- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334035204
作品紹介・あらすじ
ニセ教育論ばかりが、なぜもてはやされるのか?理想に燃える教育論は、どこでつまずいてしまうのか?本書は齋藤孝、陰山英男、「ヤンキー先生」、「文部省のスポークスマン」、ワタミ社長の各氏をはじめとする"カリスマ教育者"たちの議論を検証しながら、教育問題の正しい考え方を示していく。著者は教員歴40年のベテランで、「プロ教師の会」代表。メディアで活躍する教育論者の中では、現場を熟知する貴重な存在である。
感想・レビュー・書評
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そこそこ面白かった。揚げ足取りな感じもするけど。
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齋藤孝、苅屋剛彦、隂山英男、内田樹、義家弘介、寺脇研、渡邉美樹諸氏の教育論を一つ一つ批判的に検証し、教育観の齟齬や誤解を解きほぐして行く誠ある著と言ってよい。啓蒙としての教育と文化としての教育という概念や、近代前期と高度消費社会を達成した近代後期に於ける教育状況の変化をとらえていることも正しい視点である。現場での教育、そして各教育論の考察と思索はやがて、「近代」は如何なる人間を理想とするのかという問いかけに行き着く。それでも著者は、現場の教師として「啓蒙」を説く。著者はそのことを「人類史的な哀しみ」という言葉で呟いた。その一語が本書の価値の一切であろう。
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ずっと教育現場にいた著者の、とてもとてもリアルな教育論。理想で語られがちの教育に、ある意味冷めた意見を突きつける。諏訪さん、こんなおもしろかったっけ。
いろんな論者のことを俎上にのせるのはいいけど、ちょっと読み方が恣意的だと感じる部分もありやけど、著者が「啓蒙としての教育」を重要視しているのは、たしかに、と思わされる。
「啓蒙としての教育」「文化としての教育」「真理としての教育」か。なるほど。 -
元高校教員(プロ教師の会代表)である著者が、5人の教育論者の考えと対峙している。
さすがに現場経験が長いだけあって、「啓蒙」としての教育の大切さが強い説得力を持って納得させられた。はっきりと意識したことは無いが、教育を考える時にこの点は忘れてはならないことがよく分かった。
5人の教育論を攻撃しているスタンスの様にも見えるが、実はこの中でも著者は本当は肯定している人も居る様に感じる。(根本から否定されている人も居るが)
そう言う意味では、帯の「小林よしのり推薦」(彼らこそ日本を貶めた5人の教育家だ!)というのは無い方が良いと個人的には思う。これでマイナスイメージ先入観を持ってしまうと、著者の真意が伝わらない気がする。 -
筆者のこれまでの主張を「啓蒙としての教育」として再構成している。具体的にどうすればいいかという臨床面ではなく、病理面の研究だと思った。
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齋藤孝、陰山英男、内田樹、苅谷剛彦、西研、義家弘介、寺脇研、渡邉美樹 といった人たちを著者流に分析し論の矛盾などを指摘している。
個人的には、それぞれの人たちの述べていることの正誤よりも、苅谷剛彦氏の項を読むことで復習できたことが収穫だった。 -
よく見たり聞いたりする教育論に対して批判をしている一冊。鋭い指摘もあるが書き方に癖があるので嫌いな人は嫌いかも。
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辛辣。自分はどんなスタンスで「教育」に臨んでいるだらふ。マッチョになりすぎず、よわっちくなりすぎず、ファイツしたい。
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「『見えない』『聞こえない』『表現できない』症候群」と筆者がいうようなタイプの子どもは、うちの教室にも結構いる。筆者はそんな子たちが外部を受け入れ「学び」に向かうよう「社会化」していくことを「『啓蒙』の教育」と呼んで、その大切さを訴えている。
それはいいのだけど、そのあとの本書の大部分では、教育に関してのあらゆる人たちの意見を取りあげては、あげ足取りとも思えるぐらいの批評(というか、批判)が展開されていて(というのも、ほとんどこの「『啓蒙』」の教育」に対する視点が欠けている、という指摘)、正直ちょっと疲れる。批評(批判)することがこの本の趣旨なんだろうから仕方がないけど。
筆者のいう「『啓蒙』の教育」は、確かにとても大切だと思う。彼がそれについて具体的に語っている本はあるのかな?あれば読んでみたいと思う。