反コミュニケーション (現代社会学ライブラリー 11)

著者 :
  • 弘文堂
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本棚登録 : 150
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784335501357

作品紹介・あらすじ

「よくわかりあう」コミュニケーションは楽しいだろうか?時空を超えて思想界の大スターを歴訪する、架空訪問記。

感想・レビュー・書評

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  • 「私はコミュニケーションが嫌いだ」
    という出だしから衝撃的な本。そして全部が面白い。

    人は他人と完全に理解しあうことなど不可能である。では,この分かり合えるはずのない他者とは,私にとってどういう存在なのか。「不気味な」他者とコミュニケーションするとは,一体どういうことを指すのか。そしてどういった枠組みで語れるのか。
    以上のような点を,著名なコミュニケーション研究者たちを訪問する形でまとめてある。

    その研究者たちの奥村先生に対する振る舞いが,研究者それぞれのコミュニケーションに関する主張に沿った対応となっている点も面白かった。コミュニケーションに「浸透」を主張するルソーは相手へ過剰に配慮することなく素直に自身の思考内容を示し,「距離」を主張するジンメルは礼儀正しく別れ,「接続」を主張するルーマンは情報の受け手にも注目し理解ではなく接続の維持とそれによる情報更新を重視し奥村先生とのメールを一方的に切り上げる。

    自分なりにまとめると,
    ・根本には「完全に相手を理解することなど不可能」という視点を持ち,コミュニケーションをすること
    ・コミュニケーションの目的によっては,ハーバーマスの言うような「対話」的要件も重要になってくること
    ・コミュニケートそのものが目的となっている場合には,レインの「存在論的安定」を要因として見ること
    ・相手との関係性によっては,「ダブルバインド」が「遊び」と反転すること
    かな。

    久しぶりに,早く先を読みたいと思いながら読んだ本だった。

  • 社会学の入門書。「よいコミュニケーションとはなにか」という問いを出発点において、コミュニケーションということについて考えようとする。

    著者と同じ名前の(!)奥村隆というひとが何人かの人をつぎつぎと訪ねていって、話を聞いて、質問して、応答されて、それにまた応答して、やりとりする。「架空の訪問記」という形式は読書=対話みたいな含意なんだろうか。著者奥村隆が誰かの本を読みつつ考えたことが、主人公奥村隆がその人と対話しつつ考えたこととして書かれている。

    主人公奥村隆はえんえんと自分のことしか考えていないような感じで、対話の相手の誰からも決定的には影響されきらなくて、あ、この人なんかいってるなあ、ふうん、みたいな、態度が崩れない。近づきすぎず離れすぎないのがよい、ような気がする。

    序章から終章までが緊密にというか、有機的にというかひとまとまりになっているような本ではなくて、各章はけっこう断片的で、まとまってない。「私はコミュニケーションが嫌いだ」といって始まって「私はコミュニケーションが嫌いだ」といって終わる。

    主人公奥村隆みたいにコミュニケーションが「嫌い」というほど厭ではなくても、コミュニケーションに「困る」とか「疲れる」とか「いやけがさす」ようなときに、必要があって「よいコミュニケーション」を外に想像してみようとするときに、うまくすると使えそうだとおもう。全然使えないかもしれないけど

  • 行き詰まった時のために手元に置いておきたい。図書館で借りたけど、やっぱり買おう

  • 社会学において,コミュニケーションをだれがどのように扱っているかについて、研究者を登場させてい語らせる方法は海外の本では多いが、日本では初めてではないか。
     とても読みやすいので、コミュニケーションの概説の教科書をよむよりも、まずこの本を読むことを勧める。

  • 一章 ルソー 浸透のコミュニケーション

    ルソーは階級のへだたりなく、すなわち、演技も言語も服装も礼儀も、とにかくあらゆるへだたりなくをなくすことで、私たちは真に対等になる。これにより、透明なコミュニケーションがとれるという。

    しかしこれは現実の社会に耐えられなくなりより狭い共同体に閉じこもるのではないか。すると、各々共同体は自身の共同体を最高のものと考え、結果各共同体同士で争いがおこる。(アーレントが危惧するも 革命論/今村の貨幣論)
    アーレントは介在者は机をのようなもの、それがあることで結びつけ時に分離させる。この公的領域が成り立つには人間の多様性が必要で平等と差異の二重性をもつ。
    これをルソーは逆に率直な交流を妨げるものとしてテーブルを嫌う。

    二章 ジンメル 遊戯のコミュニケーション
    ジンメルは結合、すなわち分かり合えれば分かり合えるほどいいという関係を通俗的とみる。むしろ分離をすることでむしろより強い結合になる。闘争といったものも分離の一つである。
    またジンメルは、相互の隠蔽を肯定する。全てを知っては関係はつづかなくなるのだ。それは、他者の秘密を尊重することで、遠慮が生まれるから。
    かつて、ルソーの生きてた時代は、人縛る枷をなくすことで自由になれると考えた。しかし、普遍的な人間、平等な人間ならばの話。現実は、質量ともに人間は最初から不平等なのだから。
    自由を確保したまま相互作用するというのが理想。そのためにも距離、結合と分離の同時存在、媒介するものの存在が必要。それは大都市、秘密、貨幣、社交であり、これらが差異ある自由を支えるコミュニケーションの姿なのだ。

    三章 ハーバーマスと鶴見俊輔 対話とディスコミュニケーション

    ハーバーマスは、コミュニケーション的行為を推す。これは了解や合意に基づくものをコミュニケーションとするわけだが、これは確かに強制や抑圧を、批判することができる。しかし強制なき合意を求めるので、真理性、正当性、誠実性が要請される。これを、みたすものを、コミュニケーション的行為とする。しかし、これは社交や恋愛といったコミュニケーションを抑圧してしまうのではないか。ここで思い出したいのが、デゥーいの考えである。彼は思想や感情を他のものに伝えることをコミュニケーションといい、それは、事物を統制する目的の科学的コミュニケーションと、経験をそのまたの形で祝うことを目的とする芸術的コミュニケーションであり、これが人間の全体をとおして、すなわち記号が仲立ちすることで
    二つ以上の動物が共通の意味を持った時、コミュニケーションが成立したと言えるのだ。こうして、コミュニケーションは人の心にある興味を揺り動かし人を帰ることができる。このコミュニケーションを、保証する条件が民主主義なのだ。
    しかし、ふたりには、ある見落としがある。それは、コミュニケーションは、ディスコミュニケーションの一面も持っといことだ。すなわち、相手がどつ受け取り、通じなかったところがあるのかまで考えなければならないのだ。この、ディスコミュニケーションのなかにあって、有害で努力次第でなくせる部分を選びとって、少しずつ埋めることが必要なのだ。

  • 私たちはいつも少しずつ酔っぱらっている、と考えたらどうだろう。それまで育った環境に、考えたり話したりするときの癖に、願望や欲望やコンプレックスに。それぞれ違った酔っぱらい方をした人同士が、そのことに自分は気づかないまま、話しあっている。(75)


    私たちがいちばん容易に想定するコミュニケーションの形態「対話」のスタイルをとりながら、数々のコミュニケーションをめぐる思想をめぐっていく一冊。ルソー、ゴフマン、ルーマンをはじめとする社会学界隈にあっては馴染み深い思想はもちろん、レイン、ベイトソンなど少し毛色の違った議論にも触れることが出来る。

    基本的には言及される思想家の主著をベースにその骨子を述べる「概説書」としての性質が強いので、言及されている思想家に一度でも深く付き合ったことがあるならば、何か目新しい転換をもたらす作品ではないかもしれない。例えば、ルソーとジンメルの陰陽となった議論の鮮やかさ、ゴフマンの意地悪だけれども切れ味鋭い議論などと比較すれば、例えばハーバーマスのコミュニケーション像が想定以上に「つまらなく」「理想主義的」なのも、言ってしまえば定番のシナリオ通りなのである。

    しかし、こうしてコミュニケーションという概念をめぐる議論がひとところに、しかも平易に並べられる著作は、それほど多くはないだろう。この概念に少なからず囚われはじめたと感じる時、本著はその興味関心の広がりを十分に下支えし、各々の原典へと向かおうとする背中を押してくれるだろう。(各々の思想の連関が見えやすい、というのもまた強みである)


    「何だか素敵だな」という思いのままに留まっていたジンメルの議論に改めてしっかりと向き合ってみたいと、再び思い返した一冊でもある。まずはまた、『ジンメル・コレクション』を読み直すところから始めてみようと思う。

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著者プロフィール

奥村 隆(おくむら・たかし):1961年徳島県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学文学部助手、千葉大学文学部講師・助教授、立教大学社会学部教授を経て、関西学院大学社会学部教授。著書に『反コミュニケーション』(弘文堂)、『社会学の歴史 Ⅰ・Ⅱ』(有斐閣)、『慈悲のポリティクス──モーツァルトのオペラにおいて、誰が誰を赦すのか』(岩波書店)など、編著に『戦後日本の社会意識論』(有斐閣)などがある。

「2024年 『他者といる技法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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