バルテュス、自身を語る

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309256832

感想・レビュー・書評

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  • 6
    バルテュスは脚本を書いたアルト―に頼まれて芝居『チェンチ一族』の衣装と舞台美術を担当した

    ロッシニエールで隠遁生活を送るバルテュスと
    ヴュー・コロンビエ座のモモと呼ばれたアルトーは
    二人して残忍で燃えるような美のために身を捧げた

    二人とも当初はシュールレアリスト集団の、夢を重視する悪ガキどもと頻繁に接触していた
    しかし
    法皇として君臨する主導者アンドレ・ブルトンの勅書や教書に従うことを拒否し、結社に埋もれることを拒んだ。

    運動は、賛同者よりも離脱者に負うところが大きい

    7
    バルテュスは、ダリやマグリットと違い
    シュールレアリスムを媒体として、知名度のために利用しなかった
    つまり
    バルテュスは、バルテュスとして振る舞った

    14
    光を待ち構えることを学ばなければなりません
    光の屈折、逃げていく光、通り過ぎる光

    20
    この祈りの必要性を、私は大いに強調します

    21
    ピカソやブラックと知り合って、よく会っていました

    26
    私は
    厳格に教えを実行するカトリック教徒です

    28
    そこには光が
    私が完全な形で見た光があり
    不安に満ちた道を明るく照らしてくれています
    それは確信しています
    そして、そのことで私の信仰はより強くなりました
    この道を、神の道を歩きつづける

    30
    毎朝、光の状態を見つめます
    私は自然な光でしか描きません

    36
    同じようなことは現代詩にも当てはまります
    たとえば、ルネ・シャールは、英雄で親しい友だちでした

    彼は
    ダダイスムの創始者である詩人トリスタン・ツァラを銃殺しなければいけないと、私に真剣に言ったのです

    68
    毎日、神に感謝しながら沈黙の中で祈り、瞑想しています
    ヨハネ・パウロ2世に会ったのはローマにいたときでした。
    法皇は私がポーランド語を話せないのでがっかりしていました。
    仕方なくフランス語で話したのだけれど

    アルトーにもどこか神秘的な激しさがあり
    ある日
    私に信心深い手紙をくれ
    洗礼者ヨハネとアッシジのヨハネについて修道士のように熱く語っていました。

    私の力は信仰から来ています

    84
    なぜなら火は精神で、精神は生命だから、画家の視線のなかにあるのは精神で

    アルトーのときは、そこに横断のようなものがありました。
    たとえれば、ランボーが言ったような透視力が働いた。

    95
    シュールリアリストとはまさに対立していました

    120
    フェリーニとはじめて親しくなったのは、私がローマのメディチ館に滞在しているあいだでした。

    128
    ポンピドー・センターへの反感

    マルグリット・デュラスと辛辣な会話をした
    彼女は、芸術は革命的であらねばならず、全員に開かれていて、街に出るべきだと言い張りました。
    私はまったく反対のことを言いました。

    デュラスは私の発言をはなから認めず、激怒した

    129
    創造者とは、もし私がきちんと理解していれば、神その人です

    130
    芸術家は鎖の環にすぎず、その鎖は、はるか昔の、たとえばラスコーの壁画から始まっている

    132
    1968年にテート・ギャラリーで開かれた私の作品の回顧展

    141
    ミシェル・レリスのことを考えます

    163
    ピエール・コルの周りには
    ピカソ、デュフィ、ブラック、マックス・ジャコブ、マティス、キリコ、ジャコメッティ、メキシコのフリーダ・カーロまで

    202
    モーリス・ブランショやアンリ・ミショーは  沈黙を守り
    ジョルジョ・バタイユは認めていたけれど、あの華やかさと激しさ、つねに支配しようとする態度はどうもいただけなかった。

    それでも、バタイユとはよく会っていました。

    バタイユとブルトンは、付かず離れずでした。

    第一次世界大戦後に彼が創設した秘密結社アセファル(無頭人)は多くの芸術家を魅了しましたが、私は、秘密を探ろうとする秘伝伝授的なやり方がまったく好きになれなかった。

    兄のクロソウスキーは、一時、その創造的な試みに関心を持っていたけれど、私たちにはキリスト教があまりにも浸透していたので、誘惑に負けることはありませんでした。
    それに、バタイユは、反ユダヤ主義に少し染まったところがあり

    倍油はファシストが群衆の心を引き付けるために儀式化が必要だと言っていたことに魅了されていた。そこにあった権力志向に本当に魅了されていた。

    207
    私がカトリックを信仰しているのは、家族がそうだったからではありません
    父はプロテスタントでした。

    以来、キリストは私とともにいます

    209
    その意味でコクトーは型にはまりすぎ、トリックに走りすぎた画家でした

    216
    非常に優しい人物として思い出すのはアルベール・カミュです

    217
    アルトーは私を兄弟のように思っていたくせに、心理的、精神病的な理由で嫌うこともよくあったのだけれど、彼は私について「まず光と形から」絵を描いていると言いました。

    221
    わお!
    バルテュスとフェリーニ の写真

    231
    1935年に描いたアルトーの肖像画を思い出します
    彼がほとんど完全に狂気に侵されたとき
    ロデーズの精神病院から帰って私を責めました。
    肖像画で、自分が忌み嫌う身体の一部をとらえられたkとおに
    「あなたは恐ろしいほど思慮が欠けている」と、私に書いてきた

    私がつかんだもの
    アルトーが自分で拒否したものについて

    235
    たとえばモンドリアンが、木々をあれほど素晴らしく描いていた風景画を捨て、色だけの小さな四角に走ったことになんと驚いたことか。

    240
    私が特異なのは、抽象画の誘惑にも、シュールレアリストの誘惑にも屈しなかったことで、それゆえ、ブルトンからも抽象派からも評価されたことは一度もありません

    272
    これら光の理由でピカソが好きでした

    私たちはしょっちゅう会う習慣はなかったけれど、じつはお互いとても身近に感じてしました。

    ピカソは同志だった

    彼が『子供たち』を買ってくれた当時、バタイユの娘ローランスと一緒に過ごした夕べを思い出します。

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著者プロフィール

1908年パリ生まれ。ポーランド系の古い貴族の血を引く。印象派からシュールレアリズム、それ以後と、近代ヨーロッパ美術をくぐりぬけて独自の光彩を放つ20世紀最高の画家の一人。代表作「山」ほか。

「2022年 『バルテュス、自身を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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