- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309420196
感想・レビュー・書評
-
物語へ憧れて、ぼんやりと生きてしまったと現実の辛さを知る。
でも物語を捨てきれぬまま仏の夢などを見て、お詣りにハマる。
「物語なんて意味ない!でも好き」と揺れるなかで日記を連ねて自分の物語への想いを形に残そうとした様に思えた。
記すことの取捨選択の視点が不思議で素敵でした。
物語が好きで夢中になるのにも共感したのですが
ぼんやり生きてきてしまった。
仕事では若くもないので可愛がられるわけでもなく、ベテランの様に重宝されるわけでもなく都合よく過ごしている。
と嘆くあたり、何だか自分も思い当たります… -
平安時代の、きらきらしいところがちっともない女の子が、そこそこのOLをやり、職場で友だちを作り、心から愛するという風ではないが出世してほしいと思える夫を持ち、失い、老いていく。少女時代は生き生きと、中年期以降はぱさっとしていく。多くの人に読まれることは前提でないだろうに、そこそこの一生を送ったマイペースな女の人がたしかにそこにいて、千年の時間をまたいで存在を転送する文字の力を感じた。親の死や自分の結婚は省略されており、自分の一生ぜんたいを書き残したかったわけではなさそう。取捨選択の、キュレーションの個性を形にしておきたかったんだろうか。
消費できる情報が現代より圧倒的に少ないからか、天気や風景の描写も、そのような話題での会話も深く、上っ調子なところがない。自分も取り込む情報の量を減らして、自分の目で見たものを、借り物ではない言葉で表現したい気持ちになった。
冒頭の常陸から京への旅に地名がちりばめられていて、想像しながら読み進めるのが楽しかった。中年期以降のお参り旅の記述からしても、更科さんは移動好き。趣味友だちになれたんじゃないかという気がする。 -
あとがきにも書かれている通り、自分の人生の一代記(作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間が綴られているそう)を書こうとするときのエピソードの取捨選択などが現代の私たちとは違って、面白いなと思った。
とは言え、約1000年前の人が書いたものなのに共感ができる部分も多くて、根本的に人の考えることは昔も今も変わらないのだなと思ったり。
時ならず降る雪かとぞながめまし 花たちばなの香らざりせば (33頁)ー和歌はたった31文字の中に本当に豊かな情感が込められていて、いつも感心してしまう。と同時に、1000年前に生きた人達と時空を超えて繋がるような感覚も持てて、好き。この歌は当時の作者の純粋さが眩しく、愛らしくて、とても気に入った歌。 -
江國香織さんの『更級日記』、江國節で来るんだろうなと思っていたら、江國さんはすっかり透明になったような訳で驚いた。
宮中の女友達と喋って夜更かしして、という辺りがキラキラしていて、そのキラキラは切ないものだけどもかけがえがなくて良かったなぁ。 -
歌に込められた想い。深いなあ。家集のようになっているのか。物語への憧れと現実のギャップが鮮やかにイメージできる。
-
言葉遣いが丁寧で優しい。どんどんページが進みます。
-
平安時代から現代に戻ってきたくなくなるような本だった。訳者が好きだから、というのもその理由のひとつ。
著者の藤原孝標女は、『源氏物語』を読み、和歌を詠み、友達付き合いのない、古風な考え方をする両親のもとで育てられた文学少女。
『更級日記』は、父の転任にともなってすみかを変える旅で見聞きしたこと、宮仕えをしたときのこと、神仏詣の感想、夢日記、晩年のはなしが主な内容だが、物語にふけってばかりいないで勤行にはげめよという読者への教訓のようでもあり、伏線を回収するミステリー小説のようでもあった。
p29
花は
散っても来年また見ることができるだろう
でもこれっきり
二度と会えない彼女が
私は恋しい
(散る花もまた来む春も見もやせむやがて別れし人ぞ恋しき)
p56
昔、恋人たちの約束した
七月七日の物語が読みたくて
私も思い切ってお願いに
天の川にでるみたいに打ってでます
(契りけむ昔の今日のゆかしさに天の川浪うち出でつるかな)
p119
どうやって言いあらわし
何にたとえて説明すれば伝わるのだろう
この美しい
住吉の浦の秋の夕方の風情は
(いかに言ひ何にたとへて語らまし秋のゆふべの住吉の浦)
p132
都生れとはいえ父親の仕事の都合で田舎で育った一人の少女が、雅やかな物語の世界に憧れる。望み叶って都に戻るや物語ばかり読み耽り、自分もいつか高貴な男性に見初められ、物語みたいな暮しをしてみたいと考える。けれども現実はそのようではなく、苦労の多い宮仕えや、物語とはまるで違う結婚生活に失望します。それで、何をするかと思えば、いきなり神仏参りに熱中し始めます。いまで言うパワースポット巡りです。 -
神仏参り、自然。
歌に詳しければ尚一層楽しめたと思う。
物語から歌の訳、最後に歌がある。
悲しい、淋しい、残念、たまらない、耐えられない、うっとうしい、やるせない等々、人の心がはるか昔から変わらない様を感じた。どちらかと言うとつらい感情の方が多い。
-
読みやすい訳だった。日記というよりは、源氏物語に憧れた箱入り娘が、晩年に生涯を振り返って書いた随筆という感じだ。頻繁に和歌が入るのが平安時代らしい。
当時はやっぱり父親や夫が出世するか、高貴な人物の後ろ盾を得るのが多くの女性の望みだったのかな。こういう感覚は時代の違いを感じるところ。でも共感できるところもたくさんあった。なにより当時の暮らしが垣間見えて面白い。64ページの和歌のやり取りなんかは、今でいうナンパみたいなもの? -
物語を愛し、光源氏に憧れる夢見がちな少女時代から、夫に先立たれた晩年までを記した日記文学。古典は「教養」というイメージが強いためすこし抵抗があったが、本作は非常に読みやすく、江國さんの訳者としての手腕を感じた。少女から大人になるにつれ、夢から醒めるように「物語は所詮絵空事なのだ」と悟る瞬間がなんとも切なかった。
乳母と姉、夫を先に亡くし、一時は遠方の地に出向く父を見送った作者。『更級日記』は、別れの哀しみを詠む歌が多かったように思う。「歌」というのは日常の一場面や想いを切り取った写真のようなものかと思っていたが、この作品を読み、心が大きく揺さぶられた一瞬の「感情」なのだと知った。
江國さんの現代語訳のおかげで、平安時代の人々を少し身近に感じることができた。お気に入りの一冊。
そういうものなのか…
そういうものなのか…