「%」が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥 (光文社新書)
- 光文社 (2019年4月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334044077
感想・レビュー・書評
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芳沢光雄(よしざわみつお)
1953年東京都生まれ。東京理科大学理学部教授(理学研究科教授)などを経て、現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授(同志社大学理工学部数理システム学科講師を兼務)。理学博士。専門は数学・数学教育。国家公務員採用I種試験専門委員(判断・数的推理分野)、日本数学会評議員、日本数学教育学会理事などを歴任。著書に『論理的に考え、書く力』(光文社新書)、『新体系・高校数学の教科書(上・下)』『新体系・中学数学の教科書(上・下)』(以上、ブルーバックス<講談社>)、『算数が好きになる本』(講談社)、『ビジネス数学入門<第2版>』(日経文庫)などがある。
そして数年前から、私はリベラルアーツの視点に立った授業やゼミナールを通して、主に数学を苦手とする学生を対象として、「速さや比と割合の問題」に関する調査を行った。それらの問題で誤答を書き、さらに「は・じ・き」や「く・も・わ」の図を描いた学生たちに、それらを学んだ時期や状況を細かく尋ねた。
私はここで声を大にして訴えたい。数学は一歩ずつプロセスを大切にする教科であり、答えを当てる教科ではない。そのような教科だからこそ、数学を通しての結論は世界中の人々に信頼されている。およそ社会、人文、自然科学の全分野の様々な問題は数学の言葉にモデル化され、数学の世界で得られた結果はそれぞれの分野で尊重され用いられている。これはAIの時代になっても変わることはない。それが、AIの時代になっても数学は大切だと言われているゆえんである。
要するに、数学は「やり方」を覚えて真似をするだけの暗記教科になり下がっているのであり、そのようになった原因を改めなくてはならないのだ。
さて、数学はいくつかの公理系からなる世界で「何が成り立ち、何が成り立たないか」を厳密に証明する学問であり、プロセスをとくに重視する。答えだけ当てればよいマークシート式問題は、真の数学力を育んだり測ったりすることとは無縁である。
文系・理系合わせて延べ約1万5000人の大学生の数学の授業を持ち、また数学科教員時代ばかりでなく現在のリベラルアーツ学群の教員時代を含めて、多くのゼミナール生を受け持ってきたが、前述のように数学に対する憧れを抱いて入学した学生は少なくない。特に次の方々は、一生忘れることができないだろう。 ・カルトから離れて興味をもったものが数学、とくに集合論だった人。 ・1回しかない人生で数学を学ぶラストチャンスとして、 60 歳で決意して会社社長を辞めて数学科に入学した人。 ・いい加減なことを発言し続けるホスト人生に決別し、黒服を着たまま数学科に入学した人。 ・海外で訓練を受けて 10 代から本物の飛行機の操縦ができ、パイロットか数学かの進路で迷ったまま現在のゼミナールに飛び込んできた女子。
ここで、私自身が数学を深く学んでみたいと思った動機を述べよう。一つは、縦書きの掛け算の仕組みが分かったことにある。要点は、 10 の位になると1コマ分左にずらして、100の位になると2コマ分左にずらして、……と書いていく仕組みである。
数学の本質はその自由性にある」と述べた。世の中は〝常識〟という言葉を用いて規則より強く規制することが多いが、数学の世界ではそのようなことはない。 奇想天外な発想から画期的な成果を生んだ例は数限りなくある。余談だが、世間では「数学者には風変わりな人が多い」とよく言われるのも、それと関係しているからだろう。
ここで、旅に関する例え話を一つ挙げよう。いわゆるパック旅行というものもあれば、「青春 18 きっぷ」を使って時刻表を片手に自由気ままな旅もある。後者の方は各駅停車でゆっくり旅をするだけに、思いがけない発見もある。 数学の世界において「規則を守っている限りにおいては自由である」という意味は、「青春 18 きっぷ」を使っての自由気ままな旅だと想像すると分かりやすいだろう。 もっとも、数学の学びにおいては、「青春 18 きっぷ」を使っての旅とは異なる重要なことが隠されている。それは、与えられた世界の規則を十分に使いこなしているか、という〝自問〟である。 たとえば、角度を求める図形の問題で与えられている条件をうっかり忘れ、いつまで経っても解けない思いをした経験は誰もが1回ぐらいはあるだろう。これが、「規則を十分に使いこなす」という意味である。実は、もっと見えない部分にあって規則から導かれるものに、意外と問題解決の鍵となるものがある。ここでは、そのような例を2つ紹介しよう。
さらに私は学生に対して、「問題を解くための手はどこかにある」という諦めない心が、数学に限らず人生全般にわたって大切であることを強調して発言している。これは桜美林学園創立者の清水安三『石ころの生涯』(キリスト新聞社) でも強調して述べられているばかりでなく、私自身が学んだ数学の先生方の姿勢からも学んだことである。
オーストリア=ハンガリー帝国生まれの数学者ジョージ・ポリアの『いかにして問題をとくか』(丸善出版) は、アメリカで1954年に出版された後に 17 の言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。その中の「無意識の仕事」という節に次の一文がある。 しばしば問題がどうしても解けないで、いくら努力しても何もえられない。しかし一晩休んだあとで、または幾日かたったあとで、すばらしい考えが浮んできてすぐに解けてしまう。このようなことは問題の種類が何であっても同じことである。(中略) これらの現象は無意識の仕事と考えられる。大切なのは長い間中断したあとで、それを考えるのをやめたときよりもいっそう解答に近く、はっきりと意識のうちに蘇ってくるということである。誰がそれを解明し、解答へと近づけたか。いうまでもなく無意識に働いていた自分自身にほかならない。
オーストリア=ハンガリー帝国生まれの数学者ジョージ・ポリアの『いかにして問題をとくか』(丸善出版) は、アメリカで1954年に出版された後に 17 の言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。その中の「無意識の仕事」という節に次の一文がある。
また、ポリアから多くの影響を受けた認知心理学者ウェイン・A・ウィケルグレンの『問題をどう解くか』(ちくま学芸文庫) の中で、「あたため」という節に次の一文がある。 人の精神というものは、長いあたための期間全体を通じて、無意識的に問題を考え続けているということである。意識的な問題解決が失敗したときに、無意識的な精神がその問題を長く考えたためか、または無意識的な問題解決によって特殊なあるものが加えられたかによって、問題はこのようにして解決…
実際、その指摘に呼応するかのように、この1年の間にも、日本の数学を取り巻く環境に大きな変化がいろいろ起こっている。特に次の3点に関してはインパクトがあるものと考えている。 一つ目は、早稲田大学が2021年度入学者からの入試制度改革を発表し、その中で政治経済学部が一般入試で初めて数学を必須科目とすること。これは、それまでの「私大文系では、数学は〝選択〟」という日本固有の常識を覆した点で特に注目されている。 二つ目は、米国が2011年に、オバマ前大統領が一般教書演説の中でSTEM教育(Science, Technology, Engineering, Mathematics) を優先課題と位置付けることを発表し、さらに2013年に同大統領はSTEM教育を重要な国家戦略(年 30 億ドル) とすることも発表した流れを受け、経済産業省も同じ方向の提言を立て続けに発表したこと。 三つ目は、経団連の会長が2018年 10 月 30 日に記者会見し、新卒採用で重視する項目について「必要最低限の語学と異文化を理解する力は理系・文系問わずに持ってもらわないと困る。少なくとも数学的な最低限の素養は文理共通だ」と述べ、さらに経団連は 12 月4日、大学教育改革に向け、経済のデジタル化やグローバル化が加速するなか、文系と理系の枠を超えてビッグデータや人工知能(AI) を使いこなしたり、リベラルアーツ(教養) を身に付けたりする重要性を強調し、「情報科学や数学、歴史、哲学などの基礎科目を全学生の必修科目とする」ことを提案したことである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
OPACへのリンク:https://op.lib.kobe-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2002313217【推薦コメント:「〇〇割引」などの意味や計算を正しく理解できているか問うている本。私はタイトルにあるような大学生になっていないか不安になったので読みたくなった。】
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結果も大事だけど、プロセスもそれ以上に大事。
何にでも言えることだなぁ〜と思った。
数学苦手だから読んでて難しかったな...... -
やり方ではなく、きちんと内容を理解することやプロセスを大切にすることが大事。日本の数学教育のあり方について書かれているが、およそ当たり前のことだと思う。いざ、教育現場に理解度別の授業をしてほしいと言ったとしても不可能に近いとおもう。予算的にも。国に訴えかける書籍だな。
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カテゴリ、論文?
速さ、時間、距離の関係を図にしたハジキや、
(編集途中) -
<目次>
まえがき
第1章 深刻な問題
第2章 見直し力をチェックする
第3章 数学マークシート式問題
第4章 数学は「心」が大切
第5章 算数・数学は皆が大切にしたい教科である
第6章 算数・数学は個人差に合わせた教育を!
<内容>
「は・じ・き」「く・も・わ」という呪文のような解き方(は=速さ・じ=時間・き=距離)(く=比べられる量・も=元にする量・わ=割合)をただ当てはめれば、最低限の問題を機械的に解ける(小学校の算数)。これが小学校の算数教育の問題だと著者は言う。最後まで読むと、かなりヤバいことがわかる。全体的に、算数・数学は考える過程が大切な科目で、時間がかかるし、個人差がある科目であるのに、原理・原則を理解させずに、「暗記科目」化させているから、こうなっている、という。いわゆる「論理的思考」は、この考える過程から生まれるわけで、文科省は「効率」重視の今までの教育(算数・数学に限らず)方針を改めるべきだろう。「思考力・判断力・協動力」の前に、きちんとした学力だろう… -
東2法経図・6F開架:B1/10/1000/K
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至極普通の主張。こういうこと言わなければならないのが今という時代なのだとしたら、やばいやな、とは思う。AI時代云々は措くとして、やはり基礎とか基本ってのは、ゆっくり、時間がかかるものなのだよなあ。あ、あと問題とかも載ってて面白い。