女ことばってなんなのかしら?: 「性別の美学」の日本語 (河出新書 063)
- 河出書房新社 (2023年5月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309631622
感想・レビュー・書評
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平野卿子さんは翻訳家。ドイツ語・英語に長けている方です。
日本語にするとき、どんな表現にするかで試行錯誤している。
ドイツ語の名前は日本人には性別が分かりにくい。
例えば、クルトとかイルムガルトなんてなじみがない。
だから、クルト(男)には「腹が減った」、
イルムガルト(女)には「お腹が空いたわ」としゃべらせたりする。
「実際にはあまり使われていないのに、メディアや翻訳小説、映画の字幕や吹き替えに頻繁に登場する女ことばに違和感がある」
という意見を最近聞くことが増えている。
「女ことば」や「男ことば」は、翻訳する時には女性と男性の"役割語"として登場しやすくなるようだ。
「女ことば」や「男ことば」は書きことばにはなく、どちらも話しことば。
日本では、お行儀のよい娘は口にしない言葉が「男ことば」として区別されるようになった。
世界でもあまり例のない「女ことば」を生んだ背景には男女格差の文化があり、
日本には民主主義国の中で断トツのジェンダー格差があることと密接な関係がある。
女ことばは、古くから伝えられてきた日本の伝統だと思っている人が多いが、
「だわ」や「のよ」の言葉づかいの起源は明治時代の女学生の流行りことばだったりする。
丁寧で控え目で上品な言葉が選ばれ、不満や怒りに繋がる乱暴な言葉は排除されたらしい。
最近は若い世代は性差の無い「中立語」を普段から使うようになってきていて、
著者も一人でテレビを見ている時などは、「文句言ってねーでお前がやれよ!」「こいつ、るっせえ」とか悪態をつく言葉を発するようです。
口に出すとストレス発散できるみたいですね。
「女ことば」のもう一つの制約は、命令ができないこと。
「やめて(ください)!」とお願いはできても「やめろ(よ)!」と命令できない。
英語の一人称の "I" は性別とは無縁だが、日本語は違う。
特に女性が使えるのは基本的に "私" 一つだけ、それも女性専用ではない。
女は自己主張するなという風潮が言葉にも表れている。
漢字には男編がなく人偏が使われるのは、人間=男だからと言われるが、西洋でも man が人間も表していた。
今は sportsman は athlete や player に変ってきている。
ドイツ語には女性名詞や男性名詞があるので、言語の性差別が問題になり随分変わってきているようだ。
日本語には性差別を含む言葉は沢山あり、今は使わないように注意しつつも、意識の中に根強く残っている。
男の中の男、男を上げる、男が惚れる 「男」=「立派な人間」
女々しい、女だてらに、女の腐ったよう「女」=「低俗な人間」
「うちの人」は妻が夫を指して言うときの言葉。つまり「人」=「男」。
「女」が「人」として扱われるのは「美人」や「夫人」と、容姿が美しかったり結婚した時くらい。
「男勝り」は「男に負けないほどしっかりしている」女性のことで、男の方がしっかりしているという前提からできた言葉。
「姉御肌」は男とは比べていなくて、面倒見のいい頼れる姉さんという感じ。
男は、自分との比較対象にならない「姉御肌」の方を好む。
日本の小説では、男性は姓で、女性は名で記すことが多い。
これが逆だと奇妙な印象を受ける。
そのわけは家制度にあり、男子が生家の姓を名乗り続け、女子は他家へ嫁ぐものとされていたからのようだ。
「女らしさ」と「男らしさ」は、どちらの性別であっても縛りのある言葉。
違いは、「女らしさ」は過剰な時に、「男らしさ」は足りない時に批判される。
「女ことば」とは別に「オネエことば」がある。
「オネエことば」は、「毒舌」をやわらかく感じさせるのに役立っている。
命令したり、でしゃばったりしないように作られた「女ことば」の範疇に入るからだろう。
マツコ・デラックスは、自分の立場を冷静に分析もしていて、
「自分はキワモノであり、社会の端っこにいる、世の中の人と対等でない存在」
「アタシが何を言ったってどうせあのオカマが、と思うだけだから好きな事が言える」
と発言している。
この先「女ことば」がすたれても、「オネエことば」は生き延びるのではないかという気がする。
「女ことば」は使いたければ使い、使わなくてもいい時代になってきたことは喜ばしい。
「女子力が高い」なんて言う男は軽蔑される世の中に変ってきてると感じる。
と思いつつ、無意識のうちに男尊女卑の言葉を使っていないか心配になってきた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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女の本屋 > 著者・編集者からの紹介 > 平野卿子・著『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』 投稿◆平野卿子(翻訳家)...女の本屋 > 著者・編集者からの紹介 > 平野卿子・著『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』 投稿◆平野卿子(翻訳家) | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network
https://wan.or.jp/article/show/10677#gsc.tab=02023/06/20 -
◆「意思表明は男性」という悪弊[評]武田砂鉄(ライター)
<書評>『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』平野卿子 著:東京...◆「意思表明は男性」という悪弊[評]武田砂鉄(ライター)
<書評>『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』平野卿子 著:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/271250?rct=shohyo2023/09/01 -
<読んでみないかい?>命令できない「女ことば」:北海道新聞デジタル
https://www.hokkaido-np.co.jp/articl...<読んでみないかい?>命令できない「女ことば」:北海道新聞デジタル
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/906753/
「女ことばってなんなのかしら?」書評 言語に深く打ち込まれた性差別 |好書好日
https://book.asahi.com/article/14989511
『女ことばってなんなのかしら?「性別の美学」の日本語』 平野卿子著|【西日本新聞me】
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1124868/2023/09/12
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女ことば話者だがぶんぶん頷きながら読んだわ。男性は言葉をどう意識しているのかしら。
「かしら」的話法は明治以降らしいが、人=男なのは西洋も日本も一緒(キーマン、ビジネスマン)。女ことばが単に悪いのではない、女性は意思決定やリーダーシップに携わらない文化に加担することが悪いというのが本質だろう。「『それはまずい。◯◯に変えるべきです』というところを、『それはあまりよくないのではないでしょうか。◯◯にしたほうがいいように思うのですけれど…』というのでは、説得力がまるで違います。」日本のビジネスでは男女(男が先にくる)共通であっても断定しない曖昧話法が好まれることがままあるが、女性の方がなおさらだろう。女性が言うときつく聞こえる、怖い女と思われる、という抵抗感を乗り越えなくてはならない。
自分は(私は、ではなく)SNSでは意識的に性別を明確にしない文章を書いているが、断定できない女ことばから脱却したさはある。
文字の成り立ちや男女順など情報量が多く、言葉に敏感な筆者のセンスは興味深いものの、本の構成としては、この論点をもっと明確にしたほうがよかった。 -
女性には、まったく悪態をつかない人がたまにいて、ああいう人はどうやって気持ちを発散しているのだろうと常々思っていた。言葉の汚い女性は嗜められるが、「うるせえんだよ」という言葉でしか表現できない感情がある。この本によると、「人を動かしたいとき、女ことばではお願いしかできません」とある。そうだよ。そうなんだよ。他にも、人称の問題など、性と言葉について考えるきっかけになった。
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ずっと日本語の「女ことば」は男社会を映し出していると思っていましたが、日頃のモヤモヤした考え、というか、疑問を、サ〜〜〜とクリアにしてくれた。
サピア・ウォーフが言うように、文化と言語の密接な関係が、「うふふ」と「へえ〜〜」の連続で解明される一冊。例えば、
*私たちが使う漢字には「女へん」はたくさんあるけど「男ヘン」はない。なぜか?
*「男の中の男」はOKだけど、「女の中の女」とは言わない。
*「頑固爺さん」はOKだけど、「頑固婆さん」=「意地悪婆さん」になる。
*「女々しい」「女の腐ったの」など女はロクなことは言われない。
などなど、もう笑うしかない。
ほんと面白かった、あと2回は読もうと思ってます。 -
女は女らしい言葉遣いを、という教えが体の芯まで染み付いている者にとって、目から鱗のことばかり。
確かに少女と少年は非対称で、少年は少男じゃない理由がわからない。
悪態をつくと人は苦境への耐性がアップするらしいので、時折強い言葉で悪態をつく自分を肯定したいと思った。 -
わたし、僕、俺、ワシ、ワイ、確かに男性をしめす人称がたくさんあるのに、女性の場合は私だけ。かなり独特の文化なのは昔から心得てはいたけど、少女と書くのになぜ少年?など、あらためて示されると、おぉ!と目から鱗の指摘の数々。
個人的には女ことばとは、と示された6つの例に一つも該当しなかった自分は、ある意味見えない壁を打ち破って生きてこれたのかも、とふと感慨に耽ってしまうのでありました。
非常に面白い論考の連続、いろんな年代の人に読んでもらいたい、語り合いたい一冊だと思います。 -
快調に楽しめたが、読めば読むほど日本語に自然に内蔵されているミソジニーに腹立ち呆れ、しかし第一言語として日本語がインストールされている身としては罵倒語を言うべき時に言える瞬発力をトレーニングすることと、あまりにも差別的な用語にNO(御主人とか奥様、とかね)と言い続けるしかないな…