「銀河鉄道の夜」再読からの連なりで手にした。(ちょうど、職場の先輩が貸してくれた。)
たしかに「銀河鉄道の夜」には、ファンタジーとか幻想的な心象風景などの一語では片付けにくい、不可思議な表現やワードがよく出てくる。天気輪とか、三角標とか。わたしは、コロラド高原や、鳥を捕る人はどういう事象なのかな…と思っていた。そういう「銀河鉄道の夜、独特のワード」や表現を、天文学者である筆者が、最新の宇宙科学の知見でもって解釈を試みる。
読み始めてまもなくは、アカデミズム・科学畑出身の筆者らしく、論文のような構成や、論の展開、筆致を感じ、ちょっと堅いかも…と思った。だが、読み進めるうちに、そういう堅実で徹底した論証に、ある小気味よさを感じ始め、心地よくも感じ始めるのであった。
賢治が、「銀河鉄道の夜」を書き始めたのは1924年頃。当時の宇宙論はどういうものだったのか。海外の最新の学術書が日本国内に翻訳されたものは、いつ、どういう書籍があったのか。賢治は、それらの宇宙論の学術書を手にし、読んだ可能性はどのくらいあるのか? ということも検証してゆく。そういえばたしかに興味深い視点である。
そして、そもそも「銀河」という語すら、当時はまだ市井に流布した言葉ではなかったことが明らかになる。緻密に調べていて興味深い。その章だけでも、論文のような価値がある。賢治はブルジョア階級だったので、希少で高価な書籍であっても、上京の際に購入したり、取り寄せたり出来たようだ。
同時に本書では、銀河系宇宙についての概論や、最新の宇宙論を知ることが出来て、ためになる。(今は「島宇宙」という用語はもう使わないらしい…、とか。)
ただ、一方で、物語内の不可思議で幻想的なワードや表現の多くを、ときに量子物理学の知見をもって裏付けてゆく。宮沢賢治はその後の、未来の最新の量子力学の理論を予見して書いていた、とする解釈もある。
それはさすがに牽強付会みたいではありませんか? と苦笑してしまう部分も少々あった。
例えば 「すきとほった天の川の水」を検証する節がある。ここでは、星間物質の大半が水素であること、水素原子のエネルギー状態についての解説、理論を説明(基底状態から励起状態への遷移、水素の再結合線、量子化…)。「賢治は(それらを)考えた可能性」があり、「すきとおった天の川の水」というイメージや表現を書いたのではないか、とする。ちょっとやりすぎ感もある。
それは文学的な表現でいいんじゃないかな…と個人的に思うのであった。
※保坂嘉内について言及した箇所もある。