ディフェンス (河出文庫 ナ 2-5)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309467559

感想・レビュー・書評

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  • ウラジミール・ナボコフ『ディフェンス』 - ボヘミアの海岸線(2011-11-27)
    https://owlman.hateblo.jp/entry/2011/11/27/215036

    ウラジーミル・ナボコフのおすすめ作品5選!『ロリータ』で有名な作家 | ホンシェルジュ(2021.12.22)
    https://honcierge.jp/articles/shelf_story/3249

    いとうせいこう 勝負、あるいはプレイ――ウラジーミル・ナボコフ『ルージン・ディフェンス 密偵』 | レビュー | Book Bang -ブックバン-(波 2019年1月号 掲載)
    https://www.bookbang.jp/review/article/562060

    ディフェンス :ウラジーミル・ナボコフ,若島 正|河出書房新社
    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309467559/

  • 子供の頃から周囲に馴染めず、両親の愛情にも応えられなかった少年ルージンは、あるときチェスと出会い人生が一変する。思いがけない天才を発揮したルージンは、彼のマネージャーのような立場にいつのまにか居座ったヴァレンチノフという胡散臭い興行師に操られるがまま、チェスの世界で成功を収めていく。しかし最大のライバルであるトゥラーティとの対決の途中でストレスのあまり心を病んでしまう。チェスができなくなった彼を支えたのはベルリンで出会った一人の女性。二人は結婚し、ルージンはチェスを忘れて新しい人生を歩もうとするが…。

    ナボコフの比較的初期の長編。序盤の天才チェス少年の半生はまるでミルハウザーあたりを読んでるような印象だったけれど、そこはナボコフなので架空の人物の伝記としても一筋縄ではいかない。時間はあちこちに飛び、ルージンの幻覚と現実が入り乱れる。チェスの知識など全くなくても、音楽になぞらえられたトゥラーティとの対決場面などは面白く読めた。

    現代でもゲームをやりすぎるとゲーム脳になってしまうけれど、幼い頃からチェスだけがアイデンティティだったルージンはすっかりチェス脳になっており、ただ普通に生きているだけでも、誰か(神なのか運命なのか)とチェスを指しているかのように思え、見えないどこかから、致命的な一手を食らうのではないかと恐れるように。彼は懸命にディフェンス(防御)しようとする。献身的な妻もまた、恋愛感情というよりほぼ母性としか思えないルージンへの愛情から、ルージンをチェスから守ろうとするが、再び現れたヴァレンチノフの存在がルージンにとっては一種のチェックメイトだったのだろう。ルージンはゲームから降りることを選ぶ。

    極端な言い方をすればチェスの才能以外に取り柄のない変人が、チェスゆえにノイローゼとなり破滅する物語。しかしナボコフなので、筋書きを追うというよりは、独特の比喩や、緻密に計算されつくしたチェスのゲームのような細部を味わうべきなのだろうけど、なかなか初読ではそこまで深く読み取るのは難しく、相変わらず難解。ルージンの人生がただただ悲しい。

  • 3年ほど前に『ロリータ』を40ページほど読んで挫折したのを除けば、人生初・ナボコフ。
    ずっと前からナボコフの著作のなかで特に読みたいと思っていた本作がこのたび文庫化されたので即購入し、奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』でロシア文学の機運が高まっているのもあり、読み始めた。

    〜2ヶ月後〜

    ようやく読み終わった!!! 初めてナボコフの小説を読み切った感慨よりも、もうこの話に付き合わなくていいという開放感のほうがおおきい。

    文章がうまいのは否定しようがない。単に修辞的で技巧的なだけでなく、「流麗」とでも言おうか、ページの端から端まで一息で読ませる力がある。

    特に好きだったのは(幼少期を扱った序盤と)第9章と第12章。
    9章では、酔った男ふたりが道端で気絶しているルージンを拾ってタクシーで家まで送り届けたあと、ルージン宅から出られなくなってさまよう描写が特に面白い。
    12章では、妻の父親の職場から譲ってもらったタイプライターで「とっと」と打つのにハマるくだりが諏訪哲史『アサッテの人』みたいで好き。

    しかし、作品全体としては全然好みじゃなかった。かなりキツかった。
    トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』のような、抽象的で崇高な芸術vs現実的で凡庸な人生、という対比を主題とした芸術家小説。
    天才チェス・プレイヤーの男(ルージン)に対して、「世俗」の象徴として女性(妻)を配置する時点でうんざりする。もうそういうのやめませんか……(100年近く前の小説にたいして何いってんだこの人!?)
    妻に限らず、文章のすべてに強いミソジニーが浸透していて(序盤、幼少期のフランス人家庭教師の描写とか一周回って感動しちゃうくらい!)、それがいちばんのキツさの正体だと思う。
    特権階級(芸術家)の中年男性の自己陶酔に満ちた「孤独」と「狂気」の話なんてもうウンザリだ! こういうのが「文学」として持て囃されてきた歴史の最後尾にいま自分が立っているという事実にちゃんと向き合わなければならない(とかいうけど、具体的には、どうやって?)

    ※しかし、この名前さえ与えられなかった「ルージン夫人」をたんに世俗の象徴と読むのも貧しい気はしている。彼女はなぜルージンと一生を遂げようと思ったのか。ルージンよりもむしろ彼女のほうが「特別」で「狂っている」のでは、ともすこし思う。(とはいえ「狂った妖しい女」というのもまた別の形骸的な象徴ではある……)

    散りばめられたチェスの暗喩としての小説描写も基本的にはしょうもないと思った。床に映った窓枠の影が格子状で……とか、そういうのいいっす。モチーフ/記号の反復が作中人物によって「自覚」されるほどに強調されるのも好みではない。
    深遠な意味をもって迫ってくる記号に主人公が囲まれて発狂する話──といえば『競売ナンバー49の叫び』も思い出す。

    訳者解説で、ラストシーンは自殺ではなく、ルージンがこの小説からナボコフのいる現実世界へと「脱出」を果たしたのだという読みが語られていて、ちょっと面白いな、と思ったが、しかしどうだろう。仮にそう読むとして、それはルージンにとっての救いどころか、単純な作中世界での自殺よりももっと遥かに残酷な結末ではないだろうか。なにせ、本小説の作者ナボコフは(こんな長編を書いてしまうほどに)チェスが大好きで、この現実世界でも「ルージン」はチェスの天才として設定されていて、なにより、「作者=運命にあらがって主人公が小説から脱出する」という結末さえも作者によって緻密に構成された「一手」に過ぎないのだから。まさに神の手のひらの上。あの世界で以上に、ルージンはこの現実世界では生きていけないだろう。いずれにせよ彼は破滅するしかない。

  • チェスに取り憑かれたルージンの物語。ルージンの妻となる女性に一貫して名前がないこと、彼女も夫をルージンと呼び、作中で登場人物がルージンに名と父称を尋ねてもルージンが答えないこと、最後にルージンが窓から飛び降りた後に、彼がアレクサンドル・イヴァノヴィチと呼ばれることに何か意味があるんだろうか。前書きに、ルージンはイリュージョンと韻を踏む、とあったから、チェスに魅せられた彼の人生は全てチェス盤上の幻で、彼が死んだ瞬間に幻から人間性を取り戻したんだろうか。僕はゲームから降りる、と言って飛び降りたルージンの人生はチェスのゲームであったとは言えそうだけど、そこまでが難しくて頭に入ってきづらい文章だった。

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著者プロフィール

1899年ペテルブルク生まれ。ベルリン亡命後、1940年アメリカに移住し、英語による執筆を始める。55年『ロリータ』が世界的ベストセラー。ほかに『賜物』(52)、『アーダ』(69)など。77年没。。

「2022年 『ディフェンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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