違和感から始まる社会学 日常性のフィールドワークへの招待 (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
3.23
  • (2)
  • (12)
  • (23)
  • (6)
  • (0)
本棚登録 : 283
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037932

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 

    社会学というジャンルに興味を持ち、読んでみた本。
    筆者の問題意識はこのように語られている。
    私が問題としたいのは、
    ①「生きる」意味をつきつめる必要のない「日常」を、私たちは普段、どのように生きているのだろうか、
    ②そのように「日常」を生きること自体がどういう営みなのだろうか、
    ③私たちが「日常」にどのようなまなざしを向ければ、よりおもしろく生きることができるのだろうか、ということなのである。 23p

    入院患者は、なぜ家に帰りたいのか?という問いに対して、ロールモデルのDrの一人である藤沼泰樹先生がこのような方をおっしゃっていた。(うろ覚えだが)
    「家に帰りたいのに理由なんていらない。家で過ごすのが、その人の日常だからだ。」


    「自分はなぜ生きるのか?」「生きることに意味はあるのか?」
    などと哲学的に問うと、大抵袋小路にハマってしまう。

    それよりも、
    「自分が生きている”日常”はどのように成り立っているのか?」
    と目を向けることは、贈与論的にも有用な視点なように思う。
    https://bc-liber.com/blogs/06c097ec60c3
    signに気づき、signを出そう:「世界は贈与でできている...

    こば
    09/11 14:16
    
    日常とは、サッカーボールの上に乗った卵のように不安定なつり合いであり、危ういバランスの上に成り立っている。

    そのことを改めて考えるきっかけとなった本でした。


    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    (以下、メモ)

    シュッツの日常生活世界論
    「いま、ここ」が至高の現実として最も重要。その構成要素を考える。

    ■先人たちの世界
    いま、ここに至るまでの先人たちの蓄積。
    硬直した解釈よりも、多様な解釈の可能性に開かれるべき。

    ■彼らの世界
    現在は、直接的な現前の世界から「彼らの世界」までグラデーションになっている。
    同じ現在でも、より出会う頻度が少なかったり、関係性が薄かったり、より匿名的な人たち。

    ■同時代人の世界
    自分が死ぬまでに一度も会うことのない、その意味でまったく匿名的な存在が生きている世界。
    「彼らの世界」や「同時代人の世界」を理解しようとするとき、私たちは「類型的な知」を用いる。

    ■未来を生きるであろう人びとの世界
    まだ生まれていない世代や、子ども世代。

    「あたりまえ」の執拗さと恣意性
    たとえば、大学生に、家で下宿人のようにふるまうように指示を出す。
    出された食事を大げさにほめ、低姿勢でおかわりを要求する。
    親は普段と違う子どもの様子に困惑し、具合でも悪いのかと心配するが、大学の課題なのだと説明すると、「そんなくだらないことやっているのか。さっさと食べなさい」と返す。そうして、ほんのわずかな間攪乱された食卓の「日常」が一気に回復し、家族の「あたりまえ」が維持されていく。

    このように、何気ない食事の光景であっても、普段の学生自身のふるまい・親のふるまいなど、「あたりまえ」を維持するための方法的実践によってつくりあげられている。
    強固になった「あたりまえ」は、つねに反復されていることが気づかれないほどに安定し、執拗な現実として私たちの「日常」を構成していくのである。 82p

    一方で、「あたりまえ」を維持している秩序は、常にその意味が変容する可能性を持った恣意的な現象でもある。

    私は新幹線通勤をしている。大抵朝は空いていて前後左右の席がガラガラなことも多い。同じ時間にいつも乗っている「乗客仲間」は、お互い距離をとって座っている。
    ところが、時にそうでない乗客が乗ってくることがある。
    あるとき、私が2Aに座っていたら、後から乗ってきた人が2Cに座ったのだ。ほかはガラガラなのにである。
    
    自分のパーソナルスペースを害されたような気分になって、結局私の方が移動した。
    その方は急いでいる雰囲気だったので、出口に近い席に適当に座ったのだろうと想像するが、「もう少し周りに配慮できないものか」と思ってしまった。

    「新幹線車内では他人とはできるだけ距離をとって座る」というのが私にとっては「あたりまえ」だったが、それは少しも普遍的ではなく、その方にとっては「あたりまえ」ではない恣意的な現象だったといえるかもしれない。

  • 人間は意味を生きる存在。
    日常(いま、ここ)
    日常に従順か、違和感をもつか

  • 違和感について書かれている。あまり刺さらず…

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/685459

  • だれかの「生きづらさ」に目を向ける40冊

    所蔵状況の確認はこちらから↓
    https://libopac.akibi.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2001010248

  • ・いまひとつまとまり感がなかった。
    ・「いま・ここ」
    ・電車でスマホしかみない客たち
    ・「当たり前」を疑う
    ・リア充

  • 社会


  • 実際にやってみると、違和感見つけるのってかなり難しい

  • 社会学における「フィールドワーク」の位置づけを学ぶことができる。できる限り自分を「あけておく」という表現が興味深い。

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

日本大学文理学部社会学科教授

「2023年 『新社会学研究 2023年 第8号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

好井裕明の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×