知覚の言語―センスとセンシビリア (双書プロブレーマタ 4)

  • 勁草書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784326198740

作品紹介・あらすじ

日常言語のスリリングな分析を通して、〈感覚与件〉理論の土台を掘り崩す。哲学の破壊による哲学の再建へ。



感覚与件理論に体現されている過度の簡略化、画一化、二分法への拝跪といった傾向を日常言語の詳細な分析によって徹底的に破壊する。哲学の破壊による哲学の再建。

感想・レビュー・書評

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  • [出典]
    「時間は存在しない」 カルロ・ロベッッリ
    原注
    第七章 6.

  • 日常言語派(?)のオースティンの講義録。

    標題は、いうまでもなく、jane austenの"sense and sensibility"のもじり。その作者が、j.austinというわけで、実に面白い。

    内容的には、エヤーの「経験的な知識の基礎」に対する徹底的な批判であり、ウィトゲンシュタインの「哲学という言語の病を治療する」行為の実践。

    といっても、エヤーの本を読んでいないので、その議論は今ひとつわからない。

    多分、エヤーさんからみれば、重箱のすみをつつくような、どうでも良いいんねんをつけられているような感じだろうなー。

    おそらくは、多分、全く接点の無い人たちの永遠にかみ合う事のない議論になっているのだろう。

    つまり、オースティンのやっているのは、エヤーの使う言葉、例えば、「見える」「本当の」「知覚する」といった言葉を、日常の英語の語法から分析することによって、エヤーの言っている事が、哲学的なナンセンスであることを論じて行くという感じなんですから。そうした一見どうでもよさそうな分析を重ねながら、エヤーの議論のコア部分ににじり寄って行く感じ。

    この辺の議論の切り崩しかたは、デリダの脱構築を思わせなくもない。

    が、オースティンさんはイギリス人なので、デリダ的な韜晦な感じではなく、英文法の教科書さながらに言葉の日常的な用法を丁寧に数え上げながら、議論を進めて行くんです。そのへん、なんとも律儀なイギリス人というか、独特なユーモアセンスを感じる。

    フランス系の哲学をしばらく読んだあとで、英米系の哲学を読むと、問題意識は相当に近いものであっても、全く印象が違って感じられる。

    その辺が一番面白かったかな。

    満足度については、エヤーをあまり理解していないので、内容を充分理解した気がしないので、3点くらいにしておく。

  • [ 内容 ]
    感覚与件理論に体現されている過度の簡略化、画一化、二分法への崇拝といった傾向を日常言語の詳細な分析によって徹底的に破壊する。

    [ 目次 ]


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