とはずがたり (光文社古典新訳文庫 Aコ 12-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334754112

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  • 14歳の二条ちゃんが登場したかと思いきや、なかなか衝撃的な幕開けから始まる。

    衣裳に調度品に、なんでこんな煌びやかにするの?と首を傾げるは彼女のみ。
    ふと目を覚ますと御所さま(御深草院)が添い寝をしていて、動揺して泣きじゃくる二条ちゃん。

    けれどいつの間にか、御所さまの寵愛にまんざらでもない二条ちゃんが私は嫌いではないです(笑)
    現代から見ると異様な恋愛模様なんだけど、でも、全く理解不能!おぞましい!にも振り切らない。

    二人とも、お互いにとって「長く情を引きずらない相手」に対しては軽視していて、逢うための仲介さえしては、その様子を眺めて楽しんでいる。

    でも、法親王さまに対しても同様のスタンスを取っていた御所さまが、二条の応じ方を見て、急に嫉妬モードに転じる姿。
    そんで「自分がいいって言ったくせに」とイラッとする二条も、よく描かれているなぁと思うんだな。

    さて、そんな禁断の当て馬?法親王さまの、二条への執着がマジで怖い。
    若かりし頃は修行一筋、女性なんてあわわわ、というような人なので、ほんと沼に引きずりこまれちゃったんだろうね。おいたわしい。

    来世は共に地獄行きを願う!と色んなお寺やら何やらの名前が書かれた手紙なんか貰った日には、ほんと、ドン引きです。
    そこまでのことをされても、御所さまのお許しをいただいて、ある種晴れやかに?再会しちゃう二人の心境もよく分からんのだけど……。

    結局、都を出て出家した二条には、何も残らない。
    愛憎の日々が繋いだ身分も、子供も、何もない。
    その決断を二条自身がどういう思いで踏み切ったのか、肝心な所で話は途切れてしまっているので、出家してからの章がなんとなく歯切れ悪し。

    現代語訳が工夫されていて、前中盤の二条ちゃんの心情が瑞々しく描かれている。
    軽い感じが合わない人もいるかもしれないが、個人的には読みやすく、魅力的だった。

  • 物語の始まりは1271年(鎌倉時代)大納言源雅忠のむすめ二条は、女房として(※現代的な意味ではなく宮仕えの女官の意)幼少時から後深草院の御所で育つが、14歳になったある日、後深草院が寝所にやってくる。以降、正式の側室ではないのに14歳にして院の愛人という微妙な立場に。しかしそんな彼女には実は密かに想いを寄せ合っていた相手「雪の曙」(西園寺実兼)がおり、後深草院の子を妊娠中に、ついに二人は結ばれ・・・。

    一応作者の後深草院二条の自伝小説、ということになるのかしら(彼女の実在を疑う説もあるらしい)二条は1258年生まれ、後深草院は1243年生まれで15歳差。二条14歳のときに院は29歳、西園寺実兼は23歳。後深草院、29歳の若さで上皇なのかぁと思って調べたら、4歳で即位、17歳で譲位していて、まあ昔は政治上のいろいろがあったのでしょう。14歳の二条に手を出す反面、政略結婚の正妻は11歳年上、40歳で高齢出産のエピソードがあり、晩婚化のすすんだ現代でも40歳ならそこそこ高齢出産なのに750年前に!と驚く(逆に多産だから初産でなければ珍しくなかったのだろうか)

    余談ながら最近、14歳で富豪の第三夫人になった少女が主人公の『第三夫人と髪飾り』(http://crest-inter.co.jp/daisanfujin/)というベトナム映画が、本国で上映中止になったニュースを見ましたが(中止になった理由はその主人公を実際に14歳の少女に演じさせたのが問題視されて云々)デュラスの『愛人』しかり、何処の国でも女性はそのくらいの年齢ですでに性的に搾取される立場だったんだよなあ。

    ちょっとくだけすぎかなと思うこともあるけど現代語訳なのでとても読み易いし、巻頭に色の名前のカラーチャート、当時の服装の名前の説明、巻末には京都の地図、家系図や関係図まで付いていて、さすが新訳文庫、親切でありがたい。着物の色味の「コーディネート」によってセンスを問われたり(女性同士のマウンティング要素となり)よっぽどヒマなのねという宮中のさまざまな風習や催し物やお遊び(しかしセクハラ、パワハラが横行)、現代よりよっぽどゆるゆるな貞操観念などなど、時代背景を知る面白さと、源氏物語的乱れた恋愛関係、揺れ動く女心など現代人と変わらない部分に共感したりしなかったりしてとても楽しく読めた。

    二条は美しくたいへんモテるので、本人の意思に反して様々な男から言い寄られるが、自分からはっきり好きだと思い両想いであるのは「あのひと」=西園寺実兼のみ(ただ彼も当然のように妻子持ち)。雇用主でもある後深草院に対してはそれなりの愛情はあるし、後深草院のほうも二条をとても大切にしているが、そのために正妻から嫉妬で意地悪されたり、いつ捨てられるかと怯えたりせなばならず正しい恋愛関係とは呼べない。

    さらに後深草院については立場上、あっちこっちの女性に手を出し放題な上に、二条のことは自分の「持ち物」のように思っているので、他の女性に言い寄るときに協力させたり(さらに屏風一枚隔てて筒抜け)するだけならまだしも、自分の弟で出家している法親王が二条に想いを寄せていることを知ると、二条に「あいつお前のことめっちゃ好きらしいし、寝てやって、許可するし」と指示(しかし二条はこのストーカーのような思い込み激しい法親王を嫌っている)、弟法親王には「俺の女やけど、お前がめっちゃ好きなんやったら貸したるわ」と寛大なふり、そのくせ二人が何度も逢っていると嫉妬(ドMの新しいプレイのようだ)、さらに近衛の大殿という50歳くらいのエロじじいが二条に目をつけて言い寄るのも黙認するどころか手引きしたりして、別の弟・亀山院にも二条を貸出、好きでもない男と寝なくてはならない二条には心底同情する。

    しかし二条のほうは何度か寝ると情が移ったりもして、そんな自分も情けないし、こんな辛い目にあってばかりで出家したいし、何度も妊娠、しかし生まれた子供は育てさせてもらえず、よそに出され、あげくほぼ亡くなってしまうし、妊娠中であっても男どもはおかまいなしに言い寄ってくるし、御所内の親族や女同士の派閥争いも面倒くさいし、ほんともう読んでるだけで私まで出家したくなった。

    全5巻のうち、3巻までがこのような宮中の恋愛模様などが続き、最終的に20代後半くらいで二条は正妻の嫉妬と後深草院の冷淡により御所を追放される。ここで抜け落ちた巻があるのか、4巻ではすでに30代前半の二条が出家して尼となり、憧れの西行よろしく、京の都から東にむかって旅に出ている。江の島、鎌倉、熱田、伊勢など巡り、合間に写経をし、また都に戻ったり奈良の寺社を巡ったり・・・。旅の途中でも風流を解するひとたちと歌を詠み合ったりしている。

    しかし彼女の居所を探していた後深草院と再会、この期に及んでまだ「旅の途中でいろんな男とやりまくったんでしょ?」的なこと言ってくる後深草院、まじめんどくさい。さんざん他の男と寝させたりあげく浮気疑って追放しておいて、出家した愛人の男関係まで追求。ヒマなんか。(ヒマなんだろうな)(事実、政治的権力は鎌倉幕府にあり、帝だの院だのは宮廷で恋愛ごっこと季節の行事以外にすることないんだもの)(頽廃している)

    けれど二条は、出家してからは「恋人」だった西園寺実兼のことは全くといっていいいほど思い出さず、このめんどくさい後深草院のことばかり想っている。最初は、まあ子供の頃から育ててもらったし、恋愛感情より家族愛のような、あるいは彼女の「地位」と結びついた関係だったから、失われた華やかな生活への未練がそうさせるのかなと思っていたけれど、やはり恋より深い愛情があったのだろうか。5巻でついに彼が亡くなり、納棺の列のあとを二条が裸足で追いかけるくだりは胸に迫るものがあった。

    『とはずがたり』というタイトルの言葉は、終盤に出てくる。誰に問われた(話してくれと頼まれた)わけでもないのに、こうやって書き残してしまう自分への自虐、でもこの数奇な反省とその辛さ苦しさを、書き残さずにはいられなかった二条の気持ちに、ちょっと涙が出そうになる。私の人生はこんなに波乱万丈じゃないし、世捨てて旅にもまだ出れないけれど、なぜか二条に感情移入してしまい、というかきっと友達の壮大な愚痴を聞くような感覚だったのか、うんうん、しんどかったよね、がんばったね、と飲みながら肩をたたき合いたい気持ちになった(女子会か)。良い読書時間だった。

  • こんなに退廃的な古典は初めて読んだ。
    後深草院の指示で好きでもない男に抱かれる二条が不憫でならない。
    産まれた子どもをこの手で抱いて育てることもできないなんて悲しすぎる。
    時代背景を含めたとはずがたりの解説本みたいなものも読んでみたいなと思った。
    また、後半の旅路は一転して雰囲気が変わった。私もこんな旅をして写経してみたいなと思った。

  • 女って、本当、男にとって物だったんだなぁと。
    時に別の男に貢ぐ贈答品だったり、ゲームの勝敗の景品にされたり、しかも体だけじゃない、他の男に顔を見られることが恥ずかしい時代だったと記憶するが、買った男に後宮の女たち全員の顔を見せるとか、女に恥かかせる景品の出し方まで。
    さらには寝とらせといて、女を詰るとか、最悪なプレイだな、と。
    流され二条さんは頭がよく賢くプライドも高いがゆえに、世間からうるさい女、性格の悪い女と言われたくないばかりに言いなりになってるように見える。近衛とのことなんて完全にレイプだろう。というか全般にそんな感じがしてきた。男の欲望と思いだけで翻弄される前半。
    子供への愛情がないわけではないようだが、これでは仕方なく生むのがやっとな気がする。
    無理な時代だったのだろうと思うものの、断れないものなのか思案してしまう。

    巻三のラスト、結局御門が呼び出して船にのせて連歌に参加させたものの、御門ったらこんなところで有明の月とか出して、最低だなと思いました。マジ最低。

    さて、巻四でようやく憧れの出家をして憧れの旅に出たはずなんだけど、御所の面影が思い出されるとか、旅の苦しさがとか、まあ未練たらたらの相変わらずの鬱鬱ぶりで、憧れの生活してるんじゃないのかーい!!と、思わず叫ばずにはいられなかったよ(笑)

    それにしても、ほんと、読む歌がどれもこれも秀逸。逢阪の関の桜を歌った歌はよかったわね。でも、前半の若い頃の濃いの駆け引きしてたときの歌の方がキラキラ感と機知の閃きがすごかった気がする。やっぱ恋に生きる人なんだよ、この人。
    それにしても、回顧録だとしてら、よくもまあこれほど細々と詳細な情景や官位やらを覚えているものだわ。
    あと、写経するために形見を売り渡していくという感覚がどうにもよくわからないっちゃわからない。
    働けよ、と思ってしまったけれど、それこそ出家後じゃ遊女な比久尼くらいしかないのかな。歌で身を立てるにはパトロンが必要だったんだろうけど、気ぐらい高そうだから成金じゃ嫌だったんだろうしなぁ。

    意訳がとても分かりやすく面白くてつらつらとよんでしまった。面白かった!!
    昭和の時代に発見されててよかった。
    いろんな派生物語も出てるとのこと。チラ見したけど、杉本苑子の雪の曙視点のは続きが気になる。本音は琵琶がほしいとか(笑)
    源氏物語みたいだけどもっとスキャンダルというところに、妄想が膨らむよね。
    時代は鎌倉時代。ちょうど大河ドラマもやってるし、その後の世界の物語と思うと興味深い。
    この頃には花は梅ではなく桜になっている。
    桜はいかに不気味ではなく心のはなになったのか気になる。
    うん、確かに失踪する物語だった。

    メモ。
    p395足摺岬の所以←なるほど。この物語観音様がやたら出てくる。
    p314「行く人の心をとむる桜かな花や関守逢坂の山」
    p223御所様、本当はお前の母親が初恋。
    p361草薙の剣と焼津野の所以
    p362伊勢参り。尼さんは入れる区域に制限がある。仏と神道。
    p369二見の浦。
    p343隅田川の所以。みよしは実の入らない稲。吉田の里に改めてたっぷり実が入るように。←吉田さんの名字の由来もなんとなくこれかなと。
    p356出家した御所様との再会。
    p384御所様からの贈り物。
    p392厳島。
    p340善光寺。生きるも一人、死ぬも一人。

  • 2022年1月19日購入。

  • 現代の価値観に照らすと宮廷に使える女房のあまりに人権無視な扱われ方が読んでいて辛い。

  • 両親に先立たれ、宮中に取り残された二条は居場所のない悲しみに暮れる。女中の逆恨み、望まぬ寵愛を経て、やがて宮中からも破門される。運命を恨んだ二条は西行法師の営みに憧れ、全てを捨てて出家する。

    本書のテーマとは関係ないが、『武蔵野は一面萩野原だった』という文章が最も印象に残った。平安時代に東京が野原であったことは周知の事実である。しかし、著者の実体験に寄り添う事で、この事実をよりリアルにそして直情的に感じることができた。

  • おもしろい。自分の居場所はどこだろう、という現代にも通じる疑問を自分に問いかけつづけ、さまよっていく女性の物語。鎌倉時代というと、武家のイメージだが、こういう世界もあったのか。本当に日記なのかはわからない。作中に「光源氏」という表記が出てくるが、鎌倉時代は「源氏の君」ではなく「光源氏」だったのだろうか。

  • 後深草院に4才のころから仕え、紫の上よろしく院によって育てられ、14才で愛人になった二条の赤裸々日記。三巻までは御所でのメロドラマだけど、四・五巻は出家して方々の寺を参詣する旅行記で面白い!鎌倉から川口まで2日で着くとか、碓氷峠をこえて善光寺とか、「え!こんなところまで行くの!?」という感じ。伊勢も熊野も厳島もいってるし、御所暮らしの女性でもこんなに歩けたんだなあ。足腰強い!
    あと印象に残ってるのは、鞆の浦の大可島を訪れたとき、元遊女たちが出家してくらしている庵があって、交流したところ。昔からこうして女性たちは助け合って生きてきたのだなあ…とじーんとした。

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