- Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334774950
感想・レビュー・書評
-
日本赤十字社から戦地に派遣された従軍看護婦も、戦争末期のフィリピンの惨状も知らなかった私だったが、本書を読むに当たって、あまり影響がないと思われたのは(勿論、これを読んで興味を持つことはあると思うが)、本書で教えてくれる大切なことは、また別のところにあったからだと感じられたからである。
平成生まれの看護師、「高橋紗穂」が夜勤中に見舞われた地震によって意識が遠退き、気が付いたら、1944年のマニラの地で倒れており、彼女の意識は紗穂のままであったが、その身体は、つい先程まで看護していた「雪野サエ」のものであり、当初紗穂は、何故こんなことになってしまったのかと悲嘆し、早く元の世界に還りたいことばかりを願っていたが、その心境は戦地に於ける青春時代を約一年間共にした、日赤救護班の仲間たちと生きることによって、少しずつ変わっていった、それは当たり前のことができることの幸せであった。
『そばにいる人が生きていて、ご飯を食べて話をして歩いて笑って。そんな当たり前のことがこんなに嬉しいということを、私は教えてもらった』
そして、そんな幸せを現代人の彼女が噛み締めることで、如何に戦争が愚かで悲しいものなのかを、より実感させられた、それは命も心も粗末にすることなんだと思う。
『自分は命が産まれる手伝いをする看護婦だ。だから、命を簡単に懸ける戦争を決して許さない』
日赤救護班看護婦は、目の前にいるすべての傷病者を救護するよう教えられており、そこには性別も年齢も国籍も関係ない、そんな彼女たちだからこそ実感できることもあり、時には『看病した兵隊が敵を殺せば、あなたたちが殺したのと同じ(一部、言葉づかいを変えています)』や、『看護婦っていっても戦争の加担者』などと、理不尽な事を言われることもあったが、それでも当時の、『私たちは求められてここにいる』ことを誇りに、できることをやりながらも、心のどこかでは誰が起こしたのか分からないものに、召集令状の紙切れ一枚で派遣されて、巻き込まれることへの虚しさも抱いていた。
しかし、そうした思いは決して口には出さずに、心の内に留めたままにしていたのは、周りの仲間たちのみならず、当時の風潮でもあった『国のために尽くすつもり』で、命は二の次であることを、まるで美徳のように捉えていた時代的背景が確固として立ちはだかっているからであったのだが、そうした、『弟のために死のうと考えていた』から、やがては『弟のために生きて帰りたい』という心境へと奇跡的に変化していくことで、戦争の虚しさと命のありがたみを教えてくれた、そうした当時の時勢からはまずあり得ないような、ある意味、痛快で爽やかな思いを引き出させてくれたのは、平成の時代からタイムスリップしてきた、紗穂のおかげなのである。
『いまの自分の唯一の武器は、この戦争の終わりを知っていること』
本書に感じられた、戦争を描いた小説としての独特さは、まずここにあり、過去にタイムスリップした人間が歴史を変えるような大活躍をするというのは、割とあると思うが、ここでの紗穂は、平成生まれならではの常識や価値観を身に付けているので、当時の人達からすれば、『あなたの常識は、私たちが持っているものとは違う』といった不思議な人となり、それが却って、物語を面白くも痛快なものにしている一方で、そんな彼女の当時とは違った常識に、皆が憧れを抱いていく展開に考えさせられるものもあったが、かといって、歴史は大きく変わるわけではない、寧ろ、とてもささやかな一人一人の命を繫ぎ止めるような役割ではあるが、実はそれこそがとても大切なのだという、至極、現実的な視点で描いていることに、私は女性ならではの慈しみを感じられ、それは、一気に形勢逆転して勝利を収めるようなすっきりする話でもなく、とことんリアルで凄惨な描写をしかと見ろ的な話でも無いということである。
『命を生み出し、そして育むのに、女たちがどれほどの時間と力を費やすのかを、男は知らない』
そして、そんな眼差しは上記の言葉からも感じられるように、女性側から見た男が引き起こした戦争といった一面を持ちながらも、そこにくどさを感じさせないのは、300ページ以上ある本書を書き上げた藤岡陽子さんの、丹念に紡ぎ上げながらも、どこか軽やかで爽やかな雰囲気を持つ文章力にあるのだと感じながら、別に男性蔑視の視点ではない、寧ろ、それぞれを平等に眺めている姿に好感を持ちつつ、目を覆いたくなる場面もありながら、上空を飛ぶ敵機よりも体を這う虫の恐怖に気をとられていた描写が表れるのには、やはり女性でないと書けない奥ゆかしさがあるようで、そこに戦争を描いた小説として、もう一つの独特さがあったことに、もしかしたら、これが藤岡陽子さんの作品の魅力なのかもしれないと感じられた、どんなに苦難を伴う時代に於いても、それは紛れもなく彼女たちにとって、かけがえのない青春の日々であったのだ。
そうした魅力は、平成からやって来た紗穂も、当時のサエの仲間たちも、お互いに教えられることがあったことに、それぞれの時代性を考えさせるものがありながら、もう一つ、女性的な眼差しの素晴らしさを取り上げなければならないのが、斎藤美奈子さんの解説にもあった、タイトルについてである。
このタイトルを見た瞬間、私はすぐにある曲を頭に思い浮かべたのだが(世代なので)、まさか本当にそれだとは思わなかった上に、歌詞についても新たな発見があったのが今更のように嬉しくて、この曲が恋人に向けたそれじゃ無かったことを、本書で初めて知った。
『昔みたいに 雨が降れば 川底に
沈む橋越えて』
特に上記の部分は、物語の展開とも相俟って心打たれるものがあり、また、これが1944年のマニラで歌われているというのが、なんとも不思議な感覚でありながら、なんて清々しい光景なんだろうと感じられて、特に皆で黙々と険しい山道を歩む中で、ふと誰かが歌い出した瞬間、堰を切ったように、次々とそれに続けとばかり、皆の声が重なり合って、やがては一つの大きな感情を伴った力に変わる、歌には、そんな皆の心をまとめ上げる叙情的高揚感がありながら、これを従軍看護婦たちがやっていることに、また違った感慨を抱かせるようで、当時の戦争の状況も正確に分からず、時折現れる敵機の影に怯えながら、食べ物もろくに無い中を、漠然とした目標に向かって歩まざるを得なかった彼女たちの心境を、まるで慮ったような温かみのある『if』の物語には、女性だからこそ書ける、そんな眼差しの必要性を証明するのに充分なのではないかと感じさせる程の、その軽やかさに、私は未来の可能性を見た思いがした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイムスリップ物語と思っていたが、反戦物語であった。戦時中の悲惨な話はいくつか読んだが、現代に生きる私達が全く異なる価値観で教育を受けた時代にタイムスリップしたなら思いを伝え正しいと思う行動が出来るのだろうか?結局は我が身を守るために滅多な事は言えなかったと思う。この平和の時代でさえまだまだ多くの課題が山積みの社会で暮らしている。それでも平和な世の中であれば何らかの灯りは見える。世界を見渡せば近頃もきな臭い話が余りに多い。過去の戦争を反省する事が出来ない人間は、未来永劫戦争を繰り返すのかと思うと空恐ろしくなる。リーダーの資質の低下か?
ただ、どんな時代でも歌は弱った心を元気付け、時には慰めてくれるものかもしれないなと思った。ドリカムか~。私には思いつかなかったなあ!-
秋桜さん、私もこの作品読みましたが、書名からは全く思いつかないその内容にとても心を打たれました。おっしゃる通り、いつの時代も、今も、きな臭い...秋桜さん、私もこの作品読みましたが、書名からは全く思いつかないその内容にとても心を打たれました。おっしゃる通り、いつの時代も、今も、きな臭い空気感に包まれた世界、私たちのこの国の今だって思い返せば、ほんのつかの間の戦争のない時代だったと歴史に記録される可能性だって十二分にあるように思います。この作品で描かれたこと、描かれた世界をきちんと目を逸らさないで見つめたい、噛み締めたい、そう思いました。
とても良い作品だったと思います。
そして、藤岡陽子さん、私にとっては直球ど真ん中の球を投げる作家さんだと感じています。まだ三冊しか読んでいませんが、どんどん読んでいきたいと思っています。2022/10/23
-
-
夜勤中に起こった地震で気を失った紗穂が目を覚ますと、そこは1944年のマニラで、雪野サエという人の中に入り込んでいたというタイムスリップ物語。
1944年のマニラというと、そう、雪野サエは従軍看護婦で・・・という戦争の物語。
「手のひらの音符」が素晴らしかったので、それと比較すると少し、残念な感じではあった。サエに入り込んでしまって、サエとして生きていくことを決意する(せざるを得ない)紗穂の感情の部分や、親友のサエが今までとは別人になっていると気づいた美津の感情の部分が伝わってきづらく、少し読者側の感情が置き去りにされているような感じがあった。
それでも、戦況を考えると感情云々の前に生き延びないといけない、という状況だったのだろうとも思う。
紗穂の「生き延びる」という決意と、それを上官や周りの仲間に堂々と発言する姿勢に、「よし、よく言った!」と清々する気持ちになった。戦後に生まれ、戦争の悲惨さを知り、二度と戦争を起こしてはいけないとわかっている現代からの使者、紗穂だからこそできる発言、姿勢。
どこかで聞いたことのあるような、と思うタイトルは、予想通りあの有名な歌からだった。
少し紗穂の感情に追いつけないところはあったものの、反戦小説として素晴らしかった。 -
24歳の看護師が、95歳の患者の24歳だった時にタイムスリップして、1944年から1945年の1年間をフィリピンに派遣された従軍看護婦として過ごす。
悲惨な体験をした従軍看護婦の物語を描くこともできただろう。しかしその時代の教育を受けていない主人公の、命に対する考え方の違いや、軍歌ではなく「晴れたらいいね」を歌わせるために必要だった設定。
この時代からすれば、今の普通がユートピアに見えるかもしれないけど、貧困も差別もあるのよ、とちゃんと言わしている。
皆が生き延びたことが描かれたラストが良かった。
ウクライナの人たちも死なないで欲しい。 -
戦争小説と聞くと、なかなか手を出しにくい人も多いかな、と思います。でも、この小説はとっつきやすい。その理由は文章の読みやすさはもちろんですが、登場人物たちの個性が豊かなことが特に大きいと思います。
主人公で戦時下のマニラにタイムスリップしてしまう紗穂はもちろんですが、タイムスリップした先での同僚たちもいいキャラが多い! ちなみに僕の個人的な推しは民子さん。常に皮肉でマイペースな姿勢を崩さず、主人公だけでなく軍の上層部にもそれは変わりません。看護婦になった経緯もいろいろあるみたいで、彼女が主人公のスピンオフも読んでみたい、と思いました。
看護婦さんが主人公ということで、この小説には医療小説の側面もあります。敵の命を奪う戦争で、場合によっては敵になりうる外国人を救わなければならない場合もあります。作中でそうした場面もあるのですが、ここの書き方はカッコいいの一言につきます。医療小説はこうこないとね。
一方で戦争のシリアスさも描かれます。備品や薬剤、食料の不足、助かる見込みのない兵士たちへの対応、さらに終盤は兵士と同じような密林の行進を迫られます。従軍看護婦といっても、後方での治療がメインだろ、などと思っていたので、この過酷さは意外であるとともに驚きでした。
でも何と言っても驚きだったのは、彼女たちのほとんどは、軍の病院に所属しているなど仕事のため、あるいは志願してきたわけではなく、国から召集されてきたということ。
この小説では描かれていませんが、きっと戦地で亡くなった看護婦さんもいるのでしょう。あるいは帰っても、家族が亡くなっていた場合も…
主人公は日本軍の「捕虜になるくらいなら自決をせよ」という考えを真っ向から否定します。それはもちろん、この考え自体のバカバカしさもありますが、それぞれに帰る場所があるということを、考えていたからだと思います。
兵士を主人公とした戦争小説とは、また違った視点から戦争を考えました。 -
藤岡陽子さんの作品を初めて読見ました。
タイムスリップの物語だとは思いませんでしたが引き込まれてしまいました。
良い作品です。
藤岡陽子さんにハマってしまいました。 -
看護師の沙穂が夜勤中に地震に見舞われ、気付くと戦時中のマニラで、従軍看護師であるサエという女性になっていた、、ていう始まりで割りと気楽に読み進んでいたんだけれど、途中からがっつり戦争のお話。
従軍看護師の部分は結構細かい事まで書いてあって、赤紙で召集されたのは男性って思ってたけど、こういう形で戦地で働いてた女性もいたことを改めて考えさせられた。
ただ全体を通して見ると、タイムトリップ、入れ替わり、そしてドリカムで。なんだか頭ん中でうまく混ざり合わなかった感あり。 -
子ども向けかと思うようなスタートでしたが、途中からは涙が止まりませんでした。やっぱり良い人がたくさん登場して、悲惨な状況の中でも深刻なトーン一色にはならず、前向きなエネルギーが途切れることのない感動的なストーリーでした。
この本は日本人から見た戦争の話ですが、以前マニラに行った際に現地の方から聞いた話しを思い出しました。「フィリピンはスペイン、アメリカ、日本と3回外国に支配されたが、スペインはキリスト教を、アメリカは英語を残してくれた。日本は…」とても恥ずかしい思いをしました。
戦争大好きな極右政党自民党の皆さんはこの本を読んだらどんな感想を持つのでしょう。安倍晋三さんも高市早苗さんも自分に命の危険が及びようなことはないでしょうし、子供もいないので最前線の兵隊の命なんて考えたこともないのでしょうね。 -
看護師の紗穂は夜間見回り中に大きな地震に襲われ、見回り中の部屋にいた患者の雪野サエとなって1944年のフィリピンへとタイムスリップする。
日赤の従軍看護婦として、友人の美津に助けられて過酷な日々を生きていくことになる紗穂。
間もなく終戦がやって来る。それまでは何としても生き抜いて日本へ帰るのだと言う強い気持ち。
タイトルの「晴れたらいいね」はドリカムの歌らしい。山中を歩いている時に紗穂が歌ったこの歌が、仲間たちの励みになった。
友人の美津の日記の最後のページに書かれていたのは
「わたしたちの未来は、晴れたらいいね」