箱舟の航海日誌 (光文社古典新訳文庫 Aウ 1-1)

  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751265

感想・レビュー・書評

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  • 【本の内容】
    ノアは神に命じられた通り、洪水に備えて箱舟を造り、動物たちとともに漂流する。

    しかし舟のなかに禁断の肉食を知る動物・スカブが紛れ込んだことから、無垢で平和だった動物の世界は、確実に変化していくのだった。

    聖書では語られない、箱舟の“真の物語”。

    [ 目次 ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 舟の上で事件が起こるのではないかとドキドキした。
    悪はいつの時代もいるもので、正体不明のやつを自分たちの領域に入れてはいけないのだなとよくわかった。肉を食べなくても、全ての動物たちは生きていけたのに…。

  • この本は、子どもには読ませたくない理由
    非常によくわかるような気がします。
    なぜならば、この本を説明して!!
    といわれたら親御さんはできなくなってしまうから。

    大人のときに読んだほうが絶対にいい本です。
    この本がいかにこの世の中の不条理を
    克明に捉えているかがわかります。

    それはスカブの部分がそうでしょう。
    なぜ悪は消えてなくならないのか?
    あくは止めようとするもの以上に伝播するのが
    はやいからです。

    それは昨今のテロなどを見ていれば
    よくわかることでしょう。
    しかも、巻き込まれる人を見ると…?

    ユーモアたっぷりだけれども
    結構どっしりと黒いものが居座っています。

  • カテゴリ:教員著作物
    英語英文学科:安達まみ教授の著作物

  • ノアの箱船にスカブ+(邪悪)

  • ノアの箱舟の中での出来事。
    動物達は果物を食べて平和に暮らしていた世界に雨が降り続け、箱舟に乗り込む中こっそりと紛れ込んだ『悪』スカブ。
    肉食と言う禁断の味を知っているスカブは閉鎖されて何時終わるとも分からない漂流生活や食事のストレスに付け込み、大型猫科動物達を唆して徐々に変化を与えてしまう。
    少しずつ歪む船内の空気や不和はノアではどうにも出来ず陸に上がった時には…と言う内容でした。

    傲慢な人間を滅ぼそうと神の与えた試練の中で起こる悪の伝播とは何とも皮肉な内容。
    児童書ではあるけれどそれだけでは済まない本でした。

  • 童話。とみせかけてかなり意地悪い。

  • イギリスの児童文学で、旧約聖書では語られないノアの箱舟の航海中…ということで。ここしばーらくクリスチャンな方々とお仕事で関わってるので、非常に有名な題材だし何かとっかかりになるかなと思ったんだけど…やっぱり好みの問題だね!良い悪いなんてそんなのなんもなくて、好きか好きじゃないかだ。もしくは馴染めるか馴染めないか。色々努力はしたつもりなんだけど…やっぱりどうしても馴染めない…(謎の言い訳) 本自体は非常に読みやすいし休憩本向き。

  • 20世紀イギリスの医師・作家ケネス・ウォーカー(1882-1966)による児童文学作品、1923年。

    旧約聖書中で誰もが知る「ノアの箱舟」に材を採り、箱舟が洪水の中を漂っているあいだに中では何が起きていたのかを動物の視点から描き、「共同体に於ける悪」の在りようを問うている。

    物語の冒頭、「悪」の無い「無垢」な時代では、異なる動物同士も仲が良く、かつ皆が草食であった、として描かれている。そして嘗てはみなと同じく「無垢」だった動物スカブの内を「悪」が洪水の如く侵してしていったきっかけが、偶然にも他の動物を食してしまった体験にあるというのは、興味深い。肉食は動物を「食べる側/食べられる側」に分断する、という訳者の指摘になるほどと思わせられる。嘗て「無垢」であった頃は異種合一して家族のような仲間意識でうまくやっていた動物たちも、箱舟という閉鎖した空間に瀰漫し始めた漠然とした不安の中で、動物たちは力の強い者や弱い者など似た者同士で幾つかのグループに分かれていく。不安が強まれば、それだけ一層この区分けをはっきりさせていく。

    「だが、なにかが変わってしまった。もはやしあわせな大きな家族ではなくなっていた。かつての仲間意識は消え、かわりにあらたな、邪悪ななにかが忍びこんできた。やがて動物たちはいくつかの集団にわかれていった。内輪で集まっては、ほかの動物が脇を通ると黙りこむ」

    「動物の仲間は以前よりいっそうはっきりとわかれている」

    こうして動物たちは、「悪」を通過して、分断され、力によって位階付けされる。そして洪水が去り新たな陸に戻ったとき、動物たちに嘗ての「楽園」はもはや無かった。

    「かつてのしあわせな家族のごとき精神は失われ、かわりに、不気味な、隠された脅威の感覚があたりを支配する」

    「悪」を一掃するはずの洪水が、洪水後の世界に「悪」をもたらすという、神の悲喜劇。物語の結末には、第一次大戦を経た西欧の、「楽園喪失」――人間には、帰るべき「楽園・無垢・合一」など、もはや無いのだ、というよりそもそもの初めから無かったのだ――というペシミズムが、色濃く反映されている。



    児童書ということで「悪」が架空の動物スカブによって実体化されている。

    しかし、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』やアレント『イェルサレムのアイヒマン』などのファシズム研究からも窺えるように、現代という時代にあっては、「悪」は"大悪人"たる特定の個人にのみ帰せられ、それ以外の者は無垢である、などということはできない。「悪」を一個人として実体化することができるという観念は、「悪」の実相を捉える上でまず取り除いておかなければならない幻想である。

    「悪」は、近代の目的合理的理性に則った広義の官僚機構の内に取り込まれてしまっている、凡庸なる我々個々人の内に胚胎する。そして実存的・存在論的な不安の中で匿名的に姿をのぞかせた漠然たる「悪」が、遍在化した communication tool によって匿名多数へと伝染していく。この過程で「悪」が徐々に現実化していく。

    「悪」は実体化し得ない。この点だけは、本書を読むうえでも、留意したい。

  • 挿し絵が可愛い。お話はうーん…よくわからん。あんまり頭に入ってこなかった。最後もなんというか…。ノアの方舟の話をちゃんと知ってから読めば良かったかも。2012/162

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