- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309256092
作品紹介・あらすじ
「現代アートの元祖」といわれながらも、何を考えているのだかよくわからないアーティスト。その作品と人生、そして後世への影響が手に取るようにわかる決定版入門書!
マルセル・デュシャンっていったい何なんだ。
超一流の画家でもなければ、世界の名だたる美術館に作品が飾られているわけでもない。
男性用小便器を《泉》と名づけて偽のサインをして展覧会に出品しようとしたり、工業製品がそのまま芸術作品になる方法論を編み出したり。かと思えば、巨大なガラスに謎の図像を描いた作品を「未完成のまま」放置したり。キネティック・アートの先駆と言われ、コンセプチュアル・アートすら始めてしまった人。
で、もう一度問うけれど、「あらゆる現代アートの祖」と言われるデュシャンって、じゃあいったい何なんだ?
本書は、ブリリアントなデュシャン研究で吉田秀和賞を受賞した第一人者による、最新の研究成果を反映した平明でポップな書きおろしデュシャン入門。謎に満ちた彼の人生と作品、そして作品以外のもろもろが、手に取るようにわかります。
感想・レビュー・書評
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アーティストなんだけど、何やってるか全然わからない人で、とにかく便器にサインを書いて、これはアートだ!なんて言ったことぐらいしか知識がなかった、マルセルデュシャン。
マルセルデュシャンとは「何か」なんて、ものすごく哲学的なタイトルで、パラパラとめくってみれば、なんだか自分の思っていた人と随分違う。
というよりも、アートとは何か?といった具合に、懐疑的なところに惹かれる部分があって、他の本を並行して読むことなく、ひたすら向き合ってしまいました。
わかりやすい文章でありながらも、デュシャンの考え方の奥行きを見出せる、そんな内容でした。
さまざまな絵画技法を、泳ぐように学んだ青年期。そして、アートとの距離を置くこととなった作品。
工業製品を使った、レディメイドから、なぜ「泉」という作品が生まれたのかが、この本を読んでスッキリすることができましたが、それと同時に、別のことでまた考えさせられることとなりました。
アートとは「選ぶこと」この考えにたどり着いたデュシャンの言葉には、なるほど、と感じました。ただそう思ったのは、彼が今までしてきたことの積み重ねがあったからなんですよね。
もう一点、納得させられたのは、作者と作品の関係性です。
作品を評価する時、どうしても作者というフィルターを通して良し悪しを決めてしまうことがしばしばあります。
ただし、名作といわれるものの中には、作者不詳のものが多くあるように、よい作品は、無名であっても評価されるべきなのです。
全く無知な私でも、誰かに話したくなるくらいに、わかりやすくまとめられた一冊でした。本の厚さ(と言っても普通の単行本と同じくらいですが)にたじろぐことなく、読んでみることをお勧めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
デュシャンって結局何者?という問いに、平易な表現で解の一つを提示している本。とてもわかりやすく、この本を読み終えた後は自分でもデュシャンの作品(思考)を追ってみようと思うことができた。丁寧な調査や研究を行った事が文の随所に見え、信頼に値する本だと私は思う。著者のおすすめデュシャン本リストが載っているのも実にありがたい。この良著が「マルセル・デュシャンと日本美術」展の特設ショップに置いてあったのは皮肉という他ないが…。
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マルセル・デュシャンについて、人物面と作品面が上手く融合して書かれていて、わかりやすく面白く読めました。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/713598 -
入門本として凄く良いと思う。
「わかりやすく」とまでは行かないけど、難し過ぎないぐらい。様々な事を調べたらすると、デュシャンの「泉」には腐るほどぶつかる訳で、とても参考になった。4分33秒作ったジョンケージもついでに許してやろうと思う。 -
デュシャンがルネサンス 印象 フォービスム シュールレアリスム キュビスムを技法習得のように学んだように
私はデュシャンを学ぶ
レディメイド前の連続写真から体の形態変化、内面の様態変化ををキュビスムっぽく表現した油絵「階段を降りる花嫁」「チェスをする、、、」「ずたずたに裂かれたイヴォンヌと、、、」は、キュビスムをさらに発展させようとしているのが分かりやすい。 それは画家が普通の思考でやること。
「ズタズタに裂かれたイヴォンヌ、、、」は、交友があったというピカビアの輪郭線が重なり合った作風と似ている イメージの重なりがある。
レディメイド からは、ダダが入り込んで 今までの絵の発展の流れからは読み取りにくくなる。
脳内の思考に移る。
(この本読んで言葉尽くして説明されて、ただ読んでいる自分にイラつく。 私は芸術の流れを追ってるだけじゃないかと。 しかし デュシャンが8年間技法習得で泳いだようにこの時間も必要なのだ。しかしデュシャンの言うことを鵜呑みにするな。デュシャンを超えることを考えろ。)
チューブ絵の具が商品として売られ始めてからは、それらの色を選択し それらを混ぜ キャンバスに塗っていく。
そのはじめの“選択”に着目し 大量生産される日用品と言葉の”選択“を行い 絵の具を混ぜキャンバスに塗るように日用品と言葉を組み合わせて作品にしたという。
大ガラスはグリーンボックスのメモがなければ、見てるだけでは読み解けないんだね。
網膜的ではない。
泉の展示拒否、いい芸術家を収集家に紹介したり、コレクションを寄贈するため美術館と折衝したり、した中で作品と芸術家の関係は、美術館や展示会を主催する協会にとっては有名な芸術家の作品が欲しく、無名であればいらない。
デュシャンが考える作品と芸術家の関係では成り立っていない。
作品を見る人は一体何を見ているのか
素人は偉大な芸術家の素晴らしいと言われる作品を その評価がどこからきているのか理解していればいいがよく分からずに評価を信じて 素晴らしいと思って見ているのか。
どこの世界でも こういう評価の鵜呑みはあるだろう。
文学 音楽 詩 演技 酒
何故そうなるんだ?
洋服 ご飯 は、自分の好みのものを値段と相談して日常的に買う。
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デュシャン関係の本といえば、ずっと前にインタビューを読んで、何だか一筋縄ではいかない人だなと思い、オクタビオ・パスのデュシャン論を読み始めたものの独りよがりな感じがして(というよりデュシャンを知るために読んだのがそもそもの間違いで)10ページほどで放棄し、デュシャン著作集を購入したものの積ん読のままで、何気なく手に取った本書を読んで、ようやくデュシャンの魅力に開眼した。どうしてデュシャンの作品(制作物?)に惹かれるのか、その理由の一端がわかったような気がした。
「アンフラマンス」と四次元の射影としての三次元としての制作物という考え方が刺激的だった。
何よりタイトルが秀逸。who is marcel duchamp? ではなく、what is? であるところ。なるほど、今まで生身の人間として見ていたからいけなかったのだ。