思考の臨界: 超越論的現象学の徹底

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  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326101283

作品紹介・あらすじ

フッサールの企てを徹底的かつ厳密に展開、新たな問題領域を開拓する強靱な思索。

感想・レビュー・書評

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  • フッサールは、そこにおいて現われることからすべてが始まるような「超越論的領野」を発見したと著者はいう。この超越論的領野はすべての始まりである以上、超越論的領野とは何かを問うことは意味をなさないはずだ。それは「思考しえないもの」なのである。本書は、こうした「思考しえないもの」へと向かって歩むフッサール、ハイデガー、レヴィナスらの思索を描いている。

    まず著者は、時間を主題に取り上げる。晩年のフッサールの思索は、「今」が「今でないもの」へとたえず転化してゆくことですべての現象がはじまるような「生き生きした現在」に向かって歩んでいった。だがそれは、現象学がそれ以上遡ることのできない「思考の臨界」であることが明らかになる。このことをはっきりと示したのが、デリダのフッサール批判だった。現象するものは、つねにみずからに対して遅れてしまっており、「もはやない」という仕方で何ものかとして現象することが可能となる。こうした事態をデリダは「差延」(différant)と呼んだ。

    さらに著者は、ハイデガーの「存在」をめぐる思索が、世界がそこにおいて構成される「場所」に向かっていたことを論じている。この「場所」は、そこですべての存在者が成立する「場所」なのだが、「場所」自体はどのような意味でも存在者ではなく、「無」というほかないものである。だが、「無とは何か」と問うてはならないとハイデガーは主張する。このように問うとき、私たちは「無」を存在する何ものかとして扱ってしまっているからである。ハイデガーは、無を存在者として扱う形而上学を批判する。それは、何ものかを何ものかとして露わにしつつ、それ自身は身を隠してしまうのである。ここにも「思考の臨界」が画されていると著者は考える。

    最後にレヴィナスの「他者」への問いが取り上げられる。レヴィナスの他者は、フッサールの意識の流れとしての時間に「不意打ち」のように訪れ、すぐさま超越論的領野の外部を指し示す「痕跡」へと化してゆく。それは、私たちの「現在」から絶対に非連続の「未来」からの到来であると同時に、一度も到来したことのない「過去」だとレヴィナスはいう。こうして、いっさいがその内部に現われるはずの超越論的領野は、その外部に触れてしまっていることをレヴィナスは論じていたのである。著者はここに、フッサールやハイデガーにもまして、「思考の臨界」が明瞭に示されていると論じている。

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著者プロフィール

1957年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学博士。現在、慶應義塾大学文学部哲学科教授。専攻は現象学、西洋近・現代哲学。
著書に『フッサール 起源への哲学』『レヴィナス 無起源からの思考』『知ること、黙すること、遣り過ごすこと』『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』(以上講談社)、『「実在」の形而上学』(岩波書店)、『デカルト――「われ思う」のは誰か』『デリダ――なぜ「脱-構築」は正義なのか』(以上NHK出版)、『生命と自由――現象学、生命科学、そして形而上学』(東京大学出版会)、『死の話をしよう――とりわけ、ジュニアとシニアのための哲学入門』(PHP研究所) など。

「2018年 『私は自由なのかもしれない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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