- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334742591
感想・レビュー・書評
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芯のある曽野さんらしいエッセイ。だけれど普通の人ではなかなか現実は厳しい
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図書館で何気なく借りましたが20年前に出版されたエッセイでした。立派な中年になるのは大変だなと思いました。
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時間があれば
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上手いエッセイは人を魅了する。中年以降の季節とはそんなエッセイに似ている。
『「奥さん、サハラに行くんだって?」と当時他人に言われる度に、夫は、「砂漠に行くと神が見えるんだそうですよ。しかし砂漠に行かないと神が見えないというのは、不自由なことですなあ」と笑っていたのである。』
中年以降ともなれば、心の中に何人ものアリエッティたち(こびと)が住む。懐かしさと苦さを抱え、ものごとは一概には言えないと感じながら、その曖昧さに耐え、歯切れは当然わるくなる。そして心の中に様々なもやもやと許しと帰還とを抱えている。
若さはかならずしも輝くばかりではなく、『青春にはどこか「ものほしげ」なところがある』とも感じている。
著者の言葉はかならずしもまっすぐではない。『不幸という得難い私有財産を、決して社会にも運命にも、税務署にも返却しない』。そう著者は言い切る。
『人は会った人間の数だけ賢くなる』。わたしもそうありたい。
『徳は広範で、私たちが見ている天空のようなものである。そこにはあらゆる人間の、人間だけが持つ不思議な輝きが光を放っている。光は、人生の黄昏から夜に近い頃になって始めて輝き出して当然だろう。』
中年以降とは、俵屋宗達の風神雷神のようなものなのかもしれない。宗達の風神と雷神は、自身は輝かず生身だ。そしてわずかばかりに彼らの周囲が光を放っている。心は自由になり、風神と雷神のごとく、すべてのことが柔らかな笑いで受け止められる。それは多くの人々の共感を呼ぶ中年以降のカタチだ。 -
このエッセイは本当にお薦めです。
なぜもっと早く読まなかったのだろうか。
中年じゃなくても読んで欲しい。
このエッセイで特に注意して欲しいのは
作家としての曽野さんの意識や振る舞いです。