平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ (光文社新書 1113)

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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334045210

感想・レビュー・書評

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  • 1960-70年代に比べると、学生は社会を良くする活動に参加しなくなったと言われている。筆者は、そういうことではないと訴える。たしかに以前に比べると、数は少なくなったが、社会がもっと良くなってほしいと思い、それに向かって活動をしている学生がいる、としている。そして、本書によって、その学生運動の記録としたい、という趣旨で書かれたものである。

    「なぜ、この時代に彼らは活動するのかを知りたい。」

    430ページを超える本。インタビューを中心とした取材量は膨大である。が、いつどういうことがあって、それに参加した学生は、それをこういう具合に話しているという事実関係の羅列の本である。
    個々の「彼ら」が、なぜ活動しているのか、は語られているが、時代背景や以前との違いなど、「この時代に」という部分は語られていないし、筆者も述べていない。

  • 以下、引用
    ●しかし、それでも学生から向けられる言葉は重みを持っている。社会がまっとうに機能しているかをチェックする機能を果たしてくれるからだ。学生の声を無視する社会は健全ではない。学生からまったく声があがらない社会も成熟しているとは言い難い。声をあげさせない社会となれば健全とか成熟どころではなく、空恐ろしい。
    ●「デモで安保関連法案反対を訴えるようになって、ぼくは自分たちが社会のなかである種の『エリート』なんだと感じました。多くの人は生活が忙しくて政治について考える余裕がなかなかありません。ぼくらは勉強しながらむずかしいステートメントを考えているけど、本や新聞を読むことで身につけた言葉では、伝わらない。だからこそ、自分たちの日常感覚に落とし込んで、よりわかりやすい言葉を使うようにしました。また、上から目線で教えてあげるというふうにならないよう、歩いている人たちに『おかしくありませんか』と問いかけるようなスタイルをとっていました」
    ●「私は今まで、『人生を生きるということは社会の現状の中でどれだけ成功できるかだ』と思っていました。『格差社会がこの世の中にあるのならば下の人間にならないように勉強して努力する。頑張って上をめざすことが社会を生きることだ』と思っていました。しかしながら民青で学習を続けていると」、この現状というものは覆すことができない人生のルールではないことに気づきました。国の働きとして国民のよりよい生活を実現しようとすることが大事なことであり、一部の利益のためにルールを設定するのは間違いだと思うようになりました」
    ●残念なことに、民青の活動については大学名がほぼ伏せられている。これは大学班、同盟員を守るためである。大学にすれば学内サークルに「民青」を作ってほしくない、という思いがあり、警戒している。したがって、その大学に班があっても、同盟員がいても、民青名義でビラを撒けない、立て看板を出せない状況だ。大学によっては中核派や革マル派など新左翼と同列のように扱われている。
    ●「私たちは武器なくしてこの強大な資本主義の全面化と戦うことはできません。その武器こそマルクスが残した思想であり、経済学であり、共産主義の文献の数々なのです、こうした武器を研鑽することは、マルクスと同じ立脚点から社会変革の可能性を探り続けることになります。したがって、マルクスを読むことで資本主義には永遠に反逆したいと考えています
    ●幸いなことに、このように学生のグループ間で思想性、政治的立場、運動の方法論が異なったとしても、暴力的な対立は起こっていない。かつての殺し合いに発展したような内ゲバとはまるで無縁である。それがいまの学生の社会運動に対する取り組みで評価できるこpとであろう。
    ●「何年か犠牲にしてもいいから、法政大の弾圧を自分の手で決着つけようと思いました。そして、弾圧に耐えられるのは中核派しかいない。逮捕覚悟と言いながら現場にいない党派、活動家がいます。その点、中核派には良い仲間がたくさんいて信じられたのです」
    ●「困ったとき、みんなでバックアップするべきであり、中核派はそれができる。そこが魅力でしょうか。完璧な組織ではないが、いつもまじめに答えようとしている。人は生きていくなかでなにか考えたり、悩んだりすることが多い。その多くは政治、社会につながってくる。そこにモヤモヤ感がある。これらを解決するためには日常に政治を入れるしかない。社会を変えることができた瞬間、感動する。それがいちばんできるのは中核派だと思う」
    ●かつて、学生の社会運動においてこんな発想があっただろうか。「大学が大変なのもわかるから一緒に国に対して求めていこうよ」とは、いまどきの学生のとてもやさしい面がよく示されている。全共闘世代は「生ぬるい」と評すだろうが、破壊と暴力よりはましである。社会運動にできるだけ対立構造を持ち込まない。これは、いまの社会運動に見られる現象だ。
    ●本書には、その規模と動員などで社会的に大きな影響を与えたSEALDs、「未来のための公共」、そして、民青(日本民主青年同盟)、過激派と呼ばれる新左翼、大学で独自に活動していた学生が登場する。彼らがこの時代の社会運動にどう取り組んできたかについて、学生たちには匿名ではなく、できる限り実名で登場してもらった。運動体験を堂々と語ってもらうことで説得力が生まれるからだ。本書が次の世代が社会と向き合うときの資料として、のちに学者が社会学や政治学の観点から参考にできる記録集として、活用していただければ嬉しい。

  • 東2法経図・6F開架:B1/10/1113/K

  • 現在の学生は過去に比べて政治に興味がなく、学生運動もしないなと漠然と思っていたので購入。
    まず60年前後の安保闘争は戦争の記憶も新しい中で安保条約の改正が行われるという危機感に対し、学生や教職員を中心に労組なども加わって世代を超えて運動が展開されたとのこと。また学生運動は社会主義の革命思想を抱いた学生たちが支配的な大学当局に反発して発生した。このような学生運動で死者まで出したことに危機感を抱いた当局は、大学構内での政治的な運動を原則禁止にした経緯がある。
    そして現在、大学進学率が60年代の十数%から50%程度までに上がった結果、東大も「大衆化」し、学生の政権支持率は世相を反映したものになった。その中でも特に東大等の難関大学は親が富裕層である割合が高いため、より保守的な考えを持つようだ。そのためか2015年安保におけるSEALDsに対しても冷めた目で見ていた者も一定数いた。
    このように学生から政治的イデオロギーが「脱臭」されることによって、例えば森友学園問題などに対しても、「お上に逆らってはいけない」という考えが多数派を占めた。
    しかし、イデオロギーが無くなったからと言って社会問題に関心がなくなったわけではなく、環境問題や女性差別撤廃などの個人の一つ一つの課題意識に対して何かアクションを取ろうという動きはむしろ活発になってきているように思える。
    以上は本書の内容だが、ここから60年代のイデオロギー同士のぶつかり合いという分かりやすく暴力的な社会運動のあり方から、2015年のSEALDsの努力によって生み出された少しお洒落なデモのあり方への変化を踏まえ、最近ではシングルイシューからの取り組みに変化してきているのではないかと考えた。政治性を全面に出すことは控えつつも、自分が問題だと思うことに対しては積極的にアクションを起こしていく、そしてその際には対話を重要視する、ような新しい「運動」が起こっているのではないかと感じる。

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著者プロフィール

1960年神奈川県生まれ。教育、社会問題を総合誌などに執筆。『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)、『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)、『ニッポンの大学』(講談社現代新書)、『早慶MARCH 大学ブランド大激変』(朝日新書)、『高校紛争 1969-1970』(中公新書)、『反安保法制・反原発運動で出現── シニア左翼とは何か』(朝日新書)など著書多数。

「2023年 『特色・進路・強みから見つけよう! 大学マップ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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