英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334033088

感想・レビュー・書評

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  • 英語かぶれを批判するフランスかぶれ。
    論旨以前に、相手を批判するときはデータ持ち出すのに、自分が主張する際には経験や事例をすぐ一般化するのはどうなんだろう。

  • 読了:2012/2/1

    Amazonレビューでも指摘されているが「英語を学べばバカになる」、という内容を書いた本ではない(知っていて読んだけど)。副題の「グローバル思考という妄想」の方が内容を表している。

    「アメリカ偏重」を糾弾しつつ、二言目には「ヨーロッパでは~」を出してくるのには辟易した。

    本全体を通して、主張の根拠がほとんど誰かの本の引用である、というのはどうなのだろうか。
    著者が共感した引用にはさしたる根拠もなく称賛を与え、著者と異なる意見には、やはり特にデータや調査研究を示すこともなく、著者の印象をもとに批判を行う。

    共感するところも多々あるけれど、「この世界はアメリカの価値観が絶対ではないのだ」って、当たり前のことだからな、それ。

    最初から最後まで印象批評のみで通した本であり、著者(あなた)こそヨーロッパ偏重じゃないですか大丈夫ですか、と問いたくなる本だった。

  • 薬師院仁志 「英語を学べばバカになる」 2005 光文社新書

     刺戟的なタイトルにして手にとってもらおうという魂胆なのだろうが,他の新書と較べてどうも光文社新書は本のタイトルと内容のズレが大きい気がする。本書の趣旨は,英語学習熱や英語公用語論に対する批判。日本人に英語が必要だという主張が妄想であることと,必要もない英語を身につけるべく金をかけることの愚を説く。
     NOVAがぽしゃったとはいえ,英会話産業は社会に深く根を下ろしている。いまは学校でも我々の世代より早く英語教育が開始されるという。普通に考えれば,それだけ英語学習の需要が増えてきているということだが,はたしてそうなのだろうか。それは必要に迫られた真の需要ではなく,羨望と宣伝,親のエゴから生み出された,擬似需要なのではあるまいか。
     英語帝国主義論というのがある。世界で最も使い勝手がいい言語は英語である。経済的に劣位にある言語は,このグローバル時代に使い物にならず,優勢な英語に駆逐されていく。母語だけ喋っていても一向に社会的上昇は望めない。これは母語を棄て,英語に乗り換えろという圧力になる。帝国主義の時代,植民地支配の便宜上,宗主国の言語が現地の言葉を駆逐し,あるいは大きく変容させた。今もこの構図は変わらない。唯一の超大国アメリカの英語を身につけないと,この国際社会で生きていくことはできない。あからさまな植民地搾取はなくなっても,言語による帝国主義的支配が続いている。英会話の隆盛の背景には,この種の漠然とした意識がある。
     しかし,英語は世界標準でない,と筆者はいう。確かに前世紀,二度の大戦を経て,アメリカの影響力は飛躍的に上昇した。米ソ冷戦期,アメリカは自由主義の盟主として君臨した。西側諸国はアメリカについていくしかなかった。それでも,彼らは別に英語を崇拝していたわけではなく,西欧は常に自文化に誇りをもってきた。フランスなどは特に顕著で,知識人は常にフランス語の乱れを憂え,英語からの外来語の流入を禁止したり,ハリウッド映画の放映を規制する法律を通しさえしてきた。いくら日本語が乱れているといっても,表現の自由を規制してまで打開しようとは日本人は思わない。フランスは自由の国だったはずだが,ともかく文化や伝統は自由に匹敵するほど大切なのだ。そのため例えば国連でも,公用語は覇者であるアメリカの英語だけでなく,複数の言語が採用されている。厖大な翻訳の必要という凄まじい非効率を忍んでそうしていることを見ても,英語ができれば世界と情報交換できるというのは妄想だと知れる。しかも,今,冷戦が終わって久しい。西欧はアメリカからますます離れている。英語がグローバルスタンダードということは到底できない。
     本書の論理展開上,筆者はそんな風に言いきるが,大衆レベルでない,知的専門分野や貿易・通商分野においては,英語が世界標準としてほぼ行き渡っているように思える。効率性がより重視されるからであろう。戦前,英語の権威はこの分野でももっと低かった。医学や科学といった学問の世界では,英語などよりむしろドイツ語,フランス語が優勢であった。二十世紀初頭の重要な科学の論文で,英語で書かれたものは少ないのではないだろうか。ナチス時代,アメリカへ多くの頭脳が流出したことは,ドイツにとって痛かったはずである。それでもドイツの科学は,人類初のロケット技術を開発するほど高水準だった。しかし,ドイツにできなかった原爆の開発を,流出した頭脳は達成した。そう考えると,もしヒトラーが出なければ,学問の世界はいまごろドイツ語が標準だった可能性だってある。ともあれ,英語を母語としない異国間で,一般民衆レベルでのコミュニケーションをとろうとすれば,英語が役に立たないのは確かにそうだろう。
     日本人はついつい欧米とアメリカを同一視してしまうが,これは間違っている。欧州の人々はアメリカを特殊な国と見ている。筆者によると,例えばこんな風に。
     小さな政府,自由を至上とし,知的エリートに干渉されないことを要求する夜警国家。地域社会は人種的,経済的に均質化しており,住民自治が大事にされる。何事も自分たちで決めることが大切で,教育内容まで一般人に決めさせろと主張。特に南部では,進化論を教えることにも根強い抵抗がある。徹底した自由主義,市場原理主義のもと,皆勝手に生きて,経済格差は大きく,銃も簡単に手に入るから犯罪が絶えない。性と暴力が溢れ,消費は善として煽られる。訴訟社会もこの当然の結果。それで警察と軍隊ばかりが肥大する。そうなると警察権力に支配されないよう陪審制が必要なのは自明の理である。陪審制とは,司法にも住民自治を取り入れるということだ。死刑制度も大衆により支持され,死刑囚は未成年も含め何千人もいる…。
     外国語の習得が一般国民にとって必須なのは,母語話者の少ない国である。人口数百万の北欧諸国など,せめてドイツ語くらいはできないと,読書,映画といった娯楽も楽しめない。いちいちマイナー言語に訳していては,コストがかかって仕方ないのである。もちろん母語では高等教育も受けられない。この点,日本語は一億を超す話者をもつ。だから,日本では日本語さえできれば,日常生活に支障を来すことはない。日本人が,英語ができるようにならないのは必要がないからである。これからは英語ができなくては,と言われるが,全く根拠はない。宣伝を鵜呑みにして,バスに乗り遅れるな,とばかりに英会話学校や英語教材に闇雲に金をつぎこむのは馬鹿げている。英語教育産業に雇傭をつくりだすだけだ。
    「英語で世界に情報を発信できる」という強迫観念も妄想である。そもそも伝えるべき有益な情報をもっていない一般人が,英語ができても意味はない。有益な情報を発信するにはまず母語を身につけて勉強すべし。北欧などと異なり幸い日本ではそれができる。アメリカの一般人は英語ができるかも知れないが,その人の発信する情報が何の役に立つのか。日本人が皆英語ができるようになって,めいめいが世界に何を発信するのか。
     分量の多くがアメリカ批判に費やされ,英語教育論というより反米論といってもいい内容の本だが,常識を疑ってみるという点でなかなか面白かった。さて今日はその米国の大統領選投票日だ。

  • 東大駒場の本屋さんで英語系の本を見ていたら、寺沢さんが試すような目で「この本面白いですよ」と言ったので、これはきっと色々突っ込みどころのある本なんだろうと思って読み始めた。

    英語に関する言説は、どれもこれも偏っていて面白い。
    英語について語る事は、あたかも自分のアイデンティティや生き方に抵触するようで、みんな自分の考え方や向き合い方を正当化しようと必死だ。

    もう一つ、特に日本語で書かれた多言語政策や英語関連の文献を読んでいて時々感じるのが、英語の支配に異議を唱える人の多くが、なぜかフランス語を中心としたもう一つの大言語を専攻していたり、ヨーロッパの専門家である事が多いという事である。

    この本の筆者も、相当なフランス文化・フランス語(を代表とする「伝統ある」ヨーロッパ)贔屓の方らしく、
    この本のタイトルである「英語を学べばバカになる」、というのは、「英語を学んでアメリカ風の考え方に染まっていくやつはバカだ」ということを言いたいのではないかと思えてくる。

    英語はアメリカ帝国の繁栄によって支えられているもので、そのアメリカはここ数十年の間には没落することは必死だから、今英語に盲従しても意味がない、ということだけでなく、アメリカの民主主義のあり方は平等と同質の混同であるとし、そういう「規格同調主義」はヨーロッパ的視点からみると耐え難い、とか、奇妙である、と断言している。


    英語を批判的に論じる中で、アメリカ型の民主主義をこてんぱんにやりこめ、一方でヨーロッパ型の民主主義のあり方を賛美していることが、英語の学びとどのような関係性があるのか?

    筆者の前提では、英語を学ぶことは「アメリカ社会に魅力を感じ」ているからで、英語公用語論は「アメリカという特殊世界のコミュニティー主義が国境をまたいで全域化すること」(p.136)としているが、果たしてこれは本当だろうか?アメリカ式のコミュニティー主義が世界標準であると考える事を批判したとしても、そのようなアメリカ的なものへの信仰をもとに英語を学んでいる人間が殆どだとは考えるのはあまりに安易だと思うのである。

    同時に、英語を「国際共通語や世界語」といった「特別な存在」だと考えてしまうことは、「英語が世界標準だ」と考えることに結びつき、「非常に危険である」、としているが(p.137)、彼はその世界基準がアメリカであるということをそもそもの根底で前提にしていて、そのアンチテーゼとしてヨーロッパ(特にフランス)でのあり方を述べるのだ。

    「国際共通語」や「世界語」、「世界標準」という概念の裏に常にアメリカを嗅ぎ取ってしまうのは、残念な言語の捉え方だ。「World Englishes」ではないが、世界にはアメリカやイギリスといった英語を第一言語や公用語として使っている国もあれば、そのような特定の国に属さない、国境を越えた国際語としての英語を創出しようとする動きもでてきており、実際にアメリカやイギリスという英語ネイティブ国家から離れたところで運用されている英語も世界中に出て来ている。インドやシンガポールといったアジアで英語を公用語のひとつにしている国のみならず、例えば高等教育機関における英語による国際化プログラムや、多国籍企業の社内など、国内の限られた場所に存在するが、多種多様な人々の集まる場所も数多く出現している。

    もちろんそのような場においても、アメリカ的志向やアメリカ社会への従属性を批判的に検証する姿勢は必要だが、英語=アメリカ社会の創出した世界水準と決定し前提に置いてしまう事は、あまりに時代遅れだと思うのである。

    近年になり、人々の国境を越えた移動が増加し、一つの国家に属さない様々なアイデンティティや言語状況を持った人々が多く生まれてくる中で、言語と国家の関係をどのように捉えるか、という問題は非常に大事な論点になっている。その中で、「英語を学ぶことは、真面目に取り組めば取り組むほど、アメリカの文化や社会の影響を受けることなのである」(p.141)ということは、あまりに暴論にすぎないかと思うし、かつ時代遅れである。

    個人的に、言語を学ぶ事で、新しい社会や文化へ世界が開ける、という事に関してはなんの異存もない。
    それが行き過ぎた「英語万能論」になって、英語を知る事がまるで世界を知る事のように語る言説にはうんざりするが、そういった英語万能論を語る人は、正直西洋コンプレックスを抱えた一定の年配層や、教育機会に恵まれない日本では特別なグループに属しているのみではないかと考えている。

    英語に一国集中すると「アメリカ発の情報ばかりを仕入れ」、「日本を救いがたくアメリカナイズし」(p.176)、そのアンチテーゼとして毎章必ずヨーロッパ社会や文化の対比を述べる姿勢には、これもまた西洋コンプレックスの一つの形のようで、英語万能論者と結局は同じようなスタンスに見えてしまうのは私だけだろうか。

  • この本を読んで、自分自身英語を学ぶことをやめよう、とは思わなかった。それでも英語は重要である、と思えたからだ。
     ただこの本は無意味だったのかといったらそうではない。むしろ、英語を学ぶにあたってこれは読んでおかなくてはいけない本である。 英語は絶対に重要だと妄信することは間違い、それは自分自身も思う。だからこの本を読んでも英語を学ぼう、そう思えた人だけ英語を学べばいい。

  • [ 内容 ]
    「アメリカ型のグローバル・スタンダード」だとか「グローバリゼーションの世界的標準化に対する備え」だとか「英語公用語論」だなどと言われれば、とにもかくにも英語を学ばなければ、この先の世の中で生きてゆくことはできないと感じてしまうかもしれない。今からでも英会話を始めなければ負け組になってしまうと心配になるかもしれない。
    あるいは、自分はもう無理でも、せめてわが子にだけは是が非でも英語を身につけさせてやりたいと願うかもしれない。
    しかし、あえて断定的に言おう。
    これらの主張や懸念は、どれも幻想である。
    妄想だとさえ言える。
    膨大な時間と大金をつぎ込んで英語を学ぶことにどれだけの意味があるのか、今一度、一人一人が冷静に考え直してみて欲しいと思うのである。

    [ 目次 ]
    第1章 英語をとりまく状況(英語で言えばエラい? 英語=世界標準には根拠がない ほか)
    第2章 英語支配の虚像(国際標準という“長い物” 「グローバル化」と「世界」と「英語」の混同 ほか)
    第3章 アメリカ妄想(「ソフト・パワー」は英語の支配力を維持するか 「アメリカ=民主主義国」は世界の共通見解ではない ほか)
    第4章 英語学習と言う徒労(なぜ日本人は英語ベタなのか 英語ができなければ、この先生きてゆけないのか ほか)
    第5章 グローバル化幻想(グローバル化のつもりが英語世界への「閉じこもり」 アメリカに反旗を翻しはじめたヨーロッパ ほか)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 12月8日~12月15日。
    『目にあまる英語バカ』(中途半端な感想http://cpbb.jugem.jp/?eid=224)に、この本が好意的に紹介されていて、こういう本を書く人が同感だと思うのはどんな本なんだろうと思い、読んでみた。ただ、『目にあまる英語バカ』自体は1年ぐらい前に読んだため、日本はいい国だよみたいなことを嫌な感じに言っていたという印象はあるが、もはやうる覚え。本書を読んで、おじさんは、強者をくさすような週刊誌的切り口が好きだなあとは思った。
    内容は、英語を学ぶとなぜバカになるのかというのは二の次で、英語公用語論(というか船橋洋一)に対する反論らしかった。反射的に、英語公用語論(というか船橋洋一)の言っていることを否定してみせているだけのように見えた。ただ、英語公用語論自体を知らないせいか、理解できないところがあった。
    船橋洋一の書いた『あえて英語公用語論』は2001年に出た本で、なぜ2005年になってこの本を出したのか疑問だ。刊行時に読めばまた違ったかもしれないが、今読むと、時代錯誤の感がある。著者にとって世界といえば欧米で、そのほかの国はおまけ、もしくは、状況に応じて必要なときに出てくるだけの存在のようだが、グローバル化して、すべての国が同じ視野に入ってくるようになった。この感覚が著者にはないようだった。

  • めっちゃ鋭い。英語熱への懸念は私も感じていたので、なぜ英語が出来るようになりたいのかを再考したほうがいい。語学習得の道のりを歩くより、日本をよく知ることで真のグローバルな人間になれる。

  • 世間に喧嘩を売ってるようなタイトルですが、
    中身は至極真面目に客観的・論理的に語っており、
    なるほどと思う点も多々見受けられた。
    目から鱗の1冊。

    〈目 次〉
    第1章 英語をとりまく状況
    英語で言えばエラい?/英語=世界標準には根拠がない/国連の公用語/「英語は世界の共通語」は日本の常識?/世界人口の八割以上は英語と無縁 ほか

    第2章 英語支配の虚像
    「グローバル化」と「世界」と「英語」の混同/消えゆく第二外国語と言語的視野狭窄/不自由な英語強制社会/戦前はドイツだった/日本人の勘違い/勘違いがもたらす悲劇/世界各地で嫌われる勘違いした日本人/着々と進むアメリカ離れ ほか

    第3章 アメリカ妄想
    「アメリカ=民主主義国」は世界の共通見解ではない/ヨーロッパ人には耐えがたい規格同調主義/誰でも意見を出し合えば「中身」が生まれるのか/アメリカが訴訟社会である理由/アメリカ型民主主義が反共産主義とイラク戦争を生んだ ほか

    第4章 英語学習という徒労
    なぜ日本人は英語ベタなのか/英語ができなければ、この先生きてゆけないのか/英語が苦手でも発展を遂げてきた/「英語ができれば何とかなる」幻想/英語を勉強するのは効率が悪い/アメリカ人もできないTOEFL ほか

    第5章 グローバル化幻想
    グローバル化のつもりが英語世界への「閉じこもり」/アメリカに反旗を翻しはじめたヨーロッパ/ヨーロッパもまたアメリカの犠牲者だという自覚/アラブ諸国で高まるフランス語学習熱/「贋エリート」/多文化共生主義/異文化が存在しなくなる世の中 ほか

    おわりに

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著者プロフィール

1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程中退(教育社会学)。京都大学教育学部助手を経て現在帝塚山学院大学教授(社会学)。主な専攻分野は、社会学理論、現代社会論、民主主義研究。主な著書に『禁断の思考:社会学という非常識な世界』(八千代出版)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、『社会主義の誤解を解く』『日本語の宿命』『日本とフランス 二つの民主主義』(以上、光文社新書)、『政治家・橋下徹に成果なし。』(牧野出版)、『ブラック・デモクラシー』(共著、晶文社)など。

「2017年 『「文明の衝突」はなぜ起きたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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