『歎異抄』入門: 無宗教からひもとく (河出新書)

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  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309631608

感想・レビュー・書評

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  • 歎異抄は築地本願寺で知った仏教であるが、この本のサブタイトルのように私も無宗教であるが故これからが始まりであると考えるています。

    法然の弟子である親鸞が教えた「南無阿弥陀」のについてそれが歎異抄のようだ。
    親鸞の教えを、間違った解釈をしたりアップデートする人たちが出るので、唯円が歎異抄として記した。
    異なることを歎くと言うものだと知りました。

    一人も漏らさないと言うものがあるようで、それは大変心強いものであり救いを頂きました。
    もっと歎異抄を勉強したいと思います。

  • うちは浄土真宗。歎異抄はまだ読んだことはないけど。
    南無阿弥陀仏と称えはするけれどそれがどういうことなのかは、今一つピンときておらず。この本を読んでわかったのは、念仏とは「必ず救う。浄土に救う。だから安心して今しかない生を生きろ」という阿弥陀様からのメッセージだったのだなと。星4つなのは時々難しいなと思うところがあったからだけど、書物としては読むに値する本です。
    南無阿弥陀仏。

  • 188-A
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  • ・親鸞先生
     −死者の供養のために念仏せず。
     −滅罪のために念仏せず。
     −攘災招福のために念仏せず。
    ・親鸞に弟子はおらず。
     −阿弥陀如来からいただいた念仏をただ唱えるのみ。
    ・私たちの常識や思いが投影されているような物語では私たちに力を与えることはできない。浅原才市。
    ・本願念仏の教えが言う救いとは、嫌な状況が消えてなくなるとか、不幸な状況が転換されて幸福な状況になるとかではない。現実に生じていることがらを、そのまま、たじろがずに受け止めることができるということ。
    ・私一人が救われればよい、とくのは仏教の教えではない。

  • 分かりやすく歎異抄を解説してくれている。

    人生を100年として、死んだら無になるという考え方ではあまりに寂しいとは同感だ。

    世の中では科学的根拠のない宗教とか輪廻転生、前世などはオカルトとして信憑性にかけるものとされているけれども、自分でもコントロール出来ない自我はどこから来ているのかもまた説明が出来ない。なぜ、人は苦しくなるほどの恋愛をするのか、自分を否定した人間にたいして心の底から沸々と沸き起こる怒りはどこから来るのか。このような宿業とは遺伝子の記憶か。説明出来ないことだらけなのに死んだら無になるのだから100年のうちになにか意味を見いださなければならないとあせるのもナンセンスだな、と読んでいて思った。

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著者プロフィール

阿満利麿(あま・としまろ):1939年生まれ。明治学院大学名誉教授、同人誌「連続無窮」主宰。著書に『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『歎異抄』『親鸞からの手紙』『柳宗悦』『『歎異抄』講義』(以上、ちくま学芸文庫)、『無宗教からの『歎異抄』読解』『人はなぜ宗教を必要とするのか』(以上、ちくま新書)、『日本精神史』『『往生要集』入門』『『教行信証』入門』(筑摩書房)、『選択本願念仏集』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2023年 『唯信鈔文意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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