世界の歴史 (5) (河出文庫 794A)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309471648

作品紹介・あらすじ

ローマ帝国はなぜ滅びたのか。神の国の実現をめぐるローマ帝国興亡の叙事詩を壮大なスケールで描いた歴史叙述の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • ▼ずーっと疑問だったんですが、イエス・キリストさんっていうのは、ざっくり言うとローマが事実上支配していたイスラエル政府によって処刑されたはずです。そして「皇帝のものは皇帝へ」なんて言ったり、直接的ではなくても、ローマの支配になんとなくレジスタンスした(だから処刑された)。イエスの死後も、弟子たちはけっこう迫害されてる訳です。だのに、なぜ、わずか300~400年後に、ローマ帝国自体がキリスト教になっちゃうんだろうか?何があった?

    ▼なんというか、「劉邦が項羽を破った」とか、「龍馬が薩長同盟をした」とか「ヴェルサイユ条約のストレスがナチスを呼んだ」とか、「アメリカ独立は関税問題からはじまった」とか・・・多少の誤謬があっても、巨大な歴史の曲がり角について、当然のように「定説」があると思うんですが、「どうしてローマ帝国は、コンスタンティヌスは、キリスト教迫害から一転、キリスト教国家になったの???」という疑問への素朴な答えがない。そりゃヒドイでしょう。だって、それがその後1700年くらいの、世界史、西欧史を決定づけているのに!・・・。ところが、唖然とするのは、「実はそこンところは、もやもやして良くわからない」というのが定説なんだそうです。えええええ。

    ▼「世界の歴史(5)ローマ帝国とキリスト教」弓削達。河出書房新社 1989年。2019年10月読了。前記の興味が出発点なんですが、なぜこの本を選んだのかというと、岩波ジュニア新書の「世界史読書案内」津野田興一 で、勧めていたから。「世界史読書案内」は、かなり素晴らしい一冊。「砂糖の世界史」なんかもこれで教えられました。今回も期待を裏切らない良書。ハラハラドキドキの小説を読んでいるようなエンタメ感でした。パチパチ。

    ▼なんとなく分かったのは、よくある話ですが、イエスの教えってのは、弟子を子孫とするならば、子の代くらいまではプリミティブでミステリアスな原形の魅力を引き継いだようですが、孫の代、ひ孫の代くらいで、かなり変質しちゃったんですね。はっきり言うと、現世の権力を肯定するようになった。まあ、イエスは権力を全否定したのかっていうと、そうでもないのかもしれませんが、どうしてもイエスさんの活動っていうのは、一時期の沖縄琉球のような悲惨な多重支配にあえぐユダヤの民、っていう生々しい政治状況と不可避な内容だったので、少なくとも権力礼賛では全くなかった。

    ▼といって、その孫やひ孫が、悪役だったって訳でもなくて、解釈の発展変容みたいなこと。そこンところには、実はローマ帝国の光と影というか、仕組みの問題もあって、実はキリスト教迫害時代でも、「れっきとしたローマ市民であるキリスト教信者」は、人権的に迫害されず、ローマで活動できちゃってたりしたんですね。そういう信者からすると、「ローマ市民として、ローマ帝国で生きている自分」と「イエスの教え」を両立させる思考回路になっていくんですね。それぁまあ、人の防衛本能っていうのはそうなります。日本史で言うと仏教襲来に当たって絶滅の危機感を抱いた神道が、「実は我々の神は仏の友達っていうか、家来ですから」というアクロバティックな神仏習合、ほとんど爆笑ものの詐欺と言っていいような本地垂迹説で見事に生き残った感じに似ています。

    ▼そんな訳で、恐らく徐々に「ローマの繁栄と権力を認めるキリスト教」が誕生します。そして、その頃のいろんな宗教よりも、圧倒的に寛容なんですね。イエスの教えって。ギリシャの神とか、相当に不条理で恐怖政治だったりしますから。つまり、ローマの権力者にとって都合のいい宗教になってくる。

    ▼そこンところから、コンスタンティヌスさんが「ローマはイエスをあがめるぜ!」という宣言になるまでの、きっかけみたいなところっていうのは、やっぱりこの本でも「ハッキリはしない」。なんとコンスタンティヌスの道ならぬ情事を肯定するためだったのでは、というオモシロすぎる説まで。歴史は夜、作られるのか(笑)。

    ▼それにしても、その後その後の歴史を考えると、キリスト教、という名の下に、何百万、下手すると何千万という人が殺されてきたわけで。天草の乱とか隠れキリシタンとか、遠藤周作の「沈黙」とかに思いを馳せると、「でも実は、なんでキリスト教が西欧社会のデフォルトになったのか、その理由はよく分かんないんだよね」っていうのは、あんまりだよなあ・・・。

    ▼どんどん妄想は飛躍して。過去のいつかどこかで、高位の聖職者が、「ここにその理由がはっきり書いてあるんだけど、これぁ、表に出すと権威失墜しちゃうから、永久に秘匿しよう」みたいな極秘ファイルがあるンじゃないかしらん・・・。映画のワンシーンで妄想すると、後世、別の誰かがその資料を探して、その棚の、その引き出しまで突き止めたのに、開けてみると・・・「そのファイルだけが抜き取られている!」みたいな・・・(笑)。

    ▼確かに小説でも映画でも、傑作と言われるモノほど、実は1カ所くらいは不条理不可解な箇所があったりするんですけれど、歴史という物語の尽きせぬオモシロさよ・・・。さしづめこれがミステリー本だったとするならば、ヴェルヴェットのような極上の設定と語り口で、波瀾万丈予測不可能ジェットコースターな展開の末、最後の最後に犯人が・・・「わかりません」で終わってしまったような・・・。本としてオモシロかったか否かで言うと、イチもニも無くオモシロかったんですけれど。

  • 大正13年生まれの博士が昭和43年に出版したものですが、とてもわかりやすくて面白かったです。

    昨年塩野七生女史の『ローマ人の物語』を全巻読破したので、この本はおさらいになって、いろいろ思い出しました。
    そしてその中で私のとても知りたかった『ユダヤ民族』や『キリスト教』と『ローマ帝国』とのかかわりが、『ローマ人の物語』より詳しく書かれていて、理解が深まってよかった。

    聖書ってなんか神話みたいで、イマイチ本気にできなかったのです。
    でもこの本を読んで、ティベリウス(イエスが亡くなったときのローマ皇帝)-セヤーヌス(ティベリウスの親衛隊長だが後に血祭りにあげられる)-ポンテオピラト(私にとっては単に『使徒信条』に出てくる人でしたが、セヤーヌスによってユダヤ州総督になった人)ーヨセフ・カヤパ(イェルサレムにおいてユダヤ側の実権をにぎっていたアンナスの婿で大祭司、議長。彼がキリストを積極的に死刑にすすめた)など、自分の頭の中でいろいろ相関図ができてきて、面白かったです。

    最初のほうでひとつ、私の目をひいた文があります。
    「(前略)イエスはマリアとローマ軍団兵パンテラとの姦通の子だということになる。」
    これは初耳です。まるで『東京スポーツ』の見出しみたいです。それきりその話には触れないのですが、「絶対違う」という証拠はないし、わたし的には『神の子』というより本当っぽい感じがします。もしそれが真実だとしたら、とてもドラマティック。

  • 「かつて地中海世界を1つにまとめた巨大帝国が存在しました。多くの民族、多くの宗教、多くの文化、多くの国家を飲み込んで、たった一人の皇帝が当時する文字通りの帝国が。その名は、ローマ帝国。
    ・ティベル川のほとりにうまれた都市国家が、なぜ地中海世界の統一に成功したのか。
    ・ローマ帝国とキリスト教の関係性、この両者の関係をつかむことこそが、実はヨーロッパ史を理解するための本質的な鍵をにぎる。

    この本を読んでぜひともヨーロッパ史の「根っこ」をつかんで。
    この本は読み物としても、第一級の面白さ!(1960年代初版のシリーズなのに最新の概説書に比べても数倍面白い。それには理由があるのですが、わかりますか?)」(『世界史読書案内』津野田興一著 の紹介より)

  • 最初にこのタイトル「ローマ帝国とキリスト教」を見たときは、ただ「ふ~ん」と思っただけだったけど、よく考えるとこのふたつを並べるってすごい。

    本書はローマ帝国の建国から、東西に分裂するところまで。
    だから当初はローマ帝国とユダヤ教徒の関係が描かれている。
    ユダヤ王国はローマの属国でありながら、もちろんローマの神々を信仰しない。
    ローマも特に宗教的な強制はしないのである。

    が、ユダヤ教からキリスト教がわかれた時、ユダヤ教がまずキリスト教徒を弾圧し、皇帝を神格化したいローマも帝国も皇帝を神と認めないキリスト教徒を弾圧する。
    それがなぜ、ローマの皇帝がキリスト教を保護することになったのか。

    それは、極めて政治的な事情。
    弱体化しつつあるローマ帝国を守るため、「国の安寧と民の平安のためにキリスト教徒が神に祈ってくれるのなら、国はキリスト教徒を保護することにやぶさかではない」と、皇帝が発言したから。

    それはもともとのローマの神々を捨てることではなく、あくまでも「キリスト教徒も認めるよ」ということだったのだけど、いつの間にかキリスト教に取り込まれてしまった。
    だって、どんなに弾圧しても宗教を捨てなかったキリスト教徒は、味方にすると頼もしいのだもの。

    でも、キリスト教徒も祈ってくれたローマ帝国の安寧は結局叶わなかったわけで、それについてはどう折り合いをつけているのか。

    神と人間の関係は、信仰することによって幸せになれるという等価交換の関係ではなく、イエスが対価なくして人の罪を赦すその無条件な言葉に神の権威を認めることを求めたように、帝国の衰退とは関係なしに悔い改めることが要求される。
    つまり、「地上の国」ではなく「天上の国」での幸せを選択したことによって、帝国の衰退は特に問題ないことになった…のかな?

    読んだ端から忘れていくので、永久に読み続けられるのではないかと思うほど。
    ローマ人の人名はほぼ覚えられず。がっくし。

  • 2016/4/8
    ローマという都市が帝国になっていく過程が面白い。版図を大きく広げる際には有能な指導者が登場する。最終的には首都がローマではなくなり、コンスタンティノープルが首都となる。もはやイタリアではないのだ。ルーマニアという国名は「ローマ人の」という意味。地中海人すべてがローマ人だったわけだ。キリスト教に関する記述の分量が結構多く、いまいちであった。

  • (1990.10.23読了)(1990.09.01購入)
    世界の歴史〈5〉
    (「BOOK」データベースより)amazon
    ローマ帝国はなぜ滅びたのか。神の国の実現をめぐるローマ帝国興亡の叙事詩を壮大なスケールで描いた歴史叙述の傑作。

    ☆関連図書(既読)
    「古代ローマ帝国の謎」阪本浩著、光文社文庫、1987.10.20
    「ネロ」秀村欣二著、中公新書、1967.10.25
    「ローマの歴史」I.モンタネッリ著、中公文庫、1979.01.10
    「世界歴史紀行 イタリア」永井清陽著、読売新聞社、1987.12.27

  • 第一人者による名著。

  • 06'11'15<br>アウグストゥスとイエス・キリストを巡る不思議な因縁を神秘的に綴ったプロローグ〜果たしてどちらが真の救世主か〜から始まり、一転してローマの歴史、共和制から帝政への移行、その支配と属州国の隷属の実態を語り明かす。また一転しユダヤの歴史とそれを導入にイエス・キリストの降臨、キリスト教とローマ帝国との関連を分析する。<br>著者の弓削先生ご自身、敬虔なキリスト教徒でありましたが、キリストの起こしたさまざまな奇跡を事実とし、聖母マリアの処女懐胎を神秘的な「なにか」と言い、嫌疑することのないのに不思議な印象を受けた。しかしそれについては後述でもっともな理由をおっしゃっていたので納得しました。

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著者プロフィール

1924年、東京生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)卒業。東京大学教養学部教授、フェリス女学院大学学長等を歴任。2006年没。著書に、『ローマ帝国の国家と社会』(岩波書店)、『ローマ帝国とキリスト教』『素顔のローマ人』『歴史家と歴史学』(河出書房新社)、『永遠のローマ』(講談社)、『歴史学入門』(東京大学出版会)、『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書)ほか多数。

「2020年 『地中海世界 ギリシア・ローマの歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

弓削達の作品

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