仏教とアドラー心理学: 自我から覚りへ

著者 :
  • 佼成出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (369ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784333024650

作品紹介・あらすじ

うつ、神経症、心身症、不登校、引きこもり、リストカット、自殺、いじめ、非行、薬物依存など、心と行動に関わる深刻な問題が山積する現代日本。だが、仏教と心理学を統合したアプローチにより適切で有効な理解と対処は可能だ。

感想・レビュー・書評

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  • 2015.11.6
    人間の発達段階を、自我以前ー自我確立ー自己実現ー自己超越と捉え、その各段階においてアドラー心理学と仏教(唯識)が相補的であり、かつ主要な考え方、概念、世界観としてかなり一致していることを解説した本。文章が平易でかなりわかりやすく、アドラー心理学も仏教もかじった程度の理解しかなかったが、とても理解を深めることができたように思う。自我以前、幼児期はナルシシズム的な全能感を持ち、自己中心的な自分と世界が一体だと思っている。しかしそれは母との関係において挫折する。ここで、私と世界が別れてしまう、そしてその私と世界の関係性を取り持つ存在、心理的機能として、自我が生まれる。唯識の観点ではこの自我、つまり自分と世界を分ける分別知=無明こそが諸悪の根源なのだが、これは発達上逃れ得ないことだろう。赤ちゃんが最初から悟ってたら死んでしまう。自分では何もできない、むしろ生物学的早産によって生まれた分、他の生物の赤ちゃんより弱い存在である。よって親の関心を集め、親を自分の手足のようにコントロールする能力、それは即ち全能感に基づく要求能力が必要である。なんでもしてもらわなければならない以上、なんでも要求する能力が必要である。しかし発達に伴い、この全能感は挫折する。いつまでもなんでもしてもらえる、世界=私では社会的な生活は営めないからである。全能感は必然であり、その挫折はまた必然である。ここにより自我が生まれる、全能の私と、思い通りにならない世界のバランスを取る存在である。挫折している以上、幼児期において人間は自我の誕生の瞬間から劣等感を抱いた存在である。そこから、優越性への努力つまり全能への回帰と、現実による挫折を繰り返し、現実世界という枠に収まる範囲での全能=アイデンティティが確立すればいいが、多くの人がこの私と世界の関係構築において挫折する。この自我崩壊状態から、勇気づけによって共同体感覚を養い、自我を再構築しようとするのがアドラー心理学である。個人としては弱い存在である人間が、助け助けられることで生き延びるという生得的な社会的本能に訴えた概念が、共同体感覚なのだろうか。自分自分では幸せになれないことはよくわかる。居場所感覚があり、自分以上に幸せになってほしい他者がいる方が自分も豊かで幸せなのはわかる。しかし共同体感覚に対し了解しきれない感じは以前残っている。今後より考えを深める必要があるだろう。またアドラー心理学で対応しているのは自我確立および自己実現であり、自己超越に関して仏教=唯識が担当している。まずは何より、万物は本質的にひとつ、時間的にも(因果)、空間的にも(縁起)、であり、そして実体(他との関係性なく存在でき、それ自身の変わらぬ本質があり、永遠に存在する)はこの世に一切ないという空の思想を理解しなければならない。私は両親がいなければ存在していない、また食物がなければ存在していない、私は兄であり息子であり学生であり、そして私は死ぬ。このような世界観は、必然の全能、必然の挫折、よって必然の自我の性質と完全に対立する。しかし自我の方が、言わば適応のための幻想であり、この世界認識の方が真実、事実であるとする。自我はこのような発達過程により、まず無意識(マナ識)に四つの根本煩悩、即ちすべては非実体という世界認識に対する無知=我癡、私は実体であるという思い込み=我見、その実体としての自我を他者より優位にしようとする=我慢、そんな思い込みの自我を執着し愛着する=我愛、がある。これは生得的全能感のことだろう。さらにここから発生する意識上の六つの根本煩悩、即ち貪=強欲、瞋=過度の怒り、癡=無知、慢=優越感、疑=空への反発、悪見=思い込みへの執着、がある。これとどまらない行為上の随煩悩、また善なる本性まで含め、深層心理に対する深い理解には感嘆するものがある。しかしここでもまた最も重要な空の思想が、私には了解しきれない。これもまた考え深めるべきことだろう。思ったことは、生きるとは、この世界とどのような関係性を持つか、ということらしい。特定の自然環境(世界)に生存のため適応することは進化である。しかし人間は特定の自然環境ではなくそれを超えた複雑な文化、そして単一のプログラムで動く生物ではなく非常に複雑な心理をもつ他者に囲まれた世界に適応しなければならない。よって生まれた仕組みが、自我であった。しかしこの機能は完全ではなく、世界との関係性をうまく作れず、それが精神的な病いとか、偏ったパーソナリティになるのではないか。弱者として生まれた人間が世界への適応の機能として自我を備えたが、成長した後にはその自我を超えていくことがより幸せになることなのだろうか。適応の機能としての自我の不完全性を補完するものが、心理学であり、哲学であり、宗教であり、そして教育なのかもしれない。その不完全性に対する認識、また世界に対する認識をもって、両者の関係性をよりよくしていける=適応し幸福になれるのかもしれない。人間発達をふたつの学説の統合によって説明し、人間の可能性を垣間見ることができる一冊。

  • アドラーを外から見てわかりやすく書いてある
    仏教の話は、専門用語が多いので、知らないと苦戦するかも

  • 心理学と宗教の融合を試みる。
    両者の共通点と違う点を見せることで
    見えてくる統合点。
    おもしろい考え。
    勇気づけと方便ぐらいの気持ちでいいかなー他者との心理距離は。

  • 意外と面白くよめた、ところもあった。共同体感覚があったら人間は、悩んで袋小路に入るのが少なくなるみたいと思った。

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著者プロフィール

1947年生まれ。関東学院大学大学院神学研究科修了。現在、サングラハ心理学研究所主幹。唯識、トランスパーソナル心理学、ホリスティック教育・エコロジー・自然農法などの紹介に携わり、新しい思想潮流の創出に関わった。著書に「自我と無我」(PHP)「トランスパーソナル心理学」(青土社)など。

「2002年 『万物の理論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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