転落 (光文社古典新訳文庫 K-Aカ 4-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334754778

感想・レビュー・書評

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  • 定期的に本作を読み返しており、今回新訳が出たということで早速手にしてみた。

    この新訳版には適度に注釈が付け加えられ、文章も従来の訳書より読みやすくなった様に思う。
    しかし最も新訳の恩恵にあずかっているのは、本書を通してたった一人の語り手であるクラマンスである。彼を露悪的かつ魅力的に、そして親しげに表現することは、本書の仕掛け(罠)上で欠かせないからだ。


    話の大筋は以下の通りである。

    語り手であるクラマンスは、かつてパリで名を馳せた弁護士で、私人としても善行やその振舞いから評判であった。
    当時の彼は順風満帆な人生を送っており、自身が「高みにある」ことを信じて疑わなかったが、あるきっかけから罪の意識が芽生える。つまり弁護士の仕事も弱者への親切や施しも、人よりも道徳的に高みにありたいという自己愛からくるものだと悟ったのだ。自分に嘘を付くことに耐えられず、罪の意識から裁かれることを恐れるようになったクラマンスは、足掻いた末についに高みにありながら裁きから免れる方法を発見する。
    それは「告解者にして裁判官」となることであり、そこに至るまでの過程を彼の語り口からなぞっていく…。


    この告解者にして裁判官というもの(クラマンスは職業と自負)について。
    簡潔に言えば、彼自身を含め誰しも犯しているであろう罪をあらかじめ自白(告解)し、露悪的かつ親しげな態度で相手も同罪であることを認めさせ、共犯者に仕立て上げる。そこから先に自白したという道徳的優位を利用して、相手を裁くのである。
    どういうことかというと、罪を裁くことができるのは先立って罪を認めた者だけであり、相手から言葉巧みに共感を引き出してから告発するというもの。
    クラマンスは自己愛と人に裁かれることへの恐怖から、人より先に自分を裁き、然るのちに相手を裁くという結論に至った。
    彼は根城である酒場メキシコ・シティで、獲物を捕えては告解→共犯→裏切りというプロセスを繰り返し、人からの裁きを免れつつ心の安寧を保っている。
    職業が変われど、正義の弁護士であった頃と彼は変わらない。自身を高みに置くために、聞き手を引きずり落としては裏切っていることを除いて。


    「転落」はいくつかの訳書が出ており、クラマンスの職業については翻訳のゆれがあった。
    私が知る限りでは“裁き手にして改悛者”、“改悛した裁き手”、そしてこの新訳の“告解者にして裁判官”である。
    私はフランス語が分からず原著を読めないので実際のニュアンスはわからないが、本書の内容を考えると改悛より告解という訳が適切だと感じる。
    なぜならクラマンスは自分の罪を認めても、それを悔い改めることはないからだ。


    ざっくばらんな説明になってしまったが、本書はあとがきに訳者による丁寧な解説が付されており、初見では難しい本書の理解を深めることができるだろう。

    もっとも理解したところで、現代も”告解者にして裁判官”たちで至る所が埋め尽くされていることに気付かされ、人間不信と虚無感が残るだけである。
    そうなれば誰しも自身の安寧(決して救済ではない)のため、進んでクラマンスとならざるをえない。


    長々と書いてしまったが、もしここまで読んでいる方がいれば大変ありがたく、報われる思いである。

    それではようこそ、メキシコ・シティへ。

  • なんでこの男は落ちぶれたんだろう。

    語り手がバーで同郷の男に延々と自慢話をする。
    訳者の解説をオンラインで聞いてから読んだ。
    理解されていないカミュの中で一番美しい小説だそうだがそれはよくわからなかった。

  •  弁護士として順風満帆な生活を送っていたフランス人ジャン=バティスト・クラマンス。なぜか今は落ちぶれた様で、アムステルダムのバー「メキシコ・シティ」にたむろしているらしい。そして、バーに来ていた同国人に話しかけるところから始まり、最初から最後まで彼の一人語りで話が進む。
     今彼は、「告解者にして裁判官」のようなものだと言う。一体それはどういうことなのか?どうして彼は以前の生活から“転落”してしまったのか?彼の語りから、徐々に謎が明かされていく。
     あらすじ的に言うと、こんな感じ。
     語りの文なので、読むこと自体は難しくないが、語られる中身は、自分にも当てはまるとドキッとしたことも多いし、人間の自由とは何かといったことも考えさせられる。

     久しぶりに読んだカミュ。面白かった。

  • この『転落』は、いわゆる自分語りの形式をもって、パリからアムステルダムにやってきた弁護士クラマンスもが自らの半生を打ち明ける。

    前半は、細かな心理描写にさすがの感を抱きつつ楽しく読んだものの、自己愛というテーマ自体はそれなりに平凡で、作家であれば多かれ少なかれ誰でも書きそうな内容、という印象だった。
    しかしクラマンス自らの無謬性が否定された中盤以降、哲学やキリスト教の要素をふんだんに盛り込みながら、タイトル通り『転落』のスピードに読者を巻き込んでいく手腕には圧倒された。
    そして、終盤のミステリー的要素も踏まえた展開と結末。
    短編ながら、文学的要素をこれでもかと詰め込んだ傑作と感じた。
    ノーベル賞受賞の才能はやはり並ではない、そのことを存分に味わった素晴らしい読書体験だった。

    また訳も秀逸。
    語り手クラマンスの一筋縄でない心理が、そのまま日本語に乗っている。
    尊大さと滑稽さ、プライドと自責、慇懃無礼、という相反する要素が絶妙にバランスされ、微妙な心理が手に取るように伝わった。
    訳が面白すぎて何箇所か吹いてしまい、読み続けらない所もあった。

    クラマンスの転落前の人格は、自分とかなり似ているところがある。
    一方果たして自分は、人を見捨てたことを一生後悔し続けられるほどの善人だろうか。
    自分自身に今後転落があるのか、転落することすら無く表層を生き続けるのか?とふと考えた。
    本作を読んだ人は、たいてい皆そう感じるものなのだろうか。

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