社会契約論,ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫 Bル 1-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (575ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751678

感想・レビュー・書評

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  • 説明不要のルソーの名著「社会契約論」。社会契約論のプレ版ともいうべき「ジュネーブ草稿」も収録。

    ジュネーブ草稿にあるように、著作の主題は、統治の原則と市民法の規則について論じている。そこには、当時のルソーが、新たな社会体を創造しようという、意欲が満ちあふれている。

    ルソーは、世の中が自然状態から社会状態に移行するための、新たな胎動を「社会契約論」によって創造しようとしたのであろう。
    それは、本文中の「自然状態から社会状態社会状態に移行すると、人間のうちにきわめて大きな変化が発生することになる」という一文から察することができる。

    では、本書で述べられている本旨は何か。
    統治の原則は国民の共通の善を目指すことであり、
    市民法の規則は、契約によって結ばれなければならないということである。

    統治の原則である、共通の善を導く方法として、ルソーは「一般意思」という概念を提示した。
    一般意思とは、国家の構成員の異なった利害のうちに、すべての構成員の利害が一致する共通の要素のことであると、ルソーは説く。
    一般意思が存在するからこそ、人間社会は成立するのであり、逆に一般意思が存在しなければ、いかなる社会も成立することができないといったように、人間社会を成立させるための前提条件として提示している。
    ルソーは一般意思を「国家の全ての構成員の不変の意思」と綴る。
    大事なことは、この一般意思に適切に問いかけることだという。
    「一般意思に対象をありのままに眺めさせること、場合によってはあるべき姿で眺めさせることであり、一般意思が探し求めている正しい道を示す事、個別意思の誘惑から守り、みずからの場所と時間をしっかりと認識させ、目の前にあるわかりやすい利益の魅力と、遠く離れて隠れている危険を秤にかけて示すことである」
    という一文から、国家の構成員に自立した判断を期待する姿勢が垣間みられる。

    しかし、ルソーは人間の理性を、諸手を挙げて信じきっているわけではない。それは、次の一文からも察せられる
    「先見の明のない大衆が自分たちの必要なものが何であるかを理解しているのはごく稀な事であり、自分たちがそもそも何を求めているのかも知らない事が多い」
    この矛盾について、ルソーは次の言葉で説明する「一般意思は常に正しいのだが、この意思を導く判断がつねに啓蒙されたものとは限らない」
    一般意思が正しく機能するためには、啓蒙された国家の構成員というのが前提になるのである。
    国家の構成員が正しく啓蒙される道筋として、導き手が必要であるのだと言う。国家の構成員が自らの意思を理性にしたがわせるように強制しなければならならず、啓蒙によって徳を高めて社会体の知性と意思が一致するようすべきであると説く。

    国家の構成員を啓蒙するための方法として、法による社会規範にその答えを求めた。
    では、一般意思を正しく機能させるための、社会規範となる法の正義は、何を基盤につくるべきか?
    ルソーがその答えを求めたのが神である。
    「人間に法を与えるのは神々でなければならないだろう」という一文にそれが表れており、「全ての正義は神に由来する。神だけがその源泉」とい一文にも正義に関するルソーの思想的背景が伺える。
    そして古の建国時代(ユダヤの法とイスラムの法)を例に挙げ「人間の思慮分別に訴えても動かす事ができない人々を神の権威に頼って動かした」と説き、絆を永続的なものとするのは、(神の)叡智だけであると結論づけた。

    つまり、導き手である神の意思に沿って立法し、国家の構成員を啓蒙する。それによって社会全体の知性が向上したときこそ、国家の構成員から導きだされた一般意思こそが正しく機能されるということである。

    ルソーが議論の余地のない原則として提示する、
    「国家というものは、共通の善を目指して設立されたものであり、国家の力をその目的にしたがって導くことができるのは、一般意思だけ」
    という、国歌論についても社会全体の知性が向上する土壌があってはじめて可能になることを示唆しているのではないかと考えられる。

    さらにルソーは、
    「一般意思によって実現される共通の善が受け入れられるためには、国家の構成員にとって相互的なものでなければならない」
    と説く。
    相互的とは、国家の構成員の法の下の平等を指すと同時に、国家の構成員同士の間で相互的な契約によって成立することを指す。
    この国家の構成員同士の相互的な関係を維持するための方法としてルソーが掲げたのが「社会契約」である。

    国家の構成員と、それぞれの個人の間で結ばれる相互の契約によって国家を統合し、社会を成立させるという論理こそがこの著作の最も革新てきな部分ではなかろうか。

    王制や貴族制の下では、王と個人の結びつきによって権利と義務の保証がなされていたが、社会契約により主権者である人民はみずからと契約を交わすと同時に、国民であるそれぞれの個人とも契約をとり交わすことになる。
    この契約によって統一された国家は、人民の共同の自我とその生命と意思を受け取る。国家の構成員としての人民は、主権に参加する市民と法律に従う国民という二つの性質を担う。
    ルソーは王制による支配と契約により成立した社会との違いを次の言葉で簡潔に説明している。
    「自分に義務を負う事と自分がその一部を構成する全体に対して義務を追うことは大きな違いがある」

    国家の構成員が社会契約によって獲得したものは、社会的な自由を約束された自由権と所有しているすべてのものに対する所有権である。
    この権利は国民全体によって尊重されると同時に一般意思によって制約を受ける。これこそが、国家の構成員の相互関係によって成立した新秩序である。

    ここでは、社会契約によって契約者ごとの特殊な人格の集まりから、社会的で集団的な一つの団体をつくりだすという新たな国家統治の原則をルソーは示している。人民にとって、受動的な意味での「国家」が存在するとともに、自らが能動的な意味での「主権者」となる国家。

    ルソーはそれを「主権国家」と名付けた。

    主権国家における国家の防衛について、ルソーは国家の構成員の能動的な行動の正当性を以下の言葉で綴る。
    「個人は国家に生命を捧げたが、この生命は国家によってつねに保護されている。個人は国家を防衛するためには生命を危険にさらすが、これは国家に与えられたものを国家に返すだけのことではないだろうか」

    社会的秩序を重んじるルソーは「主権国家」における、犯罪に対する考え方も、非常に厳しい。
    「社会的な権利を侵害する悪人は、すべてその犯罪のために、祖国への反逆者となり、裏切り者となる。法を犯すことによって、祖国の一員であることをやめたのであり、祖国に戦争を仕掛けたのであるから、どちらか一方が滅びるまで続く」という理論展開とともに、死刑に対しても明確な言葉でそれを綴っている。
    「罪のあるものを殺す時は、市民を殺すのではなく敵を殺すのである。
    罪人を裁判にかけて判決を下すという行為は、罪人が社会契約に違反したことを証明し、もはや国家の一員ではないと宣言することなのだ」

    この社会契約における、国家の統合と社会秩序の確立により、ルソーは国家の構成員の道徳的価値と行動における変化に期待を込めて以下の言葉で綴っている。
    「それまで人間は本能的な欲動によって行動していたが、これからは正義に基づいて行動することになる。人間の行動にそれまで欠けていた道徳性が与えられる。
    人間は欲望ではなく、権利に基づいて行動するようになる。
    自分の好みに耳を傾ける前に自分の理性に問わねばならないことを知る。
    自然状態において享受していた様々な利益を失うが、その代わりにもっとも大きな利益を手にするようになる」

    人間が社会契約によって失った、自然状態のもとで享受していた無制限の自由と権利。これは、その人の力によって左右されるだけのものであり、力による占有か先に占有した者に認められる所有であった。
    社会契約によって、一般意思による制限を受けるものの、体力や才能にでは不平等でありうる個人が、取り決めと権利によってすべて平等となる。
    また、平等の権利を理論的には国家の構成員相互によって保証され、実質的には国家によって保護されることによる、自力救済を前提としない安定した社会生活を享受できることになるのである。

    社会契約論におけるルソーの主張は以上であるが、例外的な事態に陥った時の対処法についてもルソーは解決策を提示している。
    「政府が危険に陥った場合は、政府の一人又は二人に政府のすべての力を集中させる。
    この場合は法律の権威に手を加えることなく執行の形式を変えるだけにとどめる。危険が極めて深刻であり、祖国を防衛するためには法律という装置が障害物になるためには最高の指導者一人を任命し、その者にすべての法律を沈黙させ、主権をしばらく停止させる。
    このような場合にも一般意思が存在すること、そして人民が何より目指すのが国家の滅亡を防ぐことであるのは疑問の余地がない」

    ここで重要なのは、ルソーの主張は国家の存続が最優先事項であるということである。一般意思を尊重しつつも、国家の存続が第一で、法及び主権については国家という形の下に存在するべきものということになる。

    感想としては、「社会契約論」、国民国家誕生の契機となった歴史的な書であるということが理解できた。
    ルソーは王制や貴族制に変わる新しい国家の統治方法を提示するとともに、自論の弱点も知り尽くしていたと思う。
    それは人民に対する期待と懐疑が交互に記された文章から察せられる。
    この一貫しない人民に対する姿勢が、読者を混乱させるのかもしれないが、ルソーの政治思想をよく表しているともいえる。
    分かりやすい例としては、「暫定的独裁」を肯定した文章によく表れていると思う。
    それは、社会契約・一般意思といった新しい秩序を構成する様々な理論展開を行いつつも、自論の弱点と葛藤する思想家の背中が垣間みられるようでもある。

    このルソーの体現者が、ヒットラーなのではないかと読書中考えたりした。
    秩序による国家の統合と一般意思による自由と権利の保障と、社会的集団による国家的興隆。
    そして民意を背景に、独裁を手に入れた。

    「政府は主権者ではなく、主権者である人民の召使いにすぎない」
    「人民が首長に服従する行為は社会契約には含まれない」
    以上のルソーの考えを大きく逸脱するものの、独裁までのプロセスは社会契約論との共通性を感じたりはした。

  • 東浩紀さんの『一般意志2.0』を読んだ後、そのベースとなった本書を読んだ。当時は「一般意志」を実現できる情報インフラが整備されていなかったから、「一般意志」とは、あくまでひとつの思考実験に過ぎなかった。だけど、現代はSNSやTWITTERなど市井の人の声を拡散・収集するツールが揃いつつあるので、やる気になれば特殊意志(個人の自分勝手な意志)を吸い上げ全体意思(特殊意志の全部集めたもの)を可視化することはすぐできるし、また社会契約に基づく共同体の意志としての「一般意志」を表出させるのも、(いくつかハードルはありそうだけど)可能性はありそう。民主主義のあり方が根本的に代わるかもしれない今こそ読む価値のある一冊。抽象的な話が多くやや難しいが、翻訳が良いからか読みやすい。

  • 契約論の、おそらくは現代もっとも読みなおす必要と価値のある著作。ぜひまた原典で味わってみたい。訳はすらすら読みやすい。ひっかかりがなく読めることで、重大なモチーフがその重みを減じてしまっているのではないのかとも思ったりはするのだが。

  • 東浩紀さんの連載「一般意思2.0」と併読。主権と国家、統治と権力、そして立法と民意。現代のわたしたちが当然のものとして受け取っている社会のありかたにも源流があり、またルソーがこの本を著したときと同様に、ありうべき社会のありさまを構想することが私たちにもできると知ることに、この本をいま読む価値はある。

  • 個人のための国家の在り方

  • 2009/10/26 購入
    2009/11/07 読了 ★★
    2023/06/30 読了 ★★★★★

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