歌の翼に(未来の文学)

  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (420ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336051165

作品紹介・あらすじ

歌をうたうことによって肉体から精神を解き放つこと、それが「飛翔」である。宗教と経済に支配され食料危機が慢性化した近未来アメリカにおいて禁止されている「飛翔」の魅力にとりつかれた少年ダニエルは、ある日突然アイオワの有力者の策略により刑務所へ、そこから彼の数奇な流転の人生がはじまる。やがて結婚、妻のボウアは「飛翔」したまま帰らぬ人となり、抜け殻となった妻とともにニューヨークへ向かう。オペラ劇場で働きはじめたダニエルは、人気歌手のレイと出会い、恥辱と快楽にまみれた生活をおくりながら歌手を目指し、ついに成功を手に入れるのだが…SFのみならずゲイ小説、教養小説、音楽小説などのあらゆる要素を投入しながら、支配する者とされる者の宿命、芸術の喜びと悲惨をエモーショナルに描く、奇才ディッシュの半自伝的長篇にして最高傑作がついに復刊。

感想・レビュー・書評

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  •  おそらく歴史に名を残すような芸術家は、幼時よりその才能を示し、本人も周囲もその才能に巻き込まれるように芸術家に育っていくのである。もちろん本人や周囲の努力が必要ないといっているのではない。しかしその努力すらも才能に引きずられるように発揮されていくように見える。他方、そうした天才の周囲には芸術家になりたいという思いだけで努力をくりかえす多くの人たちがいる。
     そして『歌の翼に』は後者の物語なのである。

     私がSF少年だった頃、ディッシュは『人類皆殺し』や『虚像のエコー』、さらにはTVドラマのノベライゼーション『プリズナー』などが訳出されていたが、『334』がすごいとか『キャンプ・コンセントレーション』(当時は『強制収容』と紹介されていた)がすごいとか、SF雑誌の海外欄で興味をかき立てられていた。そうこうするうちにサンリオSF文庫で『334』、『歌の翼に』が翻訳された。少し遅れて『キャンプ・コンセントレーション』も出たが、『334』といい、当時の私には正直手に余る小説だった。他方、『歌の翼に』はSFじゃないじゃないかと思った記憶がある。
     ディッシュの死を悼み、改訳されての復刊である。「ディッシュの最高傑作」と帯にあるが、『キャンプ・コンセントレーション』も『334』も絶版のいま、そういっていいのかとは思う。

     近未来、保守化して階級差が大きく、暮らしにくそうなアメリカ。中でも保守的なアイオワ州。歯科医の息子ながらあまり裕福ではないダニエル・ワインレブ少年が、地元の名士の不興を買い、刑務所暮らしをするところから話は始まる。
     SF的設定は飛翔装置。この時代、飛翔装置に接続し、歌を歌って「翔ぶ」ことができるのだ。この「翔ぶ」は幽体離脱みたいなものである。しかし、アイオワ州では翔ぶことは禁じられていた。刑務所暮らしで世界に対する信頼を失ったダニエルは歌手を、そして「翔ぶ」ことを目指す。
     微熱に浮かされたような物語の調子は、若い頃、誰もが経験した、世界に出て行くことへの不安と期待のリズムである。そんなダニエルをちょっと持ち上げておいては繰り返しどん底に突き落とすディッシュはサディスティックだが、墜落したダニエルとともにマゾヒスティックな快感に浸っているようでもある。ディッシュ自身も、ゲイのパートナーの死後、作家自身が神になるという小説を最後に書いて、自殺してしまった。
     物語のなかで「翔んだ」まま肉体に戻ってこなくなってしまった人々が登場するが、結局、「翔ぶ」こと自体は重要ではなく、「翔ぶ」ことが可能になる、ある芸術的瞬間を「歌う」こと、歌の翼に乗ることに、多様な含蓄を巻き込みつつ物語は集約されていく。歌の翼は得られたのか? 意地悪なディッシュ。それすら多義的だ。29年ぶりの再読だったが、ほとんどストーリーを覚えておらず、いくつかの場面をそういえばと思った程度で、この小説もかつて私には手に負えていなかったのがわかった。

  • においのようなものがある。自分の好きなタイプの小説かどうかが分かる。書き出しを少し読むだけで伝わってくるものがあるのだ。文体というのでも、話法というのでもない。漠然としていてつかみようがないのだが、そこにはっきり漂っている、まさににおいとでもいうしかない何かだ。『歌の翼に』にはそれがある。

    中学校の図書館は日のあたらない中庭に面して窓が切られ、その下に外国文学の棚があった。それまでロケットや宇宙のことを書いた科学読物のような本ばかり読んでいたものが、ヘッセを読み出したから司書教諭は驚いて、「この頃読むものが変わってきたね」と言ったほどだった。県下一のマンモス校で一生徒の読書傾向をそこまで把握していることにこちらも驚いたが、雑誌でヘッセの『乾し草の月』を読んで以来、この作家にはまってしまっていたのだ。

    どうもそのせいらしいのだが、芸術家になることを夢見る少年の成長を描く「人格形成小説」(ビルドゥンクスロマン)のにおいのする小説には手もなくやられてしまうきらいがある。これもそのひとつ。しかも、かなりよくできている。

    ダニエルはニュー・ヨーク生まれだが、父の仕事の都合でアイオワ州エイムズヴィルで大きくなった。ファーム・ベルト(アメリカ中西部の農業地帯)は伝統的に保守色が強い土地柄だ。いわゆる近未来を舞台にしている点でSFに分類されるだろうが、食糧危機やキリスト教原理主義の激化といった設定は、あえてSFと考える必要もない。ただひとつ、ある種の人が「翔ぶ」力を持つという点を除けば。

    ダニエルの夢は翔ぶことだった。ビルドゥンクスロマンの主人公の多くが芸術家であるように、ここでは、優れた歌い手が歌を歌う途中で「翔ぶ」。文字どおり、本人の意識は宙を翔んで好きなところへ自在に移動しているわけだが、肉体は地上に残したままだ。卑近な言い方でいえば幽体離脱か。飛んでいる状態の存在を「フェアリー(妖精)」と呼ぶ。長く翔んだままでいると、肉体が衰え、元に戻れなくなるらしい。州によっては「翔ぶ」ことを法律で禁じていて、キリスト教アンダーゴッド派の力が強いアイオワもそのひとつだ。

    翔ぶことを主題にしながら、通常のファンタジー小説のように、空を飛ぶ場面は描かれることはない。それは、特殊な力に恵まれた人にだけ与えられるもので、素人愛好家レベルのダニエルにははなから無理な相談なのだ。「翔びたい、が翔べない」というのは、夢や野心だけはあっても、才能を磨いたり伸ばしたりできない多くのアーティストに共通する立ち位置だ。日々の生活のために夢を追うことは一時棚上げし、バイトに精を出す主人公の姿に共感する若い読者は多いだろう。

    「翔ぶ」ことが象徴しているのは自由自在に飛翔する芸術三昧の境地だろう。たった一度の挑戦で翔ぶことができる幸運な者もいるが、ダニエルのように努力し続け、何度も試みても駄目な者もいる。決して才能や資格がないのではない。明らかにダニエルの額には、その徴が見えている。試練が課されているのだ。刑務所仲間に飛びっきり上手い歌い手がいた。彼はダニエルにこう忠告する。「生活をめちゃくちゃにすることさ。一流の歌手はみんなそうなんだぜ」と。

    ダニエルは容姿端麗で人にやさしく頭もいい。詩も書けて歌も楽器もできる。それでも翔ぶことだけはできない。ロマン主義的な芸術観が持つ逆説だ。天才はランボオのように破滅型でなければならない。小市民型でまともな経済観念や生活設計ができるダニエルがモラルを破棄せざるを得ない破目に陥るきっかけが訪れる。荒廃したニュー・ヨークの唯一の娯楽であるオペラ劇場を舞台にした第三部は、それまでのアイオワ生活を彩っていた牧歌調をかなぐり捨て、猥雑で頽廃的な色調を帯びる。余儀なくオペラ歌手の囲い者になった主人公の生活は以前からは想像もできない「めちゃくちゃ」なものになる。肉体的にも精神的にも苦痛を味わったダニエルは、メンターであるミセス・シッフの言葉により、悲惨としか思えない境遇を楽しむことを覚える。それが転機だった。

    ビルドゥンクスロマン(教養小説)のパロディであり、アメリカの近未来を予言したSFであり、作家の自伝とも読むことができる上出来の芸術家小説。極力SF色を薄めた語り口は自然で、SFというジャンルが苦手な読者も満足させられるにちがいない。作家トマス・M・ディッシュを代表する傑作である。

  • SFを読もう!と決意させてくれた一冊。純文学とカテゴライズしても良いほど、人間というものの生死を詳細に、そしてディッシュらしく書かれている。どんなにもがいても、一番手にしたいものには届かない。死すその時までも。或いは、死すその瞬間だけ手に出来るものなのか?

  • 2014/11 たまにこういう海外の精神的小説にあたってしまうが、やっぱりよくわからない。とぶってどういうことなんだろう?

  • 音が断ち切られたようなラスト。

  • ただ空が飛びたかっただけだ。
    それだけのために、少年は。

  • [ 内容 ]
    歌をうたうことによって肉体から精神を解き放つこと、それが「飛翔」である。
    宗教と経済に支配され食料危機が慢性化した近未来アメリカにおいて禁止されている「飛翔」の魅力にとりつかれた少年ダニエルは、ある日突然アイオワの有力者の策略により刑務所へ、そこから彼の数奇な流転の人生がはじまる。
    やがて結婚、妻のボウアは「飛翔」したまま帰らぬ人となり、抜け殻となった妻とともにニューヨークへ向かう。
    オペラ劇場で働きはじめたダニエルは、人気歌手のレイと出会い、恥辱と快楽にまみれた生活をおくりながら歌手を目指し、ついに成功を手に入れるのだが…SFのみならずゲイ小説、教養小説、音楽小説などのあらゆる要素を投入しながら、支配する者とされる者の宿命、芸術の喜びと悲惨をエモーショナルに描く、奇才ディッシュの半自伝的長篇にして最高傑作がついに復刊。

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  • 2010/2/17購入

  • 読み応え満点

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著者プロフィール

トマス・M・ディッシュ
1940年アメリカ・アイオワ州生まれ。建築家を志してクーパーズ・ユニオンに入学するも挫折、生命保険会社に勤めながらニューヨーク大学の夜学に通い、62年に短篇”The Double-Timer”でデビュー。その後、広告代理店、銀行など様々な職に就きながら、65年『人類皆殺し』で長篇デビュー。66年、イギリスに渡り、「ニュー・ワールズ」誌で異彩を放つ意欲的な作品を次々と発表、ニュー・ウェーヴ運動の中核作家として活動し、知性派SF作家として確固たる地位を築く。長篇に『虚像のエコー』『キャンプ・コンセントレーション』『334』『ビジネスマン』『M・D』、日本オリジナル短篇集に『アジアの岸辺』がある。79年、『歌の翼に』でキャンベル記念賞を受賞。『いさましいちびのトースター』は87年にディズニー・アニメ化された。SFにとどまらず、ミステリー・ホラー・詩集など幅広いジャンルで活躍し続けていたが、2008年自ら命を絶った。

「2022年 『SFの気恥ずかしさ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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