バカ丁寧化する日本語 (光文社新書 415)

著者 :
  • 光文社
3.46
  • (12)
  • (14)
  • (22)
  • (11)
  • (0)
本棚登録 : 215
感想 : 31
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035198

作品紹介・あらすじ

「〜させていただく」という言葉に象徴されるように、現在、日本語の丁寧化という波が押し寄せている。丁寧化はなぜ進んだのか。時代や社会の動きとともに変化する日本語は、これからどう変化するのか。日本語教師として、外国人の日本語学習者に、日本の大学生に日々接する著者が、敬語を中心とした"おかしな日本語"に着目し、日本語の本来の使い方、そして私たちのコミュニケーションのあり方を考える。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『かなり気がかりな日本語』が有名な野口恵子さんの本、が、なぜか古い本置き場から出て来た。

    仕事で必要があって買ったのか、母に借りたものなのか判然としないのだけど、敬語について思い当たる節があったので改めて読んでみた。

    さて、まず「させていただく」の多用から。
    「お訴えさせていただく」に疑問を呈しながら、なんにでも「させていただく」を使うことを挙げる。
    胸が痛い。
    けれど、確かに他の使い方はないのか、もっとシンプルな言い方は出来ないかを考えると、させていただく回数は減るなあと感心した。

    続いて、「様」と「さん」(そして「方」)の使用例や、距離感も面白い。
    大体、どこのお店も最近は「様」付けで呼ばれることが多いけど、昔はそうではなかったらしい。
    今は、まず病院は「さん」だなあ。
    お客様というより、患者さん、だからなのかな。
    美容院も慣れると「さん」に変わる。
    これは、距離感だよね。
    町の八百屋さんとかお魚屋さんなんかも、「さん」って感じがするなあ。

    それから、「〜してもらってもいいですか」は、相手に尋ねながら、ある種の紛らわしさや断らせない傲慢さを含んでいたと筆者は言う。
    許可を取るという形にしなければ、相手にものを頼めなくなったということだ、と書かれていて、なるほどと思う。
    少なくとも違和感のある使用例だということか。

    敬語が距離感を表すとすると、例えば目上の方々に敬語を使わない若者たちは、一種の親しさをそこに込めているのだとも言える。
    タレントで、大御所に向かって溌剌とタメ口で話しかけられるのも、無知だけでなく、度胸試しみたいな部分はきっとある。

    そういう、ある種の演劇を見ている分には笑って済ませられるけれど、やっぱり現実世界で、距離をズカズカ踏み込まれる方はたまったものではない。
    敬語は、想像力でありコミュニケーションだ、と結んでいるけれど、当然そうで、使う側が想像出来なければならない。

    とは言え、正しい敬語をと思いすぎると、過剰になってしまったり、口がモニャモニャする。
    んー。まだまだ、練習不足である。
    美しい言葉は、シンプルだ。
    サラリと気持ちを現わせるような、そんな言葉の選び方が出来るようになりたいなあ。

  • 同じことを何度も繰り返しクダクダしく説明しすぎている。また、悪文の例示をしながら何がどう駄目なのかの解説がない。妙なところで端折っている。平板な文章がダラダラ続き、読み通すのに相当な忍苦を強いられた。

  • みんなが、間違えながら使いながら習得していくものなんだろうね。それにはやはり身近なお手本がないと。
    子供たちのためにも、大人が自然に敬語を使いあう生活をしていきたい。

  • 日本語教師による、敬語を中心とした「おかしな日本語」とコミュニケーションについての考察。

    「〜させていただく」という言葉、自分でも結構使っている気がする。しかし、その言葉の意味をきちんと考えたことはなかった。「さ入れ言葉」は自分ではあまり使っておらず、人の「さ入れ言葉」には違和感を感じていたが、その理由まで考えたことはなかった。正しい敬語を使うためには、きちんと意味を理解することが重要だと感じた。

    敬語については、学生のときに国語の授業で多少教わるが、実際に使う機会はそれほど多くはない。それ以上に聞く機会は少ない。こうした中では、影響力があるところで使われた誤った敬語が蔓延してしまうことは避けられないだろう。誤った敬語が蔓延すると、それを使わないことの方が、礼を失していることになりかねない。

    この本は、こうした日常何気なく使っている言葉にさまざまな〈気づき〉を与えてくれ、なんとなく感じている違和感を解説してくれる。敬語という形に捉われることなく、コミュニケーションの問題として取り扱っていることろが、本質を突いている。面白い。

  • 自分の言葉遣いを意識すると同時に、人の言葉遣いまで気になりだしてしまった。

  • 途中から中弛み

  • 言葉は時代とともに変わり、いずれ誤用は誤用でなくなるものとしながらも、著者は現代日本語の過剰敬語には反対派の立場をとる。特に話し言葉のお手本たるべきアナウンサー職には厳しい。理屈や文法で使うのではなく、耳からはいった用法を真似ることで言葉が浸透するとすれば、誤用も同じパターンで広がるからだ。(しかし、実際にアナウンサーが喋っているのは何割だろう?タレントや芸人の発言量が圧倒的に多い気がする)。個人的には、耳や目から入った言い回しを、本来の意図や語義をちゃんと考えずに使う(一種のコピペ)が、問題だとも思うが、実際問題として正確な敬語は非常に難しい。最低でも自分と相手の二者間の関係性に、丁寧・尊敬・謙譲の気持ちを織り込む必要がある。さらに、第三者・第四者?をが登場する文脈(課長と係長が、その場にいない社長と取引先の話をする場合)なんかで、上下関係や身内かどうかを正確に把握して文章に反映しなければならないのが日本語の敬語なのだ。共感したり反駁したり、いろいろ考えさせられた一冊だけど、最後のほうのまとめ章はあまり面白くない。オジサン・オバサンが苦言する、イマドキ・コミュニケーション論のありがちな内容で締めている。

  • タイトル通りの内容で、目新しさは無かった。

  • ちょっと読んだが、興味対象外。かなり本格的な気がした。

  • 解説がまじめすぎて、説明内容がバカ丁寧化していました。
    堅苦しくない内容にしてもらえると、楽しく読めたと思います。

全31件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

日本大学法学部准教授。論文「漂流する「女歌」—大伴坂上郎女論のために—」(『天平万葉論』翰林書房・2003)、「記紀歌謡と万葉集を読む」(『日本古典文学』弘文堂・2015)など。

「2016年 『おかしいぞ! 国語教科書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

野口恵子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×