- Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309460963
感想・レビュー・書評
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サドに出てくるサディストは、どいつもこいつも説教臭い。自分の欲望を正当化するために、いろいろと理屈をつける。
サディストの快楽というのは、身体的なものではなく、脳的なもの。社会規範に逆らうことで感じるから。(もちろん、一概にそうとは言えないけどね)
母娘の関係を執拗に引き裂こうとするサドって何かトラウマあるんだろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「こうした偉大な思想にふれて堕落してしまうような輩には、用がない。哲学的見解の中からただ害悪しかつかみ取る事ができず、何にふれてもすぐ堕落してしまうような輩は、相手にならない!」(p.168~69)
と、本文中にもある通り、サドの残酷趣味の幻想だけを抽出して「サドはいいぜ」と言うような輩には、本書は用がないでしょう。ある意味、本書を通して読者はサド流の篩にかけられているというわけです。そして、「閨房」よりも「哲学」をたっぷり味わえる本書こそ、サド文学の真骨頂と言えましょう。
知恵と思想に富んだエロティシズムを! これは訳者の澁澤龍彦さんが説くところのエロスの信条にも適います。ドルマンセが様々な「美徳」をぶった切っていくのを楽しみながら、おのれが哲学を磨こうではありませんか! -
閨房哲学ってタイトルだけど、ほぼ哲学だなって思ってたら、閨房部分は澁澤さんがカットしてたらしい。
なるほど。過激すぎたのか。
そして、その哲学は意図的に歪ませている感じがします。
語るために語られた哲学のような。
あえて触れないで無視している要素がたくさんあるような。
例えばたったひとりと生涯を共にしたい人間の意思とか、例えば殺されたくない人間の意思とか。
それは否定して構わないものなの?
自分が殺される側になることは想定しているの?
そんな疑問が。
いいとこどりして洗脳かけるのは、作中で詐欺師と罵られているあの人と変わらなくなるんじゃないのかな。
ただ、それまでの概念を打ち破るべきだという意思を強く感じるのは、共和制になったフランスの未来を考えて、旧来の考えを捨てなけれならない、常識をまるっきり書き換えなければならないと考えていたからなのかなとも思う。 -
やっぱマルキ・ド・サドはすごい過激だね。
神を否定し、悪徳を奨励し、殺人をも肯定する。
普通の人が読んだらまず嫌悪感を示すと思われるが、そもそもそういう人はこの本を手に取ることなど、人生のうちでないだろう。
もっと物理的に性的な行為が行われるのかと思ったが、抽象的な過激な思想について書かれた本だった。かなり過激な内容に思えたが、同意するわけじゃないけど、サドの深い考え方に感銘を受けた。
これだけ過激な考え方をしてたら、そりゃバスティーユ牢獄やら精神病院に入れられるわ(笑)
この本読んでると、若い人たちがあいつビッチだなんだ言ってたり、ヤることしか考えてねぇのかよみたいな発言が非常に陳腐に思えてきてしまう。(もうこの時点で毒され気味笑)
とりあえずこの本は友達には読んでほしくないし、誰にも薦めたくはないな(笑)
自分の人生で閨房哲学好きとか、サド好きとかいう人間に出会うことはあるのだろうか。いたらめっちゃ会いたい。特に女性。 -
途中から長ったらしい文章に辟易してくるけれど、サドの思想を簡単に知りたいならこれを読むのが一番よかろう。
母親に対する仕置きにて、前門と後門を糸で縫う描写はなかなか。 -
[ 内容 ]
快楽の法則の信奉者、遊び好きなサン・タンジェ夫人と、彼女に教えを受ける情熱的な若き女性ウージェニー。
そして夫人の弟ミルヴェル騎士や、遊蕩児ドルマンセたちがたがいにかわす“性と革命”に関する対話を通して、サドがみずからの哲学を直截に表明した異色作。
過激で反社会的なサドの思想が鮮明に表現され、読む者を慄然とさせる危険な書物。
[ 目次 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
ドゥルーズはサディズムの論証的機能について論じているが、この書も『ジュスティーヌ』と同じく、その背徳の論証を登場人物に担わす。