アメリカ(河出新書) (河出新書 1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309631011

感想・レビュー・書評

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  • 自分が知っているアメリカ出身の知人の、あの何かを無根拠に信じている感じ。聖と俗が渾然となった感じ。それがずっと気になっていた。
    本書を読んで、それはやっぱり、キリスト教に、特にプロテスタントに由来しているのだと知った。
    また、なぜアメリカは社会主義をあれほどまでに嫌うのかという謎についても。

    だが本書から得た最大の収穫は、長年、司馬遼太郎の小説について抱いてきたもやもやとした違和感を明確に言葉にしてくれていた点。つまり、司馬小説は明治維新あたりまではわりと日本人を美的、英雄的に描いているけれども、あのみっともない太平洋戦争について語る言葉を持たないということ。その欠如が70年以上にわたる極端な対米従属に覆い隠され今日に至るという点。そして実は、そうした日本の態度は、本書で語られているアメリカ的精神がもっとも忌み嫌う態度であるというおそるべき指摘。

  • そもそもアメリカは、プロテスタントであるピューリタンがメイフラワー号に乗って、理想の国の建設を目的として米国はマサチューセッツ州プリマスに到着し、メイフラワー契約に基づき建国された、という前提から出発し、その歴史の中でキリスト教がどのように変遷、分派し、人々の心性に影響を与えていったかが、社会学者である二人の対話の中で語られていきます。

    アメリカ独自の宗派、教会として、長老派(プレスビテリアン)、会衆派(コングリゲーショナル)、メソジスト、クウェーカー、バプテスト、ユニタリアン、ユニバーサリスト、アドベンチスト、モルモン教、クリスチャン・サイエンス、エホバの証人、などが紹介されていますが、日本ではあまりこうした宗派の違いになじみがないように思います。理神論(神を信ずるも、自然科学を肯定する)を提唱するフリーメーソンの果たした役割にも触れられていました。

    聖書の言葉を神の言葉として重視する福音派が、トランプの支持地域である中西部に多い、という点は初めて知りました。

    アメリカ、という主題から遡って、近代的啓蒙主義にも触れられていますが、デカルト(演繹法)とベーコン(帰納法)の対比は、アメリカという主題とは別に、演繹のフランス哲学と帰納の英国哲学、という観点から興味深かったです。

    また、アメリカで発展を遂げたプラグマティズム哲学の提唱するアブダクションというアプローチが、アメリカの発明、起業といった個人の達成に対する考え方を裏打ちしているのではないかと言います。そこに予定説(神の救済はあらかじめ決定されている)の側面から、神が「見えざる手」を通して資本主義市場を支配している、という考え方も加わり、アメリカの資本主義を称揚するメンタリティーが醸成されているのでは、ないかと。

    アメリカでソーシャリズムが嫌われるのは、自分の主体性を他人に預けることを良しとしない個人主義的考え方が根底にあり、それはカルヴァン派の考え方に近いと語られています。学者の研究では、再配分率が高いのはルター派、逆に低いのはカルヴァン派の地域で、カトリックがその中間という結果であったようです。

    アメリカ人の精神の底流にこうしたキリスト教やプラグマティズム哲学があることは、なかなか読む機会がなく、大変興味深い一冊でした。

  •  アメリカについての理解について、日本はズレているのではないか?それは何故なのか?という事をアメリカの成り立ちから、宗教的な背景まで含めた対談本。

     昨今、各地において民主主義の試みが上手くいってない事が気になっていた。それが民主主義(アメリカ)の方が特殊な為かもしれないと、本書を読んで改めて思う。

     一種の世俗化したキリスト教が背景にあって、初めて機能するのではないか?そのキリスト教もプロテスタント系統でないとしっくりこないのでは。

     アメリカの特殊性と、それがグローバル化によってスタンダード化した事への考察の一助になる本。

  • いやぁ、第Ⅱ章で論じられているプラグマティズム、難しかった。哲学であって哲学でない?

    本書で掴めたのは、大雑把に、アメリカの建国者たちは篤いキリスト教徒(ただし様々な宗派に分かれていた)こと、そのため今も国の根底にキリスト教精神が流れていること、各宗派がそれぞれにコミュニティを形成したために小さなコミュニティの自治が進んだこと、政府が特定の宗派に肩入れすることのないよう政府の力を弱めたこと、宗派を超えた共通の社会規範をつくるためにプラグマティズムの理論がが発達したこと、等だろうか。アメリカ人のメンタリティーの奥深いところが何となく分かったような。

    第Ⅲ章で、アメリカに従属する日本人のメンタリティーの問題を取り上げているが、その中で、司馬遼太郎が先の戦争を描かなかった(描けなかった)ため、先の戦争に関して「日本人(日本社会、日本政府)が問題ある行動をとったとして、その問題を語る言葉を持っていない」と指摘している。司馬遼太郎が明治時代を美化する一方、昭和初期をそれとは隔絶した別時代であると考えてしまっていたことについては、半藤氏も問題を指摘していたな。

    敗戦のときに、「武装解除したからアメリカが武士になってしまって、日本は、町人と農民になっ」て武士のカルチャーが失われてしまった、と分析しているのには、なるほど、と思った。

  • 河出が新たに新書を刊行した。その最初の2冊のうちの1冊がこれ。またしてもこの2人の対談。前回は日本論だったか。2年ほど間があいている。アメリカって、ずいぶん後からできた国なのに、どうしてこうもいつもえらそうなのか、などと考えていた。まあ、その謎が解けたというわけでもないが、アメリカができてきた背景を若干知ることができた。キリスト教の中でもプロテスタントとかカルヴァン派とか、なかなか理解はできない。なんとなくわかったのは、健康保険とか、福祉などについては政府にどうにかしてもらおうとは思っていない、自分たちの判断でちゃんと準備しておきますよ、というような考えがアメリカでの主流であるということだろうか。ともあれ、これはどこの国についても言えることだと思うが、その国の国民性のようなものがある程度あるとしても、直接、個人的に接してみると、人間ってどこでも同じなんだなあという印象をもつことが多い。まあ40年ほど前のアメリカでの体験だけだけれど。それにしても、この2人の知識はすごいなと思いながらいつも読んでいるのだが、本書の中でも少し触れられているが、この対談に向けて、同じ本を読んで勉強したりしているのだ。そう、やっぱり勉強はされているのだ。さて、先の日本論、途中でもういいかと思って、止まったままだったが、本書のあとにもう一度読みだした。1年間「西郷どん」を観たあとで、またちょっと印象が違う。

  • <標準にして且つ例外のアメリカを理解せよ>

    社会学の兄弟弟子の二人、橋爪大三郎と大澤真幸が、中国(「おどろきの中国」2013)、仏教(「ゆかいな仏教」2013)、日本(「元気な日本論」2016)に次いでアメリカに挑んだ対談集(2018)。
    (この後、二人は「おどろきのウクライナ」2022を出している)
    社会学的アプローチで浮かび上がらせるアメリカはどんな相貌をしているのか?

    アメリカは圧倒的な「世界標準」でありながら、一方では他にこのような社会を見出せないほどの「ら例外的社会」だと言うのが、社会学者の見たアメリカの姿だ。
    スタンダードにしてエクセプション、この矛盾した意外な姿をこの対談は明らかにしていく。

    日本はアメリカに対して愛着を抱いている。
    それ故に、アメリカを良く分かっているつもりでいる。
    しかし、その実、アメリカのことを全く理解していない、と二人は断言する。
    だから、アメリカを知ることは、世界標準を知ることであり、理解していないにも関わらず無意識の愛着を抱いてしまう日本を知ることにも繋がるのだ。
    そこが対談の出発点だ。

    アメリカを理解する鍵として指摘されるのは二点。
    キリスト教(プロテスタンティズム)とプラグマティズムだ。

    この内、「プロテスタンティズム」の議論はこんな風に進んでいく。
    「プロテスタンティズム」という宗教が個人主義を発生させ、アメリカ人の意識を形作ったと言う。
    このメカニズム分析は、社会学者だけあって見事だ。
    「プロテスタンティズム」では、信仰は強制できない。
    何故なら信仰は神の恵みであるから。
    アメリカは、自身の自分勝手な無理強いを、決して価値の押し付けであると考えないのはこのためだ。
    信仰を持つ以前、世界は「偶然」に満ちている。
    しかし、信仰を持つと、全ては「必然」となる。
    何故なら、全ては神の意思だから。
    しかし、これは問いを神の意思に帰すことで、問いが答えに見えるようにしたレベルに過ぎない。
    科学はどこまで行っても「偶然」を消去することが出来ない。科学者が最後に、信仰に救いを求める理由もそこにある。

    アメリカ分析という実践を通じて社会学の可能性の豊かさを示してくれる。
    これからも二人の実践から目を離すことは出来ない。

  • 「アメリカ」は宗教的な哲学的な解釈が難点である。あのような解釈が一般化しているとは思わないが、他の著者ではできないようなアプローチだ。その考え方は正しいのだろうかとケチをつけたくなるが、しかも結果も出している。そしてまたそれは日本論にまで波及している。考え方の流れを理解するには好著であった。どこまでが正しいかどうか、しかし悩める日本人の置かれている精神的土壌を理解する一助以上になる。

  • 近くて遠い国アメリカを実感できる一冊

  • 米国の文化的風土をキリスト教や哲学?の切り口から掘り下げようとする議論は興味深かったが、3章の日本との関わりというか日本からみた米国との関わり方の議論が白井聡の「永続敗戦論」そのものであることに驚く。(文中でも同書が参照されている)

    本邦が米国に盲目的に、かつ米国や欧州からみて異常なほど服従している(のに自覚していない)とする立場から書かれた米国論にどこまで説得力があるのか。

    結局、全共闘世代は半世紀前の呪縛から逃れられないということか。

  • いや、このお2人の対談だけあって、その辺の底の浅いアメリカ論と違い深い。しかし、私のレベルでは消化不良…特にプラグマティズムに関する箇所。ただ、アメリカの何たるかを知るために…特にその宗教面から見た生い立ちについて概略を知るために読んでおいて損はない内容だったかと。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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