- Amazon.co.jp ・本 (529ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751807
作品紹介・あらすじ
考える自我から出発したデカルトに始まり、カント、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアーにいたる西洋の近代哲学。本書はその遺産の上に立ちながらも、哲学そのものがキリスト教の伝統にいかに制約されているか、独断論に終始しているかを示し、新しい哲学の営みの道を拓く試みである。
感想・レビュー・書評
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永劫回帰、超人、ルサンチマンなどの概念を生み出したことでも知られるニーチェだが、
なぜニーチェが、どうゆう理由で、それらの概念、価値を創り出したのか? それを良しとしたのか?
この本ではそれらのワードはまだ出てきてはいないが、その結論に至るまでの思考の変遷をニーチェと共に追体験することが可能な本だ。
結論が正しいかどうかの議論とは別に、
その結論に至るまでの道筋に対峙していくことができる。時代を超えて。
それが古典の醍醐味である。
善悪の彼岸というタイトルのこの著書は、
過去から作り上げられてきた良し悪しという価値基準をぶち壊しにかかるニーチェの精神の奮闘を共に味わうだけでなく、参加することができる。
それほどに読者に何かを叩きつけてくる激しさをもった書。
まったくもって新しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これほど多くの気づきを与えてくれる書物は、自分的に「功利的理性批判」以来だ。凄まじい洞察力。徹底したアウトサイダー。いろんな本でニーチェ像を読んできたが、それらが全て陳腐な感想文に思えるほどの衝撃を受けた。そして、陳腐な感想文を自分も書きたい衝動に駆られている。書きたくなってしまう魔力がある、この本には。困ったもんだ。。
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「ニーチェの考える新しき哲学とは、真理を暴きだすのではなく誘惑する哲学、キリスト教の道徳のくびきの魔力を明らかにして、そこから解放される道を示す哲学、すべてのものの見方のうちに潜む先入観を暴きだしながら、遠近法(パースペクティブ)の自覚へと誘う哲学である。」
先人の思考を次々と突き破っていく本。批判して、「この思想のここがおかしい!」と言ってどんどん次へ進んでいく。つまりニーチェは何が言いたいんだ?と私は思ってしまい、解説を見ると上文があった。この本も列記とした哲学書なのだと知った。
まだ一篇しか読んでないが、読み進めるのが大変かつ実践的な内容ではないので積読にする。 -
権力が横暴を極め、富裕層はひたすら自らの富を蓄積することだけを求めているような時代。ルサンチマンではなく、もっと強靭な個の思想を持つことが求められているような時代だからこそ、ニーチェは読み直されなければならないと、内なる声が教える。
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ニーチェ 「 善悪の彼岸 」
近代哲学を批判し、ニーチェが目指す 新しい哲学 について論じた本。題意は、善悪の超えた思想(=新しい哲学)、善悪の及ばない領域 と捉えた。
見えてなかった世界、あえて見ようとしなかった世界を ニーチェから 見せつけられた感じ
アフォリズム形式で 短い文体なので キーワードは拾いやすい
*善悪なるものはない、ただ解釈だけがある
*ニヒリズムを徹底して ニヒリズムを克服する
*新しい価値の根拠が必要。新しい価値の根拠=力への意志
ニーチェの目指す新しい哲学
*独断論(民族、文法、大衆の先入観の呪縛)からの解放
*真理を暴き出すのでなく 真理を誘惑する哲学
*キリスト教道徳から解放させる哲学
*ものの見方のうちに潜む先入観を暴きながら 遠近法の自覚へ誘う哲学
「近代哲学は 独断論に終始し、真理に近づくことはできない」
独断論
*民族的迷信=魂の不滅(ソクラテス、プラトン)→哲学がギリシャ起源であるかぎり、民族的なものの見方から逃れられない
*文法を信じる=世界の秩序を信じる=神の存在を信じる→文法を捨てることを 新しき哲学者に求める
*哲学が大衆の先入観、私的要素により決定される
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<b>ツァラトストラ(アプトブリンガー)からの流れで。</b>
ロックでリズミカルなツァラトゥストラとは異なって、本書は「難解」というよりも「修辞が多くて分かりにくい」というのが正直な印象。
それでもツァラトゥストラで痛快だった
<b><i>「神や常識の奴隷になるのはもうやめて、自分の足で立ち、自分の頭で考えろ」</i></b>
というテーマに連なる内容。
カントが提唱した
「人間は一切の先入観をなくし、事物を純粋に観念として認識出来る」(数学的に)
に真っ向から異議を唱え、
<span style="color:#cc3300;"><i>「なに寝言ぬかしとんねん、この童貞のキモヲタ。お前の意識高い純粋な頭には、宗教やら道徳やらの手垢がすでにびっしりついとるわ!そんな都合よく物事認識出来れば戦争なんぞおこりやせんのじゃ!」
</i></span>
というのがこのながーい、かたーい哲学書の骨子だと(勝手に)納得。
解説の「本書はアフォリズムで書かれている」という説明を読んで「アフォリズムて?」と調べたら、なんの事はない「格言」だった。
そういえば、近年「心に響くニーチェの格言」みたいなさぶいタイトルの本があったけど、読んでいてなんとなく「意識高い系おっさんの長いポスト」を読むようなぞわぞわ感があるのはそこかも。
面白いのは、「ツァラトゥストラ」の中で、ニーチェは「格言オヤジ」をdisってる。身体を持たぬ言葉になんの意味があるのかと。(これは本書のカントの純粋認識への批判にもなっている)
ツァラトゥストラとの時系列関係が分からないけど、最終的にツァラトゥストラの心境になったのなら面白いな。
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「ツァラトゥストラ」よりは、その意味するところが明瞭だった。哲学批判や、生の本質が平等ではないなど、鋭い指摘があった。訳は読みやすかった。女性については、なぜここまで保守的なのだろうか。
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ニーチェは初読。新訳かつ、原文では自明であろうが訳すと何を指しているかわかりにくくなる箇所は本文中で補足されているので読みやすい。用語や人物の注は巻末にまとめて。もう少し解説が欲しいところもあったが、1冊の文庫にまとめるのであればこれくらいが限度か。
序盤はニーチェの姿勢をわかっていなかった為、本音なのか皮肉で言っているのか掴めないまま読み進めたが、アフォリズムという断章を積み重ねる形式で記述されているが故、個々の内容の意を汲むのはそれ程難しくはなかった。ただ後書きにあるように断章間を紡いで真意を読み取ることまでできたかは甚だ怪しい。
上辺のみの理解で感想を語ることになるが、選民的貴族主義的な傾向はその後訪れる20世紀を知る者からすれば危うく感じる。それでも畜群道徳(本文中ではこの訳としては出てこない)に関するくだりは、21世紀の今も余りに低次な同調圧力として残存していることを思いださせて身にしみる。キリスト教批判、デカルト、カントらの哲学をも独断論的と評したことは当時どれほどの衝撃だったのだろう