- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751265
感想・レビュー・書評
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舟の上で事件が起こるのではないかとドキドキした。
悪はいつの時代もいるもので、正体不明のやつを自分たちの領域に入れてはいけないのだなとよくわかった。肉を食べなくても、全ての動物たちは生きていけたのに…。 -
カテゴリ:教員著作物
英語英文学科:安達まみ教授の著作物 -
ノアの箱船にスカブ+(邪悪)
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童話。とみせかけてかなり意地悪い。
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イギリスの児童文学で、旧約聖書では語られないノアの箱舟の航海中…ということで。ここしばーらくクリスチャンな方々とお仕事で関わってるので、非常に有名な題材だし何かとっかかりになるかなと思ったんだけど…やっぱり好みの問題だね!良い悪いなんてそんなのなんもなくて、好きか好きじゃないかだ。もしくは馴染めるか馴染めないか。色々努力はしたつもりなんだけど…やっぱりどうしても馴染めない…(謎の言い訳) 本自体は非常に読みやすいし休憩本向き。
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20世紀イギリスの医師・作家ケネス・ウォーカー(1882-1966)による児童文学作品、1923年。
旧約聖書中で誰もが知る「ノアの箱舟」に材を採り、箱舟が洪水の中を漂っているあいだに中では何が起きていたのかを動物の視点から描き、「共同体に於ける悪」の在りようを問うている。
物語の冒頭、「悪」の無い「無垢」な時代では、異なる動物同士も仲が良く、かつ皆が草食であった、として描かれている。そして嘗てはみなと同じく「無垢」だった動物スカブの内を「悪」が洪水の如く侵してしていったきっかけが、偶然にも他の動物を食してしまった体験にあるというのは、興味深い。肉食は動物を「食べる側/食べられる側」に分断する、という訳者の指摘になるほどと思わせられる。嘗て「無垢」であった頃は異種合一して家族のような仲間意識でうまくやっていた動物たちも、箱舟という閉鎖した空間に瀰漫し始めた漠然とした不安の中で、動物たちは力の強い者や弱い者など似た者同士で幾つかのグループに分かれていく。不安が強まれば、それだけ一層この区分けをはっきりさせていく。
「だが、なにかが変わってしまった。もはやしあわせな大きな家族ではなくなっていた。かつての仲間意識は消え、かわりにあらたな、邪悪ななにかが忍びこんできた。やがて動物たちはいくつかの集団にわかれていった。内輪で集まっては、ほかの動物が脇を通ると黙りこむ」
「動物の仲間は以前よりいっそうはっきりとわかれている」
こうして動物たちは、「悪」を通過して、分断され、力によって位階付けされる。そして洪水が去り新たな陸に戻ったとき、動物たちに嘗ての「楽園」はもはや無かった。
「かつてのしあわせな家族のごとき精神は失われ、かわりに、不気味な、隠された脅威の感覚があたりを支配する」
「悪」を一掃するはずの洪水が、洪水後の世界に「悪」をもたらすという、神の悲喜劇。物語の結末には、第一次大戦を経た西欧の、「楽園喪失」――人間には、帰るべき「楽園・無垢・合一」など、もはや無いのだ、というよりそもそもの初めから無かったのだ――というペシミズムが、色濃く反映されている。
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児童書ということで「悪」が架空の動物スカブによって実体化されている。
しかし、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』やアレント『イェルサレムのアイヒマン』などのファシズム研究からも窺えるように、現代という時代にあっては、「悪」は"大悪人"たる特定の個人にのみ帰せられ、それ以外の者は無垢である、などということはできない。「悪」を一個人として実体化することができるという観念は、「悪」の実相を捉える上でまず取り除いておかなければならない幻想である。
「悪」は、近代の目的合理的理性に則った広義の官僚機構の内に取り込まれてしまっている、凡庸なる我々個々人の内に胚胎する。そして実存的・存在論的な不安の中で匿名的に姿をのぞかせた漠然たる「悪」が、遍在化した communication tool によって匿名多数へと伝染していく。この過程で「悪」が徐々に現実化していく。
「悪」は実体化し得ない。この点だけは、本書を読むうえでも、留意したい。 -
挿し絵が可愛い。お話はうーん…よくわからん。あんまり頭に入ってこなかった。最後もなんというか…。ノアの方舟の話をちゃんと知ってから読めば良かったかも。2012/162