途中で帰国して、欠けた知識の総点検を強制的にさせられるイベントが受験勉強だったんだなと。「トヨトミヒデヨシって何?え、テンカトウイツ?あっ猿の話今までしてたの?」みたいなレベルで社会科勉強するのが本当に辛かったけど、あれに向き合わずなあなあにしてたら後でもっと辛いことになってたんだな、きっと。

  • 「自由とは、何の障碍もないということか?」
    「不可能を望むことは不条理であるか?」

    フランスの高校では、バカロレア(高校の卒業認定試験みたいなもの)の必修科目に「哲学」が含まれる。それで上のような問題を4時間かけて過去の哲学者にも言及しながら論理的に記述するわけだ。
    現地では毎年の風物詩のようにしてバカロレアの時期になると話題にあがるらしい。

    ちなみに本書によるとサルコジ元大統領は20点中9点、マリーヌ・ルペンは12点、オランド大統領は13点、外相経験者ローラン・ファビウスはなんと20点満点。

    こんなユニークな学科について知りたくて本書を買ったのだけれど、早とちりだった。哲学科については触れられているものの、副題にあるとおり「フランスの教育事情」についての本だった。でもまあ、読んでいろいろ面白かった。

    「哲学科」のあるフランスと、「道徳科」のある日本のちがいは、作文にも如実に表れている。
    (大嫌いだった!)日本の学校の作文は「日記」と「感想文」との指摘があった。まさに。むやみやたらとむりやり「自分のこと」ばかり書かされる。
    おそらく作文はこの国では生徒の「内面統制」の手段として機能しているのだろうな。

    対してフランスでは、例えば、
    「あなたは1914年のフランスの子どもです。ドイツとの戦争が始まった日、お父さんの召集がわかりました。その日の日記を書きなさい」
    といった創作に重きをおいた作文がお題が出される。これだけでもわくわくしてくる。

    重視されるのは論理だけでなく、用語の定義。というか定義なくして論理は始まらない。各個人によって使う言葉の定義は微妙に違うわけで、まずその確認から始める必要があるというのは、なるほど移民の国。コミュニケーションじたいが真剣勝負なのだ(空気を読む文化では論理が尊重されないはずだ)。

    「たかが作文教育だが、(……)学校の教育が日本人の書くものを方向づけている部分も無視できないのではないかと思う」

    と著者が書いているのを読んで、ちょっとゾっとしてしまった。

    とまあこんなふうに、ほかにも外国語教育などについても日本とフランスの教育が比較対照されていて興味深いのだが、もっとも大きな違いは、国が教育に力を入れているかどうか。日本については嫌すぎて書きたくないが、フランスではとにかく教育に多くの予算がつく。
    公立校は無料で、はるかにお金がかからない(私立はそれなりに高くつく)。入試はなし、だから入試産業もない。だから答えの決まった閉じた質問に答えつづける必要もない。

    いろいろ考えるうちに、バカロレアの試験問題をひとつ思いついた。

    「たまたま自分が生まれ育った国で受けた教育によってその人の素地はつくられているのだから、その当人が自分の受けた教育を否定するという行為は自家撞着か?」

  • 面白かったです。筆者のフランスでの子育てを
    通じた教育経験が書かれているエッセイ。

    フランスの教育の歴史から始まり、
    日本との教育の違い、例えば、
    作文は与えられる課題内容が
    フランスでは物語を描いたりするが、
    日本では「日記」と「感想文」であること。
    フランス人のこだわりの多言語主義、
    入学式や卒業式がなく、成績会議なるものがあり、
    飛び級と留年があり、修学旅行はその学校にいる
    先生が催すかどうかであるなしが決まり、
    いじめには調停人がはいり、いまだに(エリート
    言語である)ラテン語を習うこともあり、
    フランスにおけるPTA(ただしTは含まれず)は
    右派と左派があり(!)かなり大変であり、
    教育費は安く平等であるものの、実際は親の
    財力(住む場所により行く高校がほぼ決まっている)
    によりかなり左右される。

    フランスの高校生が受ける卒業試験バカロレアが
    「哲学」試験からスタートする、それほど
    フランスの教育において「哲学する」という
    ことが重要視されています。

    そのため、題名は「哲学する子どもたち」ですが
    哲学部分は少なく、題名が惜しいなぁと思います。
    哲学はフランス人には身近で、日本人には
    近寄りがたいものなので、日本の読者が手に取る
    機会が減ってしまう気がします。

  • 「引用は、それだけでは根拠にならない。説明され、主題に関係付けられてはじめて根拠となる」(p.44)

     フランスの「哲学」という科目では自分の考えを発展させることが優先されているが、だからといって、哲学者の言ったことを勉強しないで勝手に考えてよいわけではない。というより、たった一人で考えることはとても難しい。先人の考えたことを学ぶことでこそ、自分の考えを発展させることができるのだ。哲学を学ばないで、「考える力」だけつけようとするのは、技術を学ばないで船を作ろうとするようなものだろう。先人の技術を学ばないで、孤島に置き去りにされたら、自分に作れるのは丸太舟止まりだろうと、私はいつも思っている。(p.45)

     たとえば設問1に、ぶっきらぼうに「全体主義」と答えたのでは良い点はもらえない。「政治体制は何か」と訊いているのだから「全体主義である」で良さそうなものだが、それだけではだめなのだ。何を知っているかが試されるだけではなくて、物事を理解するために持っている知識をどう使うか、それをどう表現するかまでが試されているからだ。(pp.188-189)

     フランスの勉強は一人でやれることに限界があるような気がするのだ。論述式の試験に備えるためには、知識だけでなく、それをどう与えられた課題の分析に使うか、同組織して論理を組み立てるかを訓練しなければならないが、それには足りないところを指摘してくれる他人の目が何より有効なのではないかと思う。一般には親が勉強の面倒を見ているようで、はっきり言って親がそれができるかできないかで差がついてしまう面がある。「文化資本」による格差はここにも出てくるのだ。(p.202)

     私の手元にある高校生のためのフランス語の受験参考書には、「こうして構造を把握すると、問題のテクストを距離を持って見られるようになる」と書いてある。「テクストと距離を持つ」ことを勧めていることに注意を促したい。フランスの「国語」の授業で要求しているのは「登場人物の気持ちを想像すること」や「語り手の気持ちを想像すること」ではない。著者が「登場人物の気持ちをどのような方法で表現したか考えること」だ。そういう点が日本の「国語」ととても違うと思う。(p.226)

  • フランスの考える試験は、日本の教育改革に一石を投じると考える。

  • 「フランスには入学式がない」「成績会議に生徒代表が参加」など、哲学に限らず驚くことがたくさんあった。真似をするのではなく、日本での当たり前のことを疑うきっかけをくれた。哲学に関しても、大学に入るまでの訓練が日本と大きく違っており、参考にすべきと思った。

  • 大学の課題図書で読みました。
    フランスの教育事情を分かりやすく知ることが出来る1冊だと思います。哲学ないしバカロレアを通してフランスの子供達がどのような思考のプロセスを踏んで自分の考えを醸成していくのかが分かります。高校生で4時間の論述って大変そうだなと思っていましたが、バカロレアを受けるまでにそれに対応できる能力が養われていくと思うと、やればできるんだなと思うようになりました。

  • フランスの教育!
    日本も見習いたい。

  • フランスの中学、高校教育はかなり日本と違うと感じた。筆者の言うとおり、日本の教育にも良い面はあるが、「考えさせる」ということに対するこだわりが全く異なる。

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著者プロフィール

1961年東京生。翻訳家・エッセイスト。『パリの女は産んでいる』で第54回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。著書に『パリママの24時間』他、訳書にラシュディ『郊外少年マリク』他。家族と共にフランス在住。

「2016年 『哲学する子どもたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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