「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334033439

感想・レビュー・書評

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  • ビジネス書に慣れてしまうと、とても読みづらい一冊。
    大学時代に受けた「社会学総論二」を思い出した。
    この講義もフィールドワークを専門にしていた先生のものだった。
    書かれていることはむしろ興味がある内容なのに、なぜ読みづらいのか。フィールドワークの世界は対象に一体化することが求められる。
    しかし、それを外の人に伝える時はスイッチを替えねばならない。
    本書は、著者の思いを「好きに語ったもの」だそうだ。ならばよい。
    ただ、社会学(フィールドワーク)が、専門外の人に広く理解されないのは、このスイッチの切り替えが出来ていない点にあるのではないかと感じた。

  • 質問するとき、仕方によっては、失礼にもなるし、こたえを誘導することにもなる。
    日常生活でもそうだが、相手が本当に考えいることはなにかを聞きたいときには、質問の仕方やその前後の雰囲気づくりなどに注意を払わなければいけないなーと思った。

    「普通ではないことだって、いいじゃないか」と思うことがある。だが、裏を返せばこれは、自分が"普通"を気にしているから感じることなのかもしれないとギクリとした、、。

  • 本書は社会学での調査において質的に調べるために基本であり大切だと著者が考えた事を述べたもの。

    「質的に」というのは、数字だけでは説明できない現実を調べるために生きた答えを得ること。

    「住みやすいですか」という質問に対して、5段階評価でAさんは4点とし、Bさんは2点とした場合、2人のデータを単純に比較することはできない。
    なぜなら「住みやすさ」の基準がAさんとBさんで同じかどうか分からないから。

    このようなケースの場合、インタビューなどの人との対話が必要になるのだが、その際、著者が大切にしていることを述べている。

    社会学そのものに興味を持っていたわけではないが、
    「あたりまえを疑う」
    「”普通であること”に居直らない」
    といった点が気になったので、この本を手に取った。

    「普通」という言葉は、ついつい使ってしまうものではあるが、よくよく考えてみると、この「普通」には特に定義があるわけでない。

    厳密に言うなら「その他いろいろ」でしかない。
    少人数の集団が、世間一般からは「A」というカテゴリーで呼ばれていた、とすると「普通」というのは「A以外」の人々、という事でしかない。
    「A」は明確に定義されるが、「A以外」は「A」と線引きをしているだけで、特に定義されているわけではない。
    しかも「A」というカテゴリーが適切かどうか、という問題もあったりする。

    カテゴリー分けは便利で、強力だが一歩間違えると「先入観」「決め付け」となってしまう。
    なんでもかんでも疑うと疲れてしまうが、自分にとって大切な事に関しては、基本的なところから疑ってかかった方がいいかもしれない。

  • 社会学の質的調査について書かれた読みもの。
    調査だけではなく、考え方等参考になる点がある。
    この書を読んだ後は、実際にエスノグラフィーを読むべき。

  • 社会学のフィールドワーク(実地調査)がテーマの本。
    フィールドワークなどは、表面的な調査が多いのかと思っていたが、こんなに突っ込んで奥深くまで調査をしている研究者がいるのは驚きだった。
    著者の想いも強く、文章にも迫力がある。読み物としても面白いと思う。

  • まずはあとがきを読みましょう。これまであまり実践することはなかったのだけど今回は痛感。著者が「読んでほしい人」が記載されています。これに当てはまらない人は、第一章と第七章だけを読みましょう。第二章~第六章は実際のフィールドワークについて語られているので、そういう調査をしない人には面白くありません。■世の中に「普通」なんて無くて、調査する本人も含めて皆どこか何か偏っているんだよ、という話。

  • 社会学とは何なのかが分かる内容でした。

    前半は、
    社会の様々な問題や疑問に対する調査におけるフィールドワークの心得を細かく指摘してくれていました。

    調査対象から、生きた情報を得るためには、その対象を取り巻く環境から理解したり、その環境に入り込んだり、その対象自体になったりと泥臭く対象と付き合っていく事の大切さが語られていました。


    後半は、私達の目の前にある「当たり前」や「普通」に対する私達の意識の持ち方などが書かれていました。

    日常生活で、無意識的に様々なものをカテゴリー化している私達は、
    その当たり前の前で少し立ち止まって、その当たり前の裏側にあるものを想像してみる事をしていく必要があるのでは、と感じました。

  • 社会学を研究する上で必要なフィールド・ワークについて語られている。
    質的調査をする時には「あたりまえ」や「普通」という固定観念や先入観を持たずに相手に向かい合うべきである。

  • 大学院の時、ある後輩が「エスノメソドロジーに最近取り組んでるんです」と言ったことがある。エスニシティ(民族)と関係あるのかとたずねると、「いやいやそうではない」という。じゃあ何かときくと、インタビューを記録して分析するのだという。さらには、「語りが大切なんですよ」とか「話し手と聞き手の関係構築なんですよ」とか、全貌がまったく理解できない説明をされた思い出がある。その「エスノメソドロジー」の中心となる方法論をベースに、様々な研究成果を紹介したのが本書。広く行われている社会調査のような通り一遍のアンケート調査(量的調査)などでは決して浮かび上がってこない出来事(特にマージナル(周辺的)な分野)に着目し、じっくりと相手の語りに耳を傾け、さらには相手の生活領域に自らが入り込んで生活をともにするといった極端な方法をも取りながら、様々な社会に生きている人々の有り様を理解しようとする学問が世の中にはあるのだということが分かる。ノンフィクションや文学に近いと思ったが、これは別にこの分野をけなしているのではなく、評価して言っているつもり。

    ただ、この本で取り上げられている被差別部落とか旅芸人とかホモセクシャルとかのマイノリティの声をすくい上げることが、エスノメソドロジーだと考えると、誤解を招く。そういう事例に対する寄り添い方、向き合い方が肝心なのだ。本書のタイトルの「あたりまえを疑う」という姿勢こそにエスノメソドロジーの本質があるのだろう。もちろん、条件反射的にすべて「あたり前を疑う」ようになってしまえば、エスノメソドロジーからはもっとも遠く離れた教条主義的な考え方になることは言うまでもない。

    エスノメソドロジーを僕は専門的に勉強したわけではないし、ほぼ無関係の分野を勉強してきたといってもよい。しかし、この本は読む箇所がいちいち腑に落ちた。その理由は、自分の個人的な経験と結びつく。5年前に今の地方の大学に就職して、すぐさま僕が持っていた地方私大学生のイメージはことごとく崩されたという経験がある。学生に質問すればするほど、予想もしない答えが学生から返ってくる。想像以上に学生は自分の世界を持っている。それ以降、教員の仕事の一つは、学生のそういう部分に刺激を与え、伸ばすことにあると思ったのだ。そこで、大学では、狭い学問分野の一過性でしかない知識を与えることよりも、学生に語らせる機会を持つこと、学生の語りに耳を傾けることを大切にしてきた。だから、この本を読んだ時に、エスノメソドロジーとは、自分がこれまで学生に対してやってきたことなんだなと思ったのである。

    さらに、この本を読んで、エスノメソドロジーとは、自分がやるだけでなく、その方法を学生に教える意味があると感じた。相手の語りに耳を傾け、そこから何かを発見する。相手と信頼関係を構築し、語りを引き出していくうちに、自分が気づいていなかったことに気づく。結局は自分の認識が変わったことに気づく。「本当に知ること」とはこういうことでしょう。社会の中できちんと人間関係をつくっていく時の基本姿勢ってこういうことでしょう。じゃあ、教育現場で、学生にこういうことを考えさせるプログラムを作りましょう、ということで、今度やる予定の講義では、この本に書かれていることをかなり参考にするつもり。タイミング的に凄く役に立った一冊でした。学生も必読。

著者プロフィール

日本大学文理学部社会学科教授

「2023年 『新社会学研究 2023年 第8号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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